さわやか易

いらっしゃいませ。名画を鑑賞するとき、その背景である歴史を考えてみたい。(猶興)

明治からの日本

[ リスト | 詳細 ]

私はこれまで歴史と言えば、幕末にしか興味がありませんでした。
しかし最近になって、明治、大正、昭和の近現代史に興味が沸いてきました。
自分の不勉強もさることながら、戦後の教育にはこの肝腎な明治時代以後の
歴史教育が欠如したままではないでしょうか。
現在の政治も経済も国際問題も、この近代の歴史を知らずして語れるものは何も無いでしょう。
今更迂遠な話ではありますが、明治以後の人物と向き合いながら、
現在の日本のあるべき姿を考えて見たいと考えた次第です。
もし良かったら一緒に考えて頂けましたら幸いです。(猶興)
記事検索
検索

全12ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]

 イメージ 1
曾国藩。1811〜1872
 
 明に替わって中国全土の支配を確立させたのは1644年である。18世紀には康熙帝、雍正帝、乾隆帝の3代に最盛期を迎えた。清はもともと漢民族ではなく、満州民族であり征服王朝ではある。しかし、元とは違い漢の文化を尊重したので興隆する。
 
政治も漢満偶数管制といって漢人と満州人のバランスを考えて行っていたので、比較的平和に推移した。歴代皇帝は文化事業としては、「康熙字典」「四庫全書」などを文人たちを集めて創らせている。
 
外交は中華思想に基づいて、皇帝が天下を支配し、周辺諸国の王たちは貢物を献上する。お返しに皇帝は王位や官位を授与(冊封=さくほう)するという冊封体制を行っていた。全盛期の清国は人口4億人(全世界人口12億人)、GDPの3分の1を占める超大国であった。
 
しかし、19世紀になると人口の爆発的増加、、自然災害、官僚の腐敗、財政赤字の拡大などの問題が山積し次第に繁栄も翳りが見え始めていた。
 
そこに産業革命に成功し世界一の工業国となり、フランスのナポレオン軍を制しヨーロッパの覇者となったイギリスが豊かな市場を求めてやってきた。度々の戦争、多くの植民地にかかる経費で財政赤字を抱え、何としても外貨を稼ぐ必要に迫られていた。
 
イギリスは清国のしきたりの朝貢貿易ではなく自由貿易を求めたが、失敗する。手段を選ばず金を稼ぎたいイギリスは常識人たちの反対を押し切り、アヘンの密貿易を議会にかけ通過させた。そして武力による進出を狙う。
 
清が密貿易に抗議し、アヘンを没収、焼却すると早速軍隊を出動させる。1842年、25隻の艦隊を組んで、砲撃しつつ長江に入り、南京攻撃の構えを見せる。
 
これに驚いた清朝政府は英国艦上で和平交渉し、理不尽な英国の最恵国待遇を認め、香港の割譲、上海など5港の開港に応じた。アヘン戦争と南京条約である。なにせ近代兵器を積んだ軍艦上では言いなりになるしかない。
 
アヘン戦争以後、銀が流失し、経済は悪化、飢えた農民が流民となる。その50万の流民を吸収して、「滅満興漢」を掲げて指導者・洪秀全が「太平天国の乱」を興す。
 
太平天国の乱を鎮静化し、この内憂外患の清朝を支えた一人が指揮官・曾国藩である。曾国藩は朱子学者であるが、西洋の進んだ科学技術は学ぶべきであると軍の近代化に尽くした。現在に至るまで中国では尊敬される政治家である。
 
しかし、味をしめたイギリスは侵略をエスカレート。それを知ったフランス、ロシアも侵略を始める。まるで獲物を漁るハイエナを連想させる。
 
そんな時代に日本は明治を迎えたのだ。
 
******** 上卦は天。
******** 繁栄している世界を表す。
********
******** 下卦は風。
******** 下から入り込む意味がある。
***  ***
 
「天風姤(こう)」の卦。陽ばかりの世界に始めて陰が現れる象。平和な時代だと思っているところへ、思いがけず災禍が忍びよってくる。
5人の男を手玉にとるしたたかな女の登場でもある。要注意。
 
西郷は「西洋は野蛮な国だ。」と言った。ある人が「いいえ、文明国です。」すると西郷は「文明国とは相手国に徳を施すものだ。そうはしないで、武力を使い欲しいものを捕って行く。これが野蛮と言わずして何というのだ。」 
 
 
              イメージ 1
金玉均(キムオクキュン)。1851〜1894
明治政府が富国強兵を目指し、近代化を急いだ理由は、列強による植民地政策を食い止めるためである。
 
中でも脅威であったのが、南下政策を進めるロシアである。その為にはお隣の朝鮮にも共に立ち上がって貰う必要がある。
 
ところが朝鮮は永い間超大国・清国の支配下にあり、属国に甘んじて来た為に独立国家への意識が薄い。その上、島国の日本よりも文明国であると信じていた。
 
しかも朝鮮の政治は無能な王・高宗の父・大院君と高宗の后である閔妃(みんび)の一族による血で血を洗うような政争が繰り返されていた。
 
それでも1876年(明治9年)ようやく日朝修好条規が結ばれ朝鮮にも開国派(閔妃派)が実権を持つまでになる。
 
ところがわずか6年後、1882年(明治15年)絶対攘夷の大院君側がクーデターを起こす。壬午(じんご)政変である。閔妃はかろうじて袁世凱の清軍に逃げ込み保護される。清軍に助けられた閔妃は、やはり長いものに巻かれて居た方が安全とみて、開国派を見限ってしまう。
 
金玉均を中心とする開国派の若い青年たちは日本に渡った。福沢諭吉などは「誠に20年前の自分たちを見るようである。」と言って慶応義塾に受け入れ経済的援助もした。
 
1884年(明治17年)その金たちが、新政権を作ろうとクーデターを起こした。甲申(こうしん)政変である。ところが又もや清国の軍事介入によって失敗に終わる。日本大使館も焼かれてしまい多数の死者が出た。
 
金の一族は3親等までことごとく死罪。金は日本での亡命生活10年の後、上海に渡り清の実力者・李鴻章に会おうとしたが、閔妃の手先により暗殺された。見せしめのため「陵遅刑」にされ死体を切り刻まれた上、朝鮮各地にばら撒かれる。
 
この事件を通して明治政府は思い知らされた。このまま朝鮮に攘夷派がいる限り、遅かれ早かれ、列強の植民地になってしまう。そうなれば日本も危ない。
 
******** 上卦は山。
***  *** 動かないもの、止まることを表す。
***  ***
***  *** 下卦は水。
******** 困難、悩みを表す。
***  ***
 
「山水蒙」の卦。困難が山を前にして立ち往生している象。幼児がまだ目が見えない象とも言える。先に希望はあるが、まだまだ啓蒙が必要である。
 
日本と朝鮮の違いは島国で独立している日本に対して、朝鮮は中国と陸続きであり、より密接な関係があったこと。
 
ここに生き方の違いが生じているのではないだろうか。
 
 
 イメージ 1
井上馨(かおる)。1835〜1915
1862年(文久2年)井上は伊藤俊輔(博文)ら5人で、留学と称してイギリスに密航した。(5人は長州ファイブと言われそれぞれ各分野で活躍している。)
 
かの地で見聞した先進文明は井上らの考えを攘夷から開国へ一変させる。
 
長州へ帰ると倒幕派と幕府派の対立の真っ只中であり、井上は幕府派の刺客に襲われ危うく殺されるところであった。幸いに急所をはずれ、偶然訪ねてきた緒方洪庵から医術を学んだ者のために、命拾いをする。(顔の刀キズも生涯消えなかった)
 
井上は明治政府では農商務相、大蔵相を歴任して侯爵となり元老の座まで登りつめる。すべて金の力である。
 
西郷隆盛からは「三井の番頭さん」と言わる程、財閥に肩入れした。個人的にも「廃仏毀釈」で旧大名が持っていた国宝級の仏像、仏画が市場に出回ると安値で買い集め、莫大な蓄財をしている。
 
井上は若いときに見たロンドンの繁栄は金があればこそと信じた。日本の富国強兵も殖産興業が先決、金がなければ話にならないとひたすら財閥の後押しをした。当然、見返りも得る。
 
自分の評判はどうでも良く、世界での日本の評判をいつも気にかけていた。日本の新聞は読まなくとも、イギリスの新聞は毎日目を通したという。
 
官営の社交クラブ「鹿鳴館」を創設したのも井上である。井上の評判は昔も今も高くはないが近代日本の財政的基盤をつくることには貢献した。
 
******** 上卦は山。
***  *** 動かざるもの。ここでは国を表す。
***  ***
******** 下卦は火。
***  *** 文明、文化を表す。
********
 
「山火賁」の卦。賁(ひ)は装飾、飾ること。文明はいかに美しくあることでもある。しかし外面ばかり飾って内面的な深みを失ってはいけない。
 
西郷さんは清貧を重んじ、外を飾ることに関心を示さなかった。
 
井上はそれでは外国人に馬鹿にされるだけで、対等な交際は出来ないと信じていた。
イメージ 1
岩崎弥太郎。1835〜1885

弥太郎は土佐・安芸(あき)郡の地下浪人の子として1834年に生まれた。地下浪人とは土佐藩独特の制度で郷士職にあったものが郷士株を売却した者をさす。
 
弥太郎の父・弥次郎はほとんど働かない大酒飲みで、困窮し郷士株を売り渡した。弥太郎は幼少時代から手に負えない腕白だったが頭が良かった。叔父の小野慶蔵が弥太郎を可愛がり読み書きを教え、12歳の時、儒者・小牧米山に弟子入りさせた。
 
21歳の時、藩士・奥宮周次郎の従者となり江戸に出るチャンスを得ると、儒学者・安積艮斎の門人になった。
 
帰国後にようやく得た職は下横目という刑事の役である。そこで土佐勤皇党に暗殺された重役・吉田東洋の犯人探しのため大阪に出向いた。しかし、弥太郎が大阪で興味を引いたものは土佐の材木が高値で売られていたことである。
 
弥太郎は帰国して材木商になった。資金が無いのであえなく失敗したが下横目の仲間の一人は人斬り以蔵に殺害されているので弥太郎は難を避けたと言える。
 
しばらく百姓をしていたが知り合いの後藤象二郎が藩の富国強兵策として土佐の特産物を大阪、長崎で販売する「開成館」を設立するというので下役に加わった。
 
坂本龍馬の暗殺後、後藤象二郎とともに龍馬の海援隊が背負い込んだ負債処理を任される。商売人の腕を発揮して仕置家老にまで出世した。
 
明治2年、版籍奉還。つづいての廃藩置県。土佐藩はほとんど破産状態となった。藩主・山内家の商法所「土佐商会」の経営も一任され、これが「九十九商会」さらに「三川商会」となり「三菱商会」と改称され弥太郎個人の所有となった。
 
弥太郎の事業が飛躍的に伸びたのは明治七年の台湾事変である。機を見るに敏な弥太郎は大久保利通、大隈重信に接触し、汽船13隻を三菱商会に委託するという約束をとりつけた。政府御用を独占する海運業者になったのである。
 
さらに明治10年の西南戦争では莫大な利益を得て、大三菱の基礎を築き上げた。
******** 上卦は風。
******** 尊順を表す。
***  ***
***  *** 下卦は雷。
***  *** 活動を表す。
********
 
「風雷益」の卦。 利益を上げる象である。下の雷は活動、上の風は尊順を意味する。雷が盛んに轟く時、烈しい風が加わり勢いが増し加わるのである。つまり命がけの活動を時勢が味方して社会の頂上まで押し上げるのである。

弥太郎は土佐藩の身分制度の最下位からの出発であった。
 
維新動乱の後、殿様より上に立つとは誰が予想できたであろうか。
イメージ 1
大山巌。1842〜1916
 
ちょうどその頃、後妻を捜していたのが大山巌(西郷のいとこ)だった。
捨松が大山に初めて会ったのは、留学時代からの親友・永井繁子の結婚披露宴でのことだった。そこで大山は一目で恋に落ちる。捨松の洗練された美しさにすっかり心を奪われてしまったのである。
 
しかし大山からの縁談の申し入れを山川家では二つ返事で断ってしまう。なにしろ縁談の相手はあの会津戦争で砲弾を会津若松城に雨霰のように打ち込んでいた砲兵隊長その人なのだ。一族の敵でもあり、心情として許せない。
 
今度は農商務卿の西郷従道が連日のように、しかも時には夜通し山川家に説得に現われた。こうして大山の誠意が山川家にも伝わり、最終的には「本人次第」ということに至ったのである。
 
捨松の答えは「閣下のお人柄を知らないうちはお返事もできません」であった。大山はもちろんこれに応じた。捨松は薩摩弁を使う大山が何を言っているのかさっぱり分らなかったが、英語で話し始めるととたんに会話がはずんだ。大山は欧州仕込みの紳士だった。
 
1883年(明治16年)、参議陸軍卿・大山巌と山川捨松との婚儀が厳かに行われた。完成したばかりの鹿鳴館で大山夫妻は盛大な結婚披露宴を催した。千人を超える招待者でごった返す鹿鳴館で、ひときわ輝いていたのは他でもない、大山捨松伯爵夫人である。
 
二人は自他共に認めるおしどり夫婦であった。捨松は大山との間に二男一女に恵まれた。これに大山の三人の連れ子を合せた大家族となったが、自らが二男五女の家に生まれ、賑やかな家庭は幸せだった。40代半ばまで跡継ぎに恵まれなかった巌に、二人の立派な男子をもたらしたことも誇りだった。
 
その後、1900年(明治33年)にもう一人の留学時代からの親友・津田梅子が女子英学塾(後の津田塾大学)を設立することになると、捨松は瓜生(旧永井)繁子ともにこれを全面的に支援した。生涯独身で、パトロンもいなかった津田が、あれだけの成功を収めることが出来たのも、捨松らの多大な支援があったのである。

******** 上卦は風。
******** 人に配当すると長女。
***  ***
******** 下卦は火。
***  *** 人に配当すると中女。
********
 「風火家人」の卦。親愛の道、家庭生活の道を表す。夫婦、親子、各々その役割を果たすことが家庭円満の道である。

戊辰戦争での敵と結婚。一族の反対はいかばかりであったろうか。
 
新しい時代を象徴するような一組のカップルである。
 
 

全12ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
kan*u*uuk*u
kan*u*uuk*u
男性 / AB型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

幕末の歴史。

ファン登録

標準グループ

ブログ作成

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事