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ワルシャワ王宮前広場
ロシア革命が起きたのは1917年であるが、その後近隣の諸国は悲惨な目に合わされている。とくに強国の狭間に位置するポーランドは常に併合と独立を繰り返す歴史であったが、この時代はロシアからの独立を巡ってソ連と戦争が起っていた。その上、シベリアへ流刑されたままのポーランド人が家族を含め十数万人が飢餓と疫病の中にいた。
1920年(大正9年)「ポーランド救済委員会」の会長・ビエルキヴィッチ女史はせめて親を亡くした子供たちだけでも本国へ送り届けたいと、欧米各国に救いを求めた。しかしソ連とのトラブルを恐れて、ことごとく拒否される。窮余の一策にまだ国交のない日本政府に窮状を訴えた。
外務省は日本赤十字社とシベリア出兵中の陸軍に連絡、異例のスピードで孤児たちを救出することになった。合計765人の孤児たちはウラジオストックから敦賀に運ばれ手厚い保護を受けることが出来た。
民間からも協力者が次々現れ、医師や歯科医師の手当て、熱湯消毒された衣類の提供、飴や菓子もどっさり、散髪を提供する者もいた。到着時には痩せこけていた孤児たちもすっかり元気を取り戻した。
横浜から出発するときは、洋服を新調され、毛糸のチョッキ、玩具、お菓子、バナナの贈り物を貰った。孤児たちは「アリガトウ」を繰り返し、「君が代」を斉唱して精一杯の感謝の気持ちを表した。
祖国に帰った孤児たちはその後の戦争も懸命に生き抜いた。
それから75年経った1995年のことである。日本で阪神淡路大震災があった。翌年夏に震災孤児の30人がポーランド政府に招かれ、3週間、各地で歓待を受けた。
帰国のお別れパーティの席に、歩行もままならない4人のかつてのシベリア孤児が近づいて言葉をかけた。「貴方たちはかつての私たちです。どうか負けないでね。」震災孤児の一人一人に泣きながら花束を手渡していた。
*** *** 上卦は水。
******** 問題、艱難に陥ること。
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*** *** 下卦も水。
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「坎為水」の卦。「習坎」ともいう。一難去ってまた一難。つぎつぎと艱難に陥ることである。状況を変えることは出来ない。勇気を養って困難に立ち向かい、人間を大きくすることだ。
ポーランドはナチス・ドイツの侵攻により、首都は壊滅した。その後再びソ連の支配下となり苦難の時代が続いた。
しかし、ポーランド人の国民性は「一度受けた恩は忘れない国民」である。
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