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親分、ルーズベルトが日本と戦争をしたがった理由が段々解ってきましたよ。整理してみると、1、日露戦争後に日本の脅威を感じたセオドア・ルーズベルトが「オレンジ計画」を作って将来の仮想敵国にしていた。2、共産主義を受け入れたため共産主義者が政府内に入り込んできた。3、世界大恐慌から抜け出すために「ニューディール政策」を行ったが、本当の経済復興には戦争が必要だった。
そうだな、「オレンジ計画」はアメリカのものだが、日本を仮想敵国にしたもう一つの国があるぞ。
日本を仮想敵国にですか?あれ、どこですか?
馬鹿、気が付かないのか?ロシアに決まっているだろう。日本人はお人好しだから直ぐ忘れてしまうんだ。原爆を落とされても、ちょっと経つと恨みを忘れてしまうんだが、一度やられたらいつまでも恨みを忘れない国だってあるんだぞ。それがロシアよ。
スターリン(1878〜1953)
そうですね。日露戦争で負けた方は忘れないでしょうね。
戦争に負けたばかりじゃなくて、ロシアはそれがきっかけでロシア革命が起こり、ロマノフ王朝が崩壊したんだ。ソ連になったってかつての恨みは忘れはしないさ。何しろ無敵艦隊と言われたバルチック艦隊が東洋の島国に負けたんだからな。それまで日本なんてどこにあるか一般の人は誰も知らない位ちっぽけな存在だったんだ。
そうですよね。そうなると、日本はロシアとアメリカ、両方からいつか潰してやろうと狙われていたという訳ですね。当然、中国も恨んでいたでしょうから、四面楚歌だったということになりますね。
まあ、そういうことだ。ところが日本人はお人好しだから、こっちがニコニコしてれば、相手もニコニコしていると思っているんだ。博愛主義も良いのだが、気を弛めちゃいけないよ。ところで、ソ連のアジア政策なんだが、中国共産党には結構力を入れているんだ。これも最終目的は日本の共産化だったんじゃないかと思っているよ。それも一度完全に潰した末に共産化してソ連に跪かせるつもりだったと思う。
成る程、そのためにアメリカは利用された訳ですか?
スターリンにして見れば、ルーズベルトなんか赤子のようなものさ。しかもすっかり言うことを聞いてくれ、着々と目的に近づいていたんだ。終戦間際にルーズベルトが急死してしまったんで、予定が少し狂った。俺はそう思っているんだ。
じゃあ、ルーズベルトがもっと長生きしていたら、日本はもっと大変な目に遭いましたね。
その通りだ。寸でのところで日本は命拾いをしたということだな。
北方領土を取られた位じゃ済まなかったんですね。
北方領土どころか日本中が北方領土になってしまったかも知れないんだ。
それ程、ルーズベルトはスターリンの言いなりだったんですか?
ヤルタ会談
ヤルタ会談はスターリンとルーズベルトとチャーチルの三者会談なんだが、殆んどスターリンの言いなりだっただったみたいだぞ。まともなのはチャーチル一人でチャーチルは苦労したと思うな。チャーチルはもともと中国や日本なんかには関心はなかったから、ポーランドとかギリシャとかバルカン半島での自由主義を守るのに精いっぱいだったからな。まず日本はスターリンの思うがままだったと思う。
日露戦争の恨みがありますからね。そう言えば、ソ連は原爆投下後の終戦間際にいきなり宣戦布告して、満州に居た日本人を兵士も民間人も100万人位シベリアに抑留するんですよね。散々、強制労働をさせて、飯もろくに食わさないで、30万人位餓死したり、凍死したりしましたね。まったく許せないことですが、これも日本人への復讐なんでしょうね。
スターリンにして見れば、その位なんでもないさ。自分の国民でも反対する奴はどんどんシベリア流刑にするんだから、日露戦争の敵だったらその位は平気だよ。まだ足らないくらいだろう。
成る程、戦争を考える時は、何十年も前からの歴史を考えないといけないということですね。
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さわやか易・親分と姐さん編
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今の世の中、ストレスが溜まる様なことばかりで面白くない。 「さわやか親分」はセコセコ損得ばかり云ってる奴が大嫌い。 「さわやか姐さん」はチャラチャラした男と女が大嫌い。 二人の話を聞いて「そうだ。」と言ってくれたら嬉しいね。 ストレス発散のため、言いたいことを言わせて貰います。(猶興)
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親分、日露戦争後のオレンジ計画は解ったんですが、それでもF・ルーズベルトが日米戦争を望んだのは、何か差し迫った理由があるんじゃないでしょうか?例えば経済問題とか?
大有りだな。いくらルーズベルトが日本嫌いと言ってもそれだけじゃ戦争まではしないさ。知ってるだろうが、アメリカは1929年に暗黒の木曜日を境に大恐慌に見舞われたんだ。世界中を巻き込んだ世界大恐慌なんだ。
その大恐慌の影響でドイツにはヒトラーが登場し、ナチスドイツが政権を取ったんですよね。
家を失い流浪の民となった家族
少し前まで「永遠の繁栄」を誇ったアメリカが街中に失業者であふれる世界一の大不況の国になったんだ。アメリカはまるで地獄の体験を味わうことになったんだ。因みに日本も「大学は出たけれど」の失業者が問題になって大変だったけれど、日本での失業率は7%で失業者は49万人だったんだ。ところが、アメリカの1933年の失業率は25%で失業者は1200万人なんだ。
日本も大不況で二二六事件なんかがあったりで大変だったんでしょうが、アメリカはもっと酷かったんですね。アメリカに比べれば、日本の失業率は大したことじゃなかったんだ。
高橋是清(1854〜1936)
大恐慌の影響は世界中に広がり深刻だったんだが、日本の大蔵大臣だった高橋是清が思い切った公共事業を出して、先進国の中では一番早く恐慌から抜け出したんだぞ。確かに日本の不況も深刻だったんだろうが、世界中が大不況だったことを考えれば、もっと日本の政治家たちを信じて我慢するべきだった。
高橋是清と言えば、二二六事件で暗殺されたんですよね。有能な政治家を暗殺してしまうなんて青年将校たちも馬鹿ですね。
本当だ。人間も国家も同じで、もう少しの辛抱というのが出来ないんだな。ところでアメリカの不況状態は建国以来の大ピンチだったんだ。時の大統領フーヴァーは始め自然に任せて置けば回復するものだと何も手を打たなかったが、やがて「スムート・ホーリー法」を打ち出した。これは国内産業を保護する目的で、外国からの輸入品に40%の高率関税をかけたんだ。すると各国のアメリカへの輸出は伸び悩み、その報復に各国も輸入品に関税をかける。結果的に世界恐慌はますます深刻化して行ったんだ。
フーヴァー大統領の次がルーズベルトなんですね。ニューディール政策で経済を立て直しを謀り、大不況から脱するんですよね。
世界中が大恐慌の時に、唯一ソ連だけが共産主義だったので、不況とは無縁だんたんだ。ルーズベルトに限らずアメリカの政治家はみんなソ連に習えということになった。そんな状況の中でルーズベルトはソ連に習い、スターリンを讃美したんだ。スターリンも前からアメリカの共産化を狙っていたから、歓迎して共産主義を勧め、共産主義者をアメリカ政府にどんどん採用して貰ったんだ。
ソ連からアメリカ政府に派遣したんですか?
アメリカ人にも共産主義者は沢山いたんだよ。日本でもそうだが、当時知識人というか高学歴の人で共産主義を学ばなかった人はいない程、誰でも勉強したんだ。大恐慌の反省から資本主義は限界だ。これからは共産主義の時代だという風潮が広まっていたんだ。それ程、大恐慌の影響は酷かったんだ。それを理解しないとルーズベルトの間違いは解らないよ。
ルーズベルトの共産主義讃美を批判する政治家はいなかったんですか?
ハミルトン・フィッシュ(1888〜1991)
ルーズベルトは民主党だよ。前大統領のフーヴァーや共和党の党首ハミルトン・フィッシュなんかは「ルーズベルトの共産主義歓迎は危険だ!ソ連を近づけちゃいけない!」と繰り返し警告したんだ。ところがその声は無視されたんだよ。
どうしてですか?
「大恐慌への政策を誤って国民を地獄に突き落としたのはお前たち共和党じゃないか。共和党の言うことなんか聞けるか!」と言って、誰も耳を貸そうともしなかったんだ。実際にソ連から学んだ「ニューディール政策」で経済は立ち直ってきた。しかし公共事業を出しただけじゃ、本当の回復にはならないんだな。
それはそうでしょうね。それでルーズベルトはどうしたんですか?
答えは戦争だよ。ヒトラーが戦争を始め、どんどん広がっていた。イギリスのチャーチルからも参戦を要請してきた。後はどうやってアメリカ国民に火をつけるかだ。そこで兼ねての「オレンジ計画」を実行しようとしたんだろうな。
成る程ねえ、やっぱり経済なんですね。極端な不景気を体験すると人間というのは冷静さを失くすんですかね。どんな時も極端な偏りというのは危険なんですね。それにしても日本は大したものですね。日本には共産主義は入って来なかったのですか?
いや、入って来たんだ。でも最も歯止めになったのは天皇の存在だな。日本人は最終的には天皇を守らねばいけないと自制が働くんだ。そのお陰で、天皇を否定する共産主義を食い止めることが出来たんじゃないか。
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親分、今日はアメリカのF・ルーズベルトの話をしましょう。F・ルーズベルトが日米戦争を起したがっていたということなんですが、特別な理由があったのでしょうか?
基本的に日本人が嫌いだったみたいだなあ。好きとか嫌いとかはどうしようもないよ。理屈じゃないんだから。優生学的に日本民族は劣っている民族だと信じているんだから、どうしようもないな。
そんなこと言って戦争をするなんて大統領として許されるもんじゃないでしょう。アメリカ国民だって馬鹿じゃないんですから、それじゃ大統領じゃないでしょう。何か根拠があるんじゃないですか?
日本人をいつか潰さなきゃいけないという考えはアメリカの軍部には前からあったのさ。1905年に日露戦争があって、その仲介をしたのが大統領のセオドア・ルーズベルトなんだ。
セオドア・ルーズベルト(1858〜1919)
知っていますよ。ポーツマス条約ですよね。
セオドア・ルーズベルトはそれまでは日本びいきだったんだが、ロシアを破った島国・日本にものすごく脅威のようなものを感じたんだ。ロシアが満州に建設していた鉄道をそのまま日本が受け取ることになった。鉄道の権益は大きいんだ。放っておくと、日本はどんどん中国に進出してしまい、取り返しがつかなくなるんじゃないかと恐れたんだ。そこで鉄道建設を日米で共同開発しようと考えたんだ。
ヘンリー・ハリマンのことですか?
そうだよ。鉄道王ハリマンだ。よく知ってるじゃないか。当時に日本の首相は桂太郎だった。日露戦争で金を使い果たした日本にとって、アメリカとの共同開発は良い話だったので、桂も伊藤博文、井上馨も渋沢栄一もその提案に賛成し、「桂・ハリマン仮条約」まで交わしたんだ。ところがそれに大反対を唱える男がいたんだよ。
誰でしょうか?
小村寿太郎(1855〜1911)
外務大臣だった小村寿太郎なんだ。小村はポーツマス条約を日本全権として交渉にあたった外相なんだが、ロシアから一銭の賠償金も取れなかったとして弱腰外交と散々叩かれたんだ。本当はセオドア・ルーズベルトも驚く位強硬な姿勢で交渉に当たったんだが、ロシアの全権ウィッテの方が一枚上だったんだな外交は。それにルーズベルトもロシアに味方をしたと小村は思ったのかも知れない。そこでせっかく獲得した鉄道を共同で開発するなどもっての外だとばかりに猛反対してとうとうその仮条約を反故にしてしまったんだ。
アメリカ側は怒ったでしょうね。
相当怒ったみたいだな。そんなこともあり、日本に対して脅威を通り越して、敵愾心を持ったんじゃないかと考えられるんだ。その証拠に、セオドア・ルーズベルトは日本を将来倒すべき仮想敵国として「オレンジ計画」なるものを軍隊に作らせているんだ。
1905年が日清戦争ですから、日米戦争のおよそ35年位前ですね。その頃フランクリン・ルーズベルトはいくつ位でしょうか?
F・ルーズベルト(1882〜1945)
フランクリンは1882年生まれだから20代の前半だな。ちょうどハーバード大学で政治家を志して勉強中だからセオドアの影響は強く受けていただろうな。セオドア・ルーズベルトは一族の誇りだったろうからな。
成る程ね、単なる日本嫌いだけじゃなくて、アメリカにとって日本は目の上のたん瘤のように考えていたんでしょうか。そうなると、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いで、日本人が優生学的に劣っているとか何とか次々理由をつけて日本を悪者に仕立てていったんですね。
それとルーズベルト一族はアメリカでも名門一家だからな。名門一家というのは教育にしても一般人とは違って、常に優秀な人とばかり接しているから庶民感覚のようなものがないんだ。どうもエリート意識の強い奴は身分の低いものを馬鹿にする傾向にあるんだ。だから黒人だとかインディアンとか有色人種への差別意識があるんだろうね。有色人種の日本人が先進国のように振る舞っているのが面白くないんだろう。
成る程ねえ、アメリカに比べれば日本は小さな国なんですが、アメリカには脅威と写った時期もあったんでしょうね。ということは日本という国は凄い国だってことですね。戦前も戦後も日本はアメリカにとっては友好国以外ではないんですから共存共栄の関係じゃなければいけませんよね。
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チャーチルの大誤算なんだが、もう一つ大誤算をしたんだが何だと思う?
もう一つの大誤算ですか。何でしょうか?
それは日本だよ。この大誤算のためにイギリスは全て植民地を失うことになったんだ。
そう言えばその通りですね。日本軍がアジアにあるイギリス、フランス、オランダの植民地を全て占領下に置いたんですよね。それが終戦後、みんな独立運動を起してもとの植民地には戻らなかったんですよね。
山本五十六(1884〜1943)
まあ、そうだ。日本軍が真珠湾攻撃した日にチャーチルは感激するほど喜んで、ルーズベルトに電話で礼を言ったそうだ。その夜はぐっすり眠ることが出来たと言っている。「これで戦争に勝てる。」と確信したそうだ。日本軍はアメリカが参戦すればあっという間に木っ端みじんにされると思っていたんだろうが、そんなに急にはアメリカ軍も反撃は出来ないもんだ。
日本軍は結構強かったんですね。
その通りだ。半年間だけどな。ミッドウェー海戦で敗北するまでは日本軍の電光石火で瞬く間に東南アジアを全て占領したんだ。イギリスが統治していた香港、シンガポール、マレーシア、ビルマなんかからイギリス人は慌てて本国へ逃げて行ったんだ。イギリスが誇る軍艦「プリンス・オブ・ウェールズ」なんか真珠湾の2日後12月10日に撃沈されているんだぞ。
「プリンス・オブ・ウェールズ」と言えば、チャーチルがルーズベルトと会見した時に使った軍艦ですよね。
そうだよ。会見からたった4か月後のことだよ。
チャーチルも何とかアメリカに参戦して貰おうと必死だったんでしょうが、日本軍がこれほど強いとはびっくりしたでしょうね。ところで日本軍のお陰で独立が出来たアジア諸国は日本に感謝しているでしょうね。
そう簡単じゃないよ。日本は「大東亜共栄圏」の建設を大義名分としてアジアの独立開放を唱えてはいたが、何しろ戦争中だ。実際は現地の石油その他の物資調達が目的だからな。現地ではイギリスより酷い扱いを受けたと恨んでるところもあるさ。しかも終戦後はもう一度イギリス人やオランダ人が巻き返しに来ているんだ。
そうですか、じゃあ、喜んでばかりじゃないんですね。でも独立への第一歩というか独立へのきっかけにはなりましたよね。
その通りだ。その事情の解る現地人は皆日本に感謝している。ところで最も感謝しているのはインド人なんだな。インドでは第一次世界大戦いらいガンジーを中心に独立運動が盛んだったが、イギリスは最重要植民地としてそれを許さなかったんだ。独立運動家のチャンドラ・ボースは戦争が始まると独立のチャンスだとしてドイツ、イタリアで協力を要請していたんだよ。
チャンドラ・ボース(1897〜1945)
チャンドラ・ボースですか、以前に安倍首相が記念館を訪問したことがありましたよね。
そうだ、そのチャンドラ・ボースが日本へ来て協力を申し出るんだ。失敗はしたんだが、インパール作戦には日本軍にインド国民軍も参加させたんだよ。中々の人物で東条英機なんかもほれ込んでいたらしいよ。インド人には国民的な人気が今でもあるらしいよ。
そうですか、終戦後にインドは独立を果たすんですよね。そう言えば、東京裁判で終始日本をかばって、「戦勝国の一方的な裁判で、認められない。被告は全員無罪だ。」と一人で奮闘してくれたのは、インドのパール判事でしたよね。200年もイギリスの植民地だったインドが独立するきっかけを作ってくれた日本への感謝だったんじゃないでしょうか。
そうだよ。だからチャーチルが日米戦争で大喜びしたのは、もう一つの大誤算だったという訳さ。戦争の影響はどこに繋がっていくのか解らないもんだ。
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親分、それでは「ヤルタ会談」までのチャーチルにいきましょうか。
そうだな、ドイツが攻撃先をソ連に替えたんで、取り敢えずチャーチルは命拾いをした。そこまで行ったんだな。
ロンメル将軍(1891〜1944)
そうです。ただドイツとの戦争は終わった訳ではなく、エジプトやギリシャの地中海方面に移るんですね。北アフリカ戦線ではドイツの名将軍ロンメルに散々敗北し、苦労するんですがどうにかエジプトだけは守ったんです。
地中海ルートのエジプトはイギリスの生命線だからな。そうしてるうちに独ソ戦が始まるんだよな。
そうです。ドイツの敵はイギリスの味方ですから、チャーチルはスターリンに協力を約束するんですね。でも心ではソ連を敵と思っているんで、形ばかりで実際は動かないんです。ソ連の大使から「フランスに軍隊を出して西から攻めてくれ。」とスターリンの意向を伝えるんですが、アフリカが重要でその余裕がないと言って断っているんです。その後アメリカのルーズベルトからも言われるんですが、44年のノルマンディー上陸作戦までは断っているんです。
チャーチルとルーズベルトの考えは違っていたんだな。
そうです。実はチャーチルはルーズベルトの本心を知ってびっくりしたことがあるんです。
ほう、それはどういうことなんだ?
チャーチルは共産主義の脅威を最も恐れていましたよね。当然アメリカのルーズベルトも同じだと思っていたんです。ところが独ソ戦が始まって、ルーズベルトとカナダに停泊中の艦船プリンス・オブ・ウェールズで会見した時にルーズベルトが恐ろしくソ連寄りで共産主義を讃美しているんです。これはチャーチルにとっては大誤算だったんです。
成る程なあ、考えられるのは1929年の大恐慌だな。あの大恐慌でアメリカは大失業者時代というか、建国以来の混乱を味わったんだ。その時、ソ連だけが資本主義の圏外だった為に無傷だったんだな。だからルーズベルトに限らず政治家は皆共産主義を資本主義より一歩進んだ政治体制だと考えたんだ。当然ルーズベルトもそこから学んだんだろう、ニューディール政策なんかはそこから学んだのかも知れないな。
そうですかね。兎に角、期待していたアメリカがソ連寄りなんで、それからの交渉が大変だったみたいです。それにチャーチルは大英帝国のプライドを持っていましたので、ルーズベルトはもっと敬意を示すだろうと思っていたところ、ルーズベルトはまるで親分のような態度だったんです。戦争中は軍事力がある方が交渉でも優位に立つんですね。
そうか、百戦錬磨のチャーチルにはたいていの奴はひれ伏すと思うのだが、そうはいかなかったんだ。
アメリカに参戦してもらいたいチャーチルは始めから足元を見られていたんでしょう。でも日本への経済封鎖だけは同意を取り付けました。しかし日本への参戦はチャーチルより前にスターリンからの要請があったみたいでルーズベルトは始めからその気になっていたんだと思います。
成る程なあ、スターリンの謀略は着々と進んでいたということだな。そう言えばルーズベルトの側近にも共産党員がいたというじゃないか。
そうなんですよ、ルーズベルト大統領在任中の12年間に何と300人以上の共産党員が政府内に入っていたというのです。日本への最後通告であるハル・ノートの作成にも関わったとされるハリー・ホワイトは共産党員でソ連のスパイだったんです。
じゃあ、ルーズベルトは完全にスターリンの手のひらにいたようなもんだ。
ヤルタ会談の三巨頭
ようやくテヘラン会談とヤルタ会談の話になりますが、チャーチルはいつもスターリンとルーズベルトの二人に話を押し切られてしまったようです。大英帝国もソ連とアメリカの前には没落した小国に感じたそうです。会談後に私書にもらした言葉に、「我が国が小国に堕ちたことを思い知らされた。会談にはロシアの大熊、アメリカの大牛、そしてその間にイギリスの哀れなロバが座っていた」とあるんです。
チャーチルがドイツと戦うためにアメリカに頼ったのは大きな誤算だったということなんだな。ドイツには勝ったがイギリスは全てを失ってしまったからなあ。なんのための戦争だったのかチャーチルも悔いが残っただろうな。
戦後、チャーチルは第二次世界大戦は必要なかったと何度も言っています。そのために世界中で何千万人が犠牲になっているんです。必要のない戦争に何で人類は飛び込んでいくのでしょうね。
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