さわやか易

いらっしゃいませ。名画を鑑賞するとき、その背景である歴史を考えてみたい。(猶興)

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ジョージ・W・ブッシュ(1946〜)
 
2000年5月にロシアの大統領になったプーチンとその年11月の大統領選挙を制し、2001年1月にアメリカ大統領になったブッシュは同時代を競ったライバルと言えるだろう。ただしスタートした国の環境はまるで違う。ブッシュのアメリカは唯一の超大国として世界の頂点に立っている。プーチンのロシアは1991年にソ連崩壊、その後エリチェン政権で国内大混乱、ハイパーインフレを起こし最貧国状態までなった。両者のスタートは横綱と十両と言ったところだろう。

ブッシュはアメリカを東西冷戦に替わる新世界秩序として「テロとの戦い」を掲げて世界の先頭を走ろうとした。9・11同時多発テロ事件を受けて、アフガン戦争、そしてイラク戦争でフセイン体制を倒し、中東を支配しようとした。プーチンの3年間は国内のオリガルヒたちを粛清し、新しい経済基盤を再生することだった。順調なスピードで成し遂げたが、2003年10月、「ユコス事件」でホドロコフスキーを逮捕したことは、プーチンにとっても大きな決断だった。相手は超大国アメリカであり、ユダヤ系金融グループである。


M.B.Khodorkovsky.jpg
ホドロコフスキー(1963〜)

ホドロコフスキー逮捕は、ブッシュを激怒させたばかりではなく、ブッシュ政権を支えるユダヤ系金融グループを激怒させた。イラク戦争の目的は石油であり、アメリカはまだまだ石油を確保したかった。そこにホドロコフスキーが持ってきたロシアの石油には願ったり叶ったりの権益だった。ユコスが手に入れば、スピード復活のロシアにダメージを与えられ一石二鳥のビッグチャンスだった。逃がした魚は余りに大きかった。

 
「プーチンめ!なめるなよ!」激怒したブッシュは、復興途上の旧ソ連圏に手を伸ばすことにした。旧ソ連圏には石油など資源がたっぷり眠っている国が沢山ある。中央アジアのカスピ海は資源の宝庫と言われる。黒海に接するウクライナも今のうちにロシアから離しておきたい。復興途上の国はどうしても独裁政権なので、そこが狙い目である。民主化革命とすれば世界から非難されることはない。次々とアメリカの傀儡政権にしていくことにした。


Eduard shevardnadze.jpg
シュワルナゼ(1928〜2014)
 
早速取り掛かったのがカスピ海の西にあるジョージアだった。ジョージアには既にヘッジファンドで名高いユダヤ人ジョージ・ソロスが反政府組織「オープン・ソサエティ財団」を作っていた。大統領はジョージア出身でゴルバチョフ時代にソ連の外相を勤めていたシュワルナゼだった。2003年11月に大統領選挙が行われた。選挙結果は現職のシュワルナゼが再選される。ところが反政府勢力は「不正だ!」「選挙やり直し!」と騒ぎ出した。議会ビルを占拠、乱入する。

シュワルナゼは辞任せざるを得なかった。シュワルナゼは選挙後にロシア公共テレビで「選挙は米国の著名な投資家、ジョージ・ソロスによって仕組まれていた。」と名指しで非難した。野党勢力は「やり直し選挙はアメリカに監視してもらおう。」と主張、2004年1月に野党のサアカシビリが勝利する。これを「バラ革命」という。傀儡政権を作ったアメリカはカスピ海の石油をジョージアを通過する「BTCライン」を建設させ、ロシアに経済的打撃を与えた。



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ヤヌコヴィッチ(1950〜)

2004年3月にプーチンはロシア大統領選挙に71%の支持で圧勝した。1期目の敵はオリガルヒだったが、2期目の敵はブッシュ政権だった。アメリカはジョージアの次にウクライナを狙っている。ウクライナはロシアの西国境に接し、南は黒海に面する最重要国である。2004年11月の大統領選挙で親ロシアのヤヌコヴィッチが勝った。しかし、ジョージアと同じパターンで「選挙に不正があった!」と親米ユシチェンコ陣営がデモを起こし再選挙を要求した。再選挙はユシチェンコが勝利。「オレンジ革命」という。

腕を組むプーチン。ガッツポーズのブッシュ。ブッシュは畳みかけるように次に中央アジアのキルギスを攻める。莫大な石油が眠るカザフスタンに足掛かりを作りたい。2005年3月、準備を整えた野党勢力は、現職のアカエフが圧勝した大統領選挙で「不正!やり直し!」とデモを起こした。バックにアメリカがいることを知ったアカエフはロシアに亡命した。「チューリップ革命」と呼ばれた。3連敗である。このままだとロシアは四面楚歌だ。


〜〜さわやか易の見方〜〜
 
***   *** 上卦は沢
********
********
***   *** 下卦は水
********
***   ***

「沢水困」の卦。困は困難。困の字は木が囲いの中にある状態を表している。四面楚歌の状態とも言える。資金難に陥っている。誰からも信じてもらえない。前にも進めない。後ろにも下がれない。しかし、これが試練である。臥薪嘗胆に耐えた者こそ志を果たすことが出来るものである。

ハンガリー生まれのユダヤ人ジョージ・ソロスはアメリカでヘッジファンドとして成功し個人資産227億ドルの大富豪、CFR(外交問題評議会)のメンバーである。イギリスの為替介入でポンドを空売りし莫大な利益を得、イングランド銀行を潰した男として有名である。ジョージアの国民のことを何一つ考えないヘッジファンドが政権を変え、そこでも大儲けを図る。

日本では最近までグルジアと称したジョージアは大関になった栃ノ心の故郷である。ブドウの産地でワインの発祥の地と言われる。昔、そのワインは楊貴妃やクレオパトラにも愛されたという。「バラ革命」によりロシア教育から英語教育となり、反ロシア、親米の国になりつつある。共産主義にされたり、親米にされたりしながらも、国民は真面目にコツコツ働くしかない。

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グシンスキー(1952〜)
 
オリガルヒの中でもベレゾフスキーと並ぶ大物と言われていたのがグシンスキーだった。グシンスキーはプーチンと同じ1952年生まれ、青年時代は演劇を志したユダヤ人で、ソ連崩壊とともに実業界に乗り出した。「モスト銀行」を設立し、建設、不動産、金融などに進出し、1993年に新聞「セヴォードニャ(今日)」を発刊、全国ネットのテレビ局「独立テレビ」を開局する。欧米から「ロシアの言論の自由の象徴」ともてはやされた。

 
1996年の大統領選挙ではエリツィン再選に重要な役割を果たしたが、その後はプリマコフの「祖国・全ロシア」を支援する。2000年1月には「全世界ユダヤ人議会」の副議長に選出される程、人脈は国際的に広くなっていた。しかし、大統領になったプーチンはグシンスキーを民営化をめぐる横領、詐欺容疑で逮捕する。グシンスキーは釈放後、スペインに脱出する。独立テレビとモスト傘下のグループ企業も次々買収され、グシンスキーのロシアでの基盤は消滅した。
 
 
 
 
モスクワのガスプロム本社ビル
 
 
 
 ロシア最大の企業は天然ガスの生産、供給において世界最大となる「ガスプロム」である。生産高は全世界の23%、埋蔵量は38%を占める。その「ガスプロム」はソ連崩壊後に民営化になる。初代社長は元ソ連ガス工業相のチェルノムイルジンだったがエリチェン政権で首相になる。2代目社長はガス工業相の次官だったヴァヒレムが就任するが、ヴァヒレムは放漫経営を続け会社を私物化した。お陰でエリチェン時代は公務員さえ給料が滞っていた。
 
 大統領になったプーチンは早速ヴァヒレムをクレムリンに呼びつける。プーチンは開口一番「お前はクビだ!」「・・・・・」「何か質問があるのか!」「・・・・・」「おい!はっきりしねえか!」「・・質問はありません。」 プーチンはKGB時代の部下ミレルを後任の社長にする。プーチンより10歳も若いが経営能力は抜群で、経営を効率化し収益を増大させる。現在のロシア国家税収の25%は「ガスプロム」によって賄わている。プーチンが大統領になった2000年から原油価格が急上昇したことも幸運だった。


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ホドロコフスキー(1963〜)
 
 
オリガルヒたちが支配していたロシア経済はプーチン大統領登場で元KGB出身者が支配するプーチン体制が築かれようとしていた。しかし、オリガルヒの中でもプーチン体制に待ったをかけたのが若きエリート、ホドロコフスキーだった。ミハイル・ホドロコフスキーはモスクワに生まれ、モスクワ科学技術大学を卒業、共産党青年団コムソモール書記となり科学技術グループを結成した。メナテップ銀行を設立、メナテップグループとして巨大な持株会者を形成した。最も発展した石油会社ユコスを有する大財閥になる。

ホドロコフスキーはプーチンが次々とオリガルヒたちを追放する手法を研究し対策を考えた。ホドロコフスキーは英米に人脈を築き、国際的な体制でプーチンと対抗しようと世界の有力者が集まる社交界にデビューする。首尾よくヤコブ・ロスチャイルド卿の知遇を得て、米政界にも人脈が広がった。ロンドンに「オープン・ロシア財団」を設立、理事にはロスチャイルドやキッシンジャー元米国務長官たちが名を連ねた。


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ヤコブ・ロスチャイルド(1936〜)
 
2001年に同時多発テロが起こり、アフガン戦争そしてイラク戦争が起こった。プーチンはイラク戦争には「アメリカ一極支配」と言って反対した。世界の支配者と繋がることで自らを守ろうとしたホドロコフスキーは世界世論に背を向けたプーチンに対抗し次期ロシア大統領を目指す。アメリカとさらに手を結ぶため、ユコスと米メジャーのシェブロンテキサコとエクソンモービルとの合弁会社を計画した。米メジャーが入ると法的にも治外法権が発生しプーチンも手が出せなくなる。
 
「ユコス問題」はプーチンにとっても正念場になった。「ロシアの基幹産業を売り飛ばすとは何事か!」と怒り心頭のプーチン。「莫大な権益が手に入るぞ。」と喜ぶブッシュ。「ユダヤの力を思い知れ。」とユダヤ系金融グループの元締めロスチャイルドは成り行きを見守る。ホドロコフスキーを追放すればアメリカと全面戦争になるかも知れない。ブッシュの後ろにはユダヤ系金融グループがついている。プーチンは迷った。しかし、「やるんなら、受けてやる。」プーチンは最も厳しい処分を下す。2003年10月、ホドロコフスキーを脱税容疑で逮捕した。裁判にかけ10年間の刑務所送りにした。

〜〜さわやか易の見方〜〜

******** 上卦は天
******** 陽、大、剛
********
***   *** 下卦は水
******** 問題、艱難、悩み
***   ***

「天水訟」の卦。訟は訴訟の訟。裁判、対立すること。人の世は対立がつきものである。個人、集団、国家も意見が合わなければ対立する。しかし争いは決して好ましいものではない。折を見て仲直りすることが大切である。賢者に仲介してもらうのが良い。最後まで争い続けるのは凶である。

東西冷戦が終わり、アメリカは新しい世界秩序を「テロとの戦い」として、アメリカを中心に世界が協力するように求めた。アフガン戦争までは協力したが、イラク戦争では積極的に協力したのはイギリスだけだった。真っ先に反対を表明したのがプーチンだった。ブッシュはプーチンを叩きたかった。ここからブッシュ対プーチンの対立が始まったのである。

戦争が起こるのは大国の首脳たちによるご都合や駆け引きがある。しかし、戦争を起こされる国の国民はタマッタもんじゃない。アメリカは戦争に正義を唱える。イラク戦争でブッシュが「神の加護を」と正当化すると、ヨハネ・パウロ二世は「神の名を用いて人を殺すな。」と不快感を示し、「イラク戦争に正義はなく罪である。」と批判した。

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少年時代のプーチン

プーチンは1952年、レニングラードで生まれた。父は若い時にKGB(ソ連国家保安委員会)にいたこともあるが、戦後は機械技師として鉄道車両を生産する工場勤務だった。母は近所の工場で働く決して裕福ではないごく普通の家庭で、プーチン少年は子供の頃から頭の良いいたずら小僧のようだった。10歳を過ぎた頃、柔道に出会い「柔道は単なるスポーツではなく哲学だ。」と語る程熱心に取り組んだという。

ごく普通の学校に通ったが、少年時代になりたかった職業は「諜報員」つまりスパイだった。中学時代にKGBの支部へ行き、「ここに就職するにはどうしたら良いのですか?」と尋ねた。すると、職員から「ここでは採用試験は行わない。大学で法律を学び、スポーツで実績を上げること。政治、思想、宗教で問題を起こさないこと。」と教えられた。プーチン少年は勉強と柔道に励み、レニングラード大学では法学部で学ぶ。柔道ではレニングラード大会で優勝もしている。


1985年、両親と33歳のプーチン

運よく23歳でプーチンはKGBからスカウトされる。1970年代のソ連は東西冷戦の真っ最中であり、打倒アメリカで国中が一色になっていた。そんな中でのKGB勤務、対諜報活動局、対外諜報部、冷徹な諜報活動を身をもって体験したことだろう。1985年、33歳の時、念願のスパイとなって、東ドイツのドレスデンに派遣される。ゴルバチョフが書記長に就任し、ペレストロイカ政策を開始した年である。1989年のベルリンの壁崩壊を目にし、祖国ソ連の敗北を体験した。

1990年、38歳のプーチンはKGBに辞表を提出する。国が崩壊し、公務員すら失業していく中をプーチンは余程実力を買われていたのか、スピード出世していく。レニングラード大学の恩師サブチャークが市長に当選すると、プーチンは市の対外関係委員会議長に任命された。その後、副市長、ロシア大統領府総務局次長、大統領府副長官、第一副長官、そして1998年にKGBの後身であるFSB(ロシア連邦保安庁)の長官に就任する。スパイを夢見たプーチン少年が45歳にしてその頂点に立った。


KGBの紋章

プーチンは決めたことはまっしぐらに実行する人生を歩んでいる。成長した60年代、KGBで過ごした70年代のソ連を考えると、東西冷戦の中を超大国アメリカに対抗するため全力で戦うことが正義だったと考えられる。経済的にはアメリカに大きく差をつけられ、大半の国民は貧困の中にあり、ろくな食事にもありつけない。KGBでは上官の命令があれば、戦争を仕掛けることもあり、要人を暗殺することもある。プーチンはいかにすれば人は動き、裏切り、喜んで死ぬのかを学んだ。

KGBに入った時には義務により共産党員になったが、共産党員は大半がユダヤ人だった。やがてロシア革命はユダヤ人による革命で、ロシア人は彼らの犠牲を強いられていることを知った。国際情勢と東西冷戦の仕組みも知った。ソ連崩壊と新生ロシアでユダヤ系金融グループが暗躍し、ハイパーインフレが起こりロシア国民が窮乏していくのを目の当たりにした。混乱に乗じたオリガルヒたちが国に群がるハイエナに見えた。「何としても彼奴らを追放してやる。」プーチンは決意を固めた。


クレムリンの眺望
クレムリン

プーチンが大統領になり早速行ったことは、オリガルヒたち全員を集めてロシア経済について会議を開いた。オリガルヒたちはそれぞれ言いたいことを語り始める。しばらく聞いていたプーチンは軍団をぐっと睨んで、「おい、おめえら、人のせいにするんじゃねえぞ。誰も自分の責任を口にしないのか!まともに税金を払っている奴がどこにいるんだよ!あん!」会談の一部始終を生中継で見ていた国民はようやく強い指導者が現れたことを知った。プーチンの支持率は一気に上がった。

プーチンのために政党「統一」をつくり、エリチェンに代わりプーチンを大統領にしたつもりのベレゾフスキーは慌てた。しかしプーチンは例外を許さなかった。ベレゾフスキーは最後の巻き返しを試みる。2000年8月に起こった118人全員が死亡した「ロシア原子力潜水艦クルスク沈没事故」でプーチンが保養地ソチで休暇をとっていた事実をスクープにした。結果はベレゾフスキーが墓穴を掘った。ベレゾフスキーはイギリスへ亡命し、再起を図ったが凋落したまま2013年、謎の死を遂げた。

〜〜さわやか易の見方〜〜

***   *** 上卦は水
******** 
***   ***
***   *** 下卦は地
***   ***
***   ***

「水地比」の卦。比は人が並んでいる形を表し、親しみ協力していることをいう。5番目の爻だけが陽爻であとは全て陰爻で成り立っている。5番目は王の位であり、一人の王を全員が親しみ協力している。独裁者とも言えるが、その独裁者が正しい考えを持っているならば、最も安定した国家になる。一人のリーダーの存在はそれ程大きい。

プーチンはその後、アメリカと敵対することになる。アメリカはメディアを使って、プーチンを世界最悪の悪者だとばかりに喧伝した。日本人にもその影響は伝わり、プーチンこそ恐ろしい独裁者はいないと思う人が多い。かつてソ連のスターリンが独裁者として君臨した姿を思い起こすのかも知れないが、ロシアこそソ連共産党に苦しめられた被害者であることを知らないからである。

安倍首相の招きで山口県の温泉地を訪問したが、到着を30分遅らせ、温泉にも入らなかった。時間を遅らすのは時限爆弾を警戒したからであり、温泉などはどんな危険があるか解らない。KGB出身のプーチンはとにかく用心深い。今までに5回も暗殺未遂に遭っているからである。平和が当たり前の日本人には理解できないだろうが、世界では何が起こるか予想もつかないものなのだ。


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エリツィン(1931〜2007)

ソ連が膨大な財政赤字を抱えて崩壊したのは1991年12月、新生ロシアの初代大統領はエリツィンである。エリツィンはIMF(国際通貨基金)から226億ドルを借りることになった。IMFは貸付の条件として「大規模な民営化」と「バウチャー方式」を勧告した。「バウチャー」とは「民営化証券」と訳されるが、民営化された企業の株式と交換できるという引換券のことである。しかし一般の国民にはよく理解できなかった。

政府は全国民に一定額の「バウチャー」を配った。ところが長い間共産主義だったロシア国民は「バウチャー」の意味も解らず、ただの紙切れとしか感じなかった。そこに目を付けたのが一部のユダヤ人事業者たちだった。「バウチャー」の買い占めに全国を回った。あるユダヤ人事業者はトラックにウォッカを詰め込み、「バウチャーをウォッカ1本と交換します。」と宣伝すると、住民は喜んで交換に応じてきた。こうしてロシアにユダヤ系新興財閥(オリガルヒ)が生まれた。


ベレゾフスキー(1946〜2013)

オリガルヒたちは銀行をつくり急速に勢力を伸ばした。財政難に苦しむ政府に融資しては石油、鉄鉱などの主要産業を次々と民営化していった。およそ時価総額の10分の1で買い取ってしまうので、正に濡れ手に泡の商売である。ソ連崩壊から5年後には全体の75%が民営企業となり、7人のオリガルヒたちが支配したと言われる。その中の一人が「クレムリンのゴッドファーザー」と呼ばれたボリス・ベレゾフスキーである。

ベレゾフスキーは学者を目指したが、43歳のとき事業家に転じた。自動車販売店を始めた頃、ソ連が崩壊した。バウチャーを集めた資金で、テレビ局、ラジオ局、日刊紙、週刊誌を買収、さらに「統一銀行」をつくり、大手石油会社「シブネフチ」を買収した。経済政策に失敗して人気凋落したエリツィンは1996年の大統領選挙では再選不可能と思われた。しかしベレゾフスキーはライバルのオリガルヒたちに「エリツィンが再選されなければ俺たちの権益は水の泡だ。」と結集し、全オリガルヒ支援体制で再選させた。


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プリマコフ(1929〜2015)

以後、エリツィンはベレゾフスキーの傀儡政権になってしまった。ベレゾフスキーはロシア安全保障会議副書記、さらに独立国家共同体執行書記という重要ポストについた。しかし、オリガルヒたちは税金を殆ど払わない。ロシア経済はますます悪化し、1998年には「ロシア金融危機」が起こった。首相のキリエンコに代わり外相だったプリマコフが首相が就任した。プリマコフは諸悪の根源はオリガルヒだとして、検事総長スクラトフとともにベレゾフスキーたちの不正を追及し始めた。

窮地に立ったベレゾフスキー。その頃、頼みのエリツィンは酒の飲み過ぎで体調を悪化させていた。誰か起死回生のホームランが打てる人材はいないものか。1999年2月22日、その日はベレゾフスキーの妻レーナの誕生日だった。いつもなら大富豪らしく豪勢なパーティーをするところだが、この日の来訪者の姿はまばらだった。ところが意外な人物が大きな花束を抱えて現れる。FSB(秘密警察)長官のプーチンだった。


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プーチン(1952〜)

ベレゾフスキーはプーチンを疑った。プリマコフはFSB長官の先輩だからである。「君は何故プリマコフとの関係をややこしくするのだ?」「私は貴方の友人だ。貴方が潔白なのは私が知っている。」そう言ってプーチンはにこりと笑った。窮地に立つベレゾフスキーにとってこの会話は決定的だった。ベレゾフスキーはプーチンを次期大統領にしようと決めた。ベレゾフスキーはプーチンに言った。「君は大統領になる気はないか?」「大統領?とんでもない。そんな柄じゃありませんよ。」「じゃあ、何が望みなんだ?」「私はベレゾフスキーになりたい。」二人は固い握手をした。

プリマコフの政策は成功し、ロシア経済は初めてプラスに転じ、ベレゾフスキーをポストから降ろした。しかしベレゾフスキーはエリツィンにプリマコフを解任させプーチンを首相にさせた。プリマコフは共産党委員長のジュガーノフと手を結び次期大統領の最有力候補になるが、ベレゾフスキーはプーチンを支える政党「統一」をつくった。任期満了前にエリツィンは健康悪化で引退、大統領代行になったプーチンが2000年3月の大統領選挙で正式な大統領になった。

〜〜さわやか易の見方〜〜

******** 上卦は火
***   *** 太陽、明知
********
***   *** 下卦は地
***   *** 大地、大衆
***   ***

「火地晋」の卦。晋は進む、昇進する。太陽が地上から昇っていく象である。順調に昇進していく様でもある。何をやっても上手くいく。幸運に恵まれた者は遠慮なく能力を発揮すれば良い。ただし、周囲への感謝を忘れないことである。何が起こるか解らないのが私たちの人生である。

ソ連が崩壊した時に、IMF(国際通貨基金)は「バウチャー方式」を勧告した。これはどんな目的があってしたことだろうか。始めからロシア国民がバウチャーなど解らないことを承知の上で勧告していると思う。ということはIMFはますますロシアを混乱させ金融危機を起こさせるのが目的だったのではないだろうか。IMFからは絶対に融資を受けてはいけないということである。

プーチンとベレゾフスキーの関係はナポレオンとポール・バラスとの関係に似ている。ポール・バラスは「悪徳の士」と呼ばれ、散々不正はしたが、恐怖政治のリーダーだったロペスピエールを仲間と共謀して逮捕、処刑した。お陰で恐怖政治が終了したのだ。また無名だったナポレオンを引き上げたのもポール・バラスである。権力は平穏なところには存在しないようだ。


EUの拡大と試練

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チャーチル(1874〜1965)

ヨーロッパの歴史は戦争の歴史と思われる程、ヨーロッパ各国は戦争でしのぎを削ってきた。それが20世紀になって二度の大戦争を経験し、もう二度と戦争はしたくないという厭戦気分が起こったのも当然だろう。戦争をせずにお互いが協力すれば経済的にも安全保障の上でも良いことに決まっている。1946年に、ウィンストン・チャーチルは「ヨーロッパ合衆国構想」を唱え反響を呼んだ。

フランスとドイツの国境側にあるルール地方は石炭と鉄鋼の生産地であり、いつもこの地方を巡って戦争になっていた。1951年、この地方にフランス、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、西ドイツの5か国は「欧州石炭鉄鋼共同体」という共同体を設立する。さらに、1957年には「欧州経済共同体」と「欧州原子力共同体」が設立された。1967年にこの三つの共同体が「欧州諸共同体」という一つの共同体になった。


ベルリンの壁崩壊(1989年


ヨーロッパ各国は全て陸続きであり、国境も道路で繋がっている。パスポートも要らず同じ通貨であれば便利である。人、物、金が自由に移動出来れば大きな利益を得られる。紆余曲折はあったが徐々に加盟国が増え、共通の通貨制度も論じられるまでに拡大していく。1973年にデンマーク、アイルランドが、1981年にギリシャが、1985年、スペインとポルトガルが加盟した。1986年には欧州旗が各機関で使用されることになった。

1989年、東ヨーロッパ諸国の政変、ベルリンの壁が崩壊する。ドイツは再統一され、東側諸国にも共同体加盟のドアが開かれた。1993年、12か国の加盟で、欧州共同体に外交、内務を加えた三つの柱からなる欧州連合(EU)が発足した。同時に単一通貨「ユーロ」発行が決議された。欧州中央銀行が設立され、1999年、ユーロが導入される。2002年1月、念願のユーロの紙幣と硬貨の一般流通が開始され、旧通貨からの移行が始まった。


ギリシャ・パルテノン神殿

EUは一方で、加盟国の外交、安全保障政策にも取り組んでいかなければならない。ヨーロッパには火薬庫といわれるバルカン半島も抱えている。1990年代にはユーゴスラヴィア紛争が起こり、複雑な民族問題にEUがどこまで介入し紛争を解決出来るかが問われる。1999年には「アムステルダム条約」にて、雇用問題や自由、安全保障、司法政策についても機能するべく進化させた。

各国間の国民性の違いもあるし、経済格差の問題もある。2010年の「ギリシャ危機」ではEUの改善指摘に対してギリシャ政府の出した3か年財政健全化計画は余りにも楽観的だった。その結果、外国為替市場ではユーロが下落し、各国の株価まで下落してしまった。EUはギリシャに対し支援の条件として増税、年金改革、公務員改革、公共投資削減など厳しい緊縮政策を求めたが、ギリシャ政府の動きは遅い。ギリシャの国民投票では「緊縮反対」「ユーロに残りたい」である。


メイ英首相

EUの基本は人、物、金の移動自由であるので、東欧を加盟国にすると東欧から経済的に豊かなドイツやイギリスへの移民が急増した。フランスでも移民が増え、自国民の失業率が高まる問題も出てきた。また中東情勢の悪化を受け、リビアやシリアからの難民問題は各国をさらに悩ませることになった。その上、移民と称してテロ組織が入国した事実もあり、各国はその予防対策が政局を左右、移民を拒絶する政党が勢力を拡大しつつある。

2016年、世界を驚かせたのはイギリスの国民投票でEUの離脱が決まったことである。移民の増加によりイギリスの文化、コミュニティ、職場が奪われているという理由でイギリス国民は離脱を選択した。数々の試練を乗り越えながら拡大してきたEUが最大のピンチに立った。世界のグローバリズムから各国のナショナリズムへの方向転換になるのか、EUだけではなく世界中が今後の行く末を考え始めた。

〜〜さわやか易の見方〜〜

***   *** 上卦は沢
******** 喜び、親睦
********
***   *** 下卦は地
***   *** 従順、大衆
***   ***

「沢地萃」の卦。萃(すい)とは人や物が集まることである。草や木が群生している象からきている。ちょうど砂漠にオアシスがあるように旅人や動物たちが集まってくる。平和や繁栄は人々の調和があればこそ得られる。指導者たるものは天や祖先に感謝を捧げ、自分の力を過信せず、傲慢を戒めねばならない。

ヨーロッパを一つにするという夢に過去二人の英傑が挑戦した。16世紀に出たハプスブルグ家のカール5世と19世紀に出たフランスのナポレオンである。カール5世は宗教対立によって果たせなかった。ナポレオンはロシアの冬将軍に敗れた。「ヨーロッパ合衆国」の夢は実現できるだろうか。国民性の違い、経済レベルの違いを超えて、統一する大政治家が出現するだろうか。

かつては世界の中心はヨーロッパであったが、現在はアメリカ、ロシア、中国の陰に隠れている存在になった。ヨーロッパ全体が一つになれば、新しい世界が始まるだろう。その前には人類が衝撃を受ける程の大試練があるかも知れない。何が起こるか解らないのが人類の歴史である。その時、日本はどんな役割を果たすのだろうか。何が起こってもあわてない精神だけは持っていたいものである。





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