さわやか易

いらっしゃいませ。名画を鑑賞するとき、その背景である歴史を考えてみたい。(猶興)

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慶応4年(1868)3月14日江戸高輪の薩摩藩邸において西郷と海舟は江戸城明け渡しの会談を行うことになる。

実はこれより四年前、西郷は長州征討軍の参謀として勝は幕府軍艦奉行として二人は大阪で会い率直に語り合っている。

そのとき海舟は西郷に10年前の思い出話を語った。それは長崎海軍伝習所の伝習生であった頃、師のオランダ軍人・カッテンディーケとともに薩摩藩を訪れ藩主の島津斉彬の知遇を得たこと、開明的な殿様の考えに脱帽した話である。

西郷にとって前殿様・斉彬こそ生涯の恩人である。海舟の話には感動した。二人は意気投合した。その時海舟は「今の幕府にはもう人材がいないのだ。」とまで語った。暗に倒幕を促したとされる。

その時の印象を西郷は大久保利通への手紙の中で「勝先生にひどく惚れ申し候」と書いた。海舟はその後「自分は今までにおそろしい人物を二人見た。横井小楠と西郷隆盛だ」と語っている。

方や征討軍・大総督府参謀、方や徳川幕府・陸軍総裁として再び相まみえる事になった両雄。二人はどんな会談をしたのだろうか。

西郷には260年続いた幕府に代わる新政府樹立の明確な意思がある。日本全体が新時代を意識するためにも、しっかりしたけじめが必要である。一方、海舟には将軍家、千人の大奥、3万人の幕臣たちの名誉と将来がその肩にかかっている。

二人の考えの奥には名君・島津斉彬の「挙国体制を作らねば日本は危ない」があったであろう。交渉ごとは人間対人間、最後は「日本のため」に小異を捨てて大同につく大胆な主張と大胆な譲歩で決着したのだろう。

「天火同人」の卦。文明の下に人が集まる象である。二人心を同じうすれば、その利きこと金をも断つ。同心の言はその香り蘭の如きものがある。

「老中と幕臣」を通して彼らに共通した幕府に対する忠誠、奉仕、没我を見ることが出来る。
安岡正篤先生は「日本精神通義」の中で、「個人主義、平等主義、権利主義の西洋思想に対して日本人の精神はある偉大なるものへの感激のうちに己を忘れ、擲ち、捧げていこうとする精神である」といっている。
この日本精神をバックボーンとした「日本人の品格」を彼らの中に発見する。

参考・カッテンディーケについては http://blogs.yahoo.co.jp/kanouyuukou/24590055.html

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