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序説
私は安岡正篤先生の「易学入門」にはかねて興味を持ってはいたが、簡単には理解できないだろうと躊躇していた。始めて手にし、驚き、惹きつけられたのは、その序説を読んだときである。
「多少とも東洋の思想学問に志ある人々ならば、易経を読みたいと思わぬ者は無いだろう。儒教、仏教、道教、神道等、いづれの道を進んでも、必ず易に関連を持つし、さういふ専門的研究はしばらく舎いても、人生の経験を積んで、ある年齢に達すると、易を覗いてみたくなるものである。要するに型に嵌まつた、無味乾燥な講壇哲学や、個人の貧弱な経験と頭脳から搾り出した煩瑣な理論文章などでは、どうにも心情が満たされず、民族の歴史に棹さして、永遠の青山白雲を見るやうな、我々の心霊に響く感動の籠ったものを読んで、考えたいと思ふのは、何人もの胸底に在る願いである。さうなると、さしずめ、この易に心を潜めるのが、古来賢者の常であった。それが長く後進にとって堪らない魅力であったのである。」
私は「易に心を潜める賢者」でありたいと願った。それにはこの本をどうしても理解しなければならない。さらにこの序説には「この深山幽谷に遊ぼうとする人々の為に一人の強力の役を自分で行ってみよう、近代の教育・学問で育った人々が何とかついて来れるやうな入門書を作ってみようと、かねて志した」とある。「何とかついて来れるやうな入門書」を作ってくれたのである。ついていけないでどうする。何とかついていかねばならない。
先生がこの本を世に出したのは、主宰する全国師友協会が組織された時期でもあり、先生は多忙を極めていた。そんな状況の中、「暇を作っては諸書を渉猟し、メモを書きつけたりしている中に、いつしか数年を経過して、備忘のノートが徒に重なるばかりだった。」昭和35年、安岡先生が63歳の時に執筆にかかる。昭和35年といえば、日米安保条約の改定をめぐり与野党の対立が頂点に達し、デモ隊が国会を取り囲んだ時期でもある。
先生は「余りに世情の言論行動が狂躁を激しくするにつれて、その中に明け暮れする生活に、いかにも疲れと荒みを覚えて、ふと自分自身の内面的摂養の為にも、かねての企画を実行しようと一念発起した。」さう決心して、「8月強引に談判される諸行事を喧嘩腰で一切謝絶し、靖国寺を下山して、深更東京に帰省したその夜半から始めて、この易学入門の執筆にかかった。」とある。
「すでに疲労が積もっている上に酷暑で、構想や叙述がうまく捗らず、そこへ煩はしい人事がやはりつきまとって、最初は到底だめかと思ったが、疲れては少睡をとり、或は夜中の2時3時まで、或は未明の3時4時から起座して、精力を傾注」「心中・ひそかな楽しみを抱いて行ることであるから神気は冴えるが、肉体はさすがに憔悴した。」いかに困難な状況下の中でこの本が出来たことであろうか。
「丁度易学研究の一種の濃縮エキスを予定の通り8月一杯で書き上げることができた。」先生のこの孤軍奮闘ぶりに頭を下げるしかない。序説の終わりには「元来易は政治外交の道であり、それは結局倫理道徳に帰し、その人間の倫理道徳は畢竟偉大な自然の法則と合致すべきことを明らかにしたもの」「人生の万華鏡を解釈する妙理である。」先生を師と仰ぐ者は、先生に一歩でも近づきたいと思う者は、この「易学入門」はどうしても理解せねばならないと思った。かくして先生が不眠不休の一月で書き上げたこの本を、何とかものにしようと20年以上を既に費やしている。
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