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江戸無血開城の大舞台の前に大ドラマを演じた幕臣・山岡鉄舟(1836〜1888)
鉄舟は高橋泥舟にも勝るとも劣らない程の槍と剣の使い手であり、精神修行のため座禅にも打ち込んで剣禅一如の人物である。身長190cmの巨漢でもあった。
鉄舟は生き物を殺すことを嫌ったため、道場にはネズミがのさばった。座禅を組んでいた鉄舟のひざや肩にまで乗ってきたという。時々「えい!」とするどい気合をかけるとネズミは動けなくなったという。
修行三昧でさしたる活躍も見せなかった鉄舟が義兄・泥舟から東征軍の大総督府参謀の西郷隆盛へ慶喜の助命と江戸城無血開城の下交渉を任されたのは、慶応4年(1868)鉄舟33歳のことである。
鉄舟は海舟の手紙を懐に、薩摩藩士・益満休之助とともに駿府に向かった。官軍の陣を通過するときは「朝敵徳川慶喜家来・山岡鉄太郎、大総督府へまかり通る」と大声で呼ばわり、長州軍の前では益満を押したて「薩摩藩士でごわす。総督府にまかり通る」と臨機応変に突破した。
しかし、清水の手前、由比でついに危なくなり「望嶽亭」という茶店に逃げ込んだ。そこの主人・松永七郎平が困り果て用心棒ならと清水次郎長を紹介した。次郎長は大政、小政らの子分とともに駿府・伝馬町の西郷の宿舎まで無事送り届けた。
大総督府参謀の西郷隆盛に面会した鉄舟は臆することなく、西郷に切り込んだ、「朝廷は天下大乱を望まれるや」「ひたすら謹慎して朝命に背かぬと誓う臣下を何故討伐するや」「もしも貴殿と拙者が立場をかえたとしたら主君を他藩に差し出すことに承服なさるか」
武力で幕府を倒し、人心を一新したい西郷であったが、鉄舟の気迫の前に主戦論を和らげざるを得ない。ついに、西郷も折れて勝海舟との会見に応ずることになった。鉄舟は泣いた。泣いて西郷に感謝した。
この鉄舟の心境を易学的に言うならば、「天雷无妄(むぼう)」の初九。「无妄なり。往くに吉」と見る。无妄とは嘘と邪念が全く無い。清廉潔白にして何者をも恐れない心境。
後に西郷は山岡鉄舟を評して語った。
「あんな生命も名誉も金もいらぬ人間は始末に困る。
しかし、始末に困る人でなければ、天下の大事を語る訳にはいかん。
真に無我無私の忠胆なる人とは山岡さんのような人でごわす」
参考・清水次郎長については http://blogs.yahoo.co.jp/kanouyuukou/14597998.html
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