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野口英世1876〜1928
野口英世と言えば千円札の肖像画、日本人が世界に誇れる偉大な学者である。貧しい会津の農家に生まれ、幼児に手の大やけどを負いながら勉学で医学の道に進む。黄熱病や梅毒等の研究で知られ、アフリカ・ガーナにて研究中に死んだ。受賞には至らなかったが、生前3度もノーベル賞の候補にもなっている。
しかし、ここで紹介する話は、この大学者にも別の一面があったという話である。
世話になった恩人に徹底的に甘えている。最初の恩人は猪苗代高等小学校・教頭であった小林栄先生である。小林先生からは何度も大金を借りたが返していない。
次に世話になったのが、会津若松で開業していたアメリカ帰りの医師・渡部鼎先生。手の手術してもらい、その後書生となり3年半にわたって医学の基礎を学んだ。この時、渡部先生の友人である歯科医師・血脇守之助(現・東京歯科大学講師)と知り合う。この6歳年上の守之助に英世は徹底的に甘えてしまう。
現在も医師になるには大金が必要だが、当時はもっと大変だった。上京した英世は小林先生から戴いた学費と下宿代を使い果たして、守之助を頼って医学院の寄宿舎に潜り込む。学費から生活費まで全て守之助に面倒を見てもらう。守之助の口利きで帝国大学病院にて無償で左手の再手術も受ける。お陰で21歳という異例の速さで医師免許を取得する。
しかし、こうした守之助の庇護のもとにありながら、英世のすることは呆れるばかりである。放蕩癖である。金を持たせると全部使ってしまう。酒、博打、廓遊び、人が変わったように遊び狂う。その度に何度も尻拭いしたのが守之助である。
医師として高収入を得るようになってからも放蕩は治らない。医師としては優秀であったので、北里伝染病研究所から国際防疫班に選ばれ清国へ派遣もされる。しかし、その高額な支度金を放蕩で使い果たしたこともある。
アメリカ・ペンシルベニア大学へ留学のチャンスを得たが、渡航費用がない。たまたま箱根の温泉で医師を志す息女を持つ人物と知り合う。すると婚約持参金目当てにその息女と婚約をすることにした。その持参金と小林先生や守之助が工面したその大切な渡航費を、何と英世は出発前に横浜の遊郭で殆ど使い果たしたという。結局、守之助が出航直前に高利貸から借りて出発させた。
しかも、英世は始めからその息女と結婚する気はない。(結婚詐欺である)結局、この婚約持参金も守之助が返済し、婚約を破棄することになった。
******** 上卦は火
*** *** 文化、才能を表す。
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*** *** 下卦は地
*** *** 大地、万物を育てる環境を表す。
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「火地晋」の卦。地上から太陽が昇る象である。一つの才能が輝くのは無数の支えが陰に存在するのである。
アメリカで英世の才能は開花した。ロックフェラー医学研究所正員にもなり、ノーベル賞候補ともなる。
1915年(大正4年)出国から15年ぶりに帰国をしたときは、日本中で大歓迎を受けた。
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