さわやか易

いらっしゃいませ。名画を鑑賞するとき、その背景である歴史を考えてみたい。(猶興)

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カチューシャの唄。

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松井須磨子。1886〜1919
 
♪ カチューシャかわいや 別れのつらさ せめて淡雪とけぬ間と 神に願いを ララ かけましょか ♪
 
大正時代になって激増したものは、カフェーでありバーである。浅草では活動写真やオペラが大流行。西洋的演劇も大衆の娯楽になるとともに、女優がスターとして登場する。
 
松井須磨子は近代的な俳優養成所を経て誕生した最初の女優である。2度の離婚を経験した新しい女でもあった。世界中に女性解放の渦を巻き起こしたイプセンの「人形の家」のヒロイン・ノラを演じ女優の時代が日本に来たことを知らしめた。
 
劇作家でもあり、早稲田大学の教授でもあった島村抱月が作家の坪内逍遥と始めたのが文芸協会であった。日本の演劇界をリードしていた文芸協会であったが、協会内での恋愛は禁じられていた。しかし、須磨子と15歳年上で結婚し5人の子がいる抱月との恋愛関係が表ざたとなる。
 
ついに二人は新しく芸術座を旗揚げするに至る。スキャンダルは客を集めた。須磨子中心の公演は次々と大ヒット。1914年(大正3年)芸術座が公演したトルストイの作品「復活」は空前の喝采を浴びる。中山晋平の作曲による「カチューシャの唄」は歌う女優として一世を風靡した松井須磨子とともに全国に広まった。流行歌はここから始まったとも言われている。
 
芸術座は日本全国を巡演し、台湾、朝鮮、満州、ウラジオストクにまで足を延ばす。歌舞伎の世界とは違った新しい文化を日本人は喜んで受け入れたのだ。
 
しかし、わずか数年後の1918年秋、須磨子は当時大流行したスペイン風邪にかかった。その風邪が抱月に移り抱月が急逝。須磨子はあまりのショックに2ヶ月後に自ら命を絶った。しかし、二人は夫婦ではない。須磨子は抱月の墓に入ることは出来ない。
 
その後に替え歌が流行した。
♪ 須磨子かわいや 別れの辛さ せめて冷たき亡がらは 同じ所に ララ 埋めてよ。 ♪
 
******** 上卦は火
***  *** 文明、文化を表す。
********
******** 下卦は天
******** 大きなエネルギーを表す。
********
 
「火天大有」の卦。天上にある太陽である。太陽が中天高く昇って、強い光と熱を隅々まで放っている姿である。
しかし、盛運には必ずつまずきの要因が潜んでいるものである。
 
松井須磨子が姿を消すと、今度は銀幕にスターが続々と登場する。
 
粟島すみ子、五月信子、梅村蓉子、柳さく子、岡田嘉子たちである。
 
 

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