さわやか易

いらっしゃいませ。名画を鑑賞するとき、その背景である歴史を考えてみたい。(猶興)

明治からの日本

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私はこれまで歴史と言えば、幕末にしか興味がありませんでした。
しかし最近になって、明治、大正、昭和の近現代史に興味が沸いてきました。
自分の不勉強もさることながら、戦後の教育にはこの肝腎な明治時代以後の
歴史教育が欠如したままではないでしょうか。
現在の政治も経済も国際問題も、この近代の歴史を知らずして語れるものは何も無いでしょう。
今更迂遠な話ではありますが、明治以後の人物と向き合いながら、
現在の日本のあるべき姿を考えて見たいと考えた次第です。
もし良かったら一緒に考えて頂けましたら幸いです。(猶興)
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関東大震災。

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後藤新平。1857〜1929
 
大正時代の日本は前半は激動のヨーロッパに比べ、戦争成金も出現、庶民もデモクラシーの気分を味わった。しかし大戦も終ると貧富の差が大きくなり、各地で米騒動が起きたりと不景気風が吹き荒れる。対外的にもアメリカの排日運動、ソ連からの共産主義思想の流入により暗雲が垂れ込めてきた。
 
暗い時代の到来を予感させる1923年(大正12年)9月1日、関東の大都市をマグニチュード7.9の大激震が襲った。地震と引き続いて起きた火災により東京、横浜は一面の焦土と化した。死者行方不明10万4000人、全半焼55万戸に及んだ。
 
震災直後に成立した山本権兵衛内閣で帝都復興総裁に任命されたのが後藤新平である。後藤は「新式都市を造る絶好の機会」として親任式を終えて帰宅するや、その夜のうちに「帝都復興根本策」をまとめた。
 
この復興案により今日の東京は造られた。昭和通りや靖国通りなどの幹線道路、隅田公園、隅田川に架かる5大橋、小学校の鉄筋化など。丸の内も新宿も渋谷も復興した。「世界的に見てもこれほど復興を果たした例はない。」と言われる程の復興であった。
 
一方で日本人として恥ずべき事件も記さなければならない。流言飛語による朝鮮人虐殺事件である。「朝鮮人が放火、略奪している。」「大挙して襲ってくる。」「井戸に毒薬を投げ込んだ。」というデマがあっという間に東京、横浜に流れ込む。
 
自警団が各地に自主的に作られ、人々は「朝鮮人狩り」に狂奔した。6000人以上の生命が朝鮮人という理由で抹殺されたのである。民族対立の激化、防衛本能のなせるわざか。考えさせられる深刻な問題を残した。
 
***  *** 上卦は雷。
***  *** 雷は震の卦でもある。
******** 行動、活動を表す。
***  *** 下卦も雷。
***  *** 上下重なることで雷の性質を強調する。
******** 
 
「震為雷」の卦。天地の間に雷鳴がとどろきわたっている。雷鳴は古代人にとっては天の怒りの声であり、強い畏怖の念をかきたてるものである。しかし、沈着冷静に振舞うことである。反省修養につとめることも大切である。
 
関東大震災にも勝る「東日本大震災」が起こった。
 
過去の大震災から学び、反省して、見事に立ち直らねばならない。
 
 
 
 

恐怖のコミンテルン。

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スターリン。1878〜1953
 
ロシア革命は反対するものを全て粛清(殺人)した。レーニンの後継者・スターリンはおよそ人間とは思えない冷酷非情な独裁政治を行った。
 
農業国から工業国へ転換させようと、農民はすべて集団農場制とする。個人の私有財産は認めない。反対するものは誰であれ囚人としてシベリアへ送る。シベリアには金鉱山がある。そこで、餓死寸前の食事しか与えず一日16時間の強制労働をさせた。
 
冬になると囚人たちは殆どが凍死する。しかし春には新しい囚人が何十万人と送られて来る。部落ごと強制的に貨物列車に乗せられた例もある。
 
スターリンの語録には、「一人の人間の死は悲劇だが、数百万の人間の死は統計上の数字だ」 「愛とか友情などというものはすぐに壊れるが恐怖は長続きする」「死が全てを解決する。人間が存在しなければ問題は起こらない」 そして「最も効率のよい労働は餓死寸前にして働かせることだ。」というのもある。
 
スターリンの野望は世界支配であった。世界支配を目論むコミンテルンに国際政治は驚愕する。この体制にはこれまでの自由主義体制では政治的にも理論的にも対抗出来ない。同等のインパクトをもつ体制で臨むしかないと登場したのが、ナチス・ドイツのヒットラーであり、イタリア戦闘ファッシのムソリーニである。いづれも「国家社会主義」と言われる独裁体制である。
 
日本を憎むコミンテルンはシベリアに出兵していた日本軍を突然襲い家族もろとも虐殺した。(1920年のニコライエフスク虐殺事件) 1922年(大正11)日本共産党も出席したコミンテルン世界会議で「君主制の廃止」が決議される。皇室を愛してやまない日本人は底知れぬ恐怖感を抱いた。日本政府は1925年(大正14)治安維持法を制定し左翼分子を摘発することになる。
 
***  *** 上卦は地。
***  *** 地下、暗黒を表す。
***  ***
******** 下卦は火。
***  *** 文化、文明を表す。
********
 
「地火明夷」の卦。太陽が地下に隠れている象。世界を暗黒が支配している。
正しい考えを発揮することが出来ない。じっと我慢して時代の変化を待つしかない。
 
20世紀は戦争の時代、激動の時代と言われている。しかし戦争は終れば平和が訪れる。最も恐ろしいのは歪んだ思想である。歪んだ思想こそは戦争が終ってもいつ果てることもなく続くものだから。

アメリカの排日運動。

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牧野伸顕。1861〜1949
 
日本とアメリカはもともと友好国である。日本が開国したのもアメリカが最初であるし、咸臨丸を伴い正式に外国を訪問したのもアメリカである。岩倉使節団も最初に挨拶したのもアメリカだし、その時に日本人として始めて留学したのもアメリカである。そのとき大久保利通の次男である牧野伸顕も留学した。牧野をはじめ多くの大正時代の指導者は英米型の自由主義を愛している。
 
それでは何故、排日運動などが起こってしまったのか。なにか日本人が悪いことをしたのだろうか。そんなことは全く無かった。それは日露戦争で有色人種である日本が大国・ロシアを破ったことに端を発する。日本を脅威と感じたのである。そしてアメリカが進出しようとしていた中国に日本が先に権益を得て進出してしまった。これには嫉妬を感じた。
 
その上、共同開発を申し出た満州鉄道の仮条約まで反故にされた。この辺から日本への敵愾心が芽生えたのだろう。中国政府には諸悪の根源はすべて日本であるかのように反日運動に火を付け始めた。
 
19世紀後半から主にアメリカ西海岸に多くの日本人が移民していた。怒りの矛先は移民たちに向けられた。
 
パリ平和会議の翌年、1920年(大正9)カリフォルニア州で「排日土地法」が成立する。ワシントン会議で日英同盟が解消されると、1922年(大正11)日本移民の帰下権を剥奪する。1924年(大正13)には「絶対的排日移民法」が成立。ついに国家として日本人移民を拒否した。
 
後に起こる日米戦争にはこうした事情が根底にあったことも事実である。
 
******** 上卦は天。
******** 剛強、陽の代表。
********
***  *** 下卦は水。
******** 問題、険難を表す。
***  ***
 
「天水訟」の卦。訴訟、裁判の象。天は上を向き、水は下を向くことから意見と方向を異にしている。最後まで争い続けるなら凶である。
 
両雄並び立たず。日本人から見ればアメリカはとてもライバルとは思えない存在であるが、アメリカ人には有色人の星・日本はしっかりと押さえておく必要があったのであろうか。
 
 

日英同盟解消。

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原敬。1856〜1921
 
戦前の日本は日清、日露戦争いらいずっと軍国主義であったと思う方がいたとすれば、それは大きな誤解である。
 
第一次世界大戦が終結し、世界に厭戦気分が起きる。国民は等しく平和を望んでいた。平民宰相と呼ばれた原敬、後継者・加藤友三郎内閣では軍事優先の政治はもはや時代遅れとばかりに文民統制を確立していった。世界に先駆けて民主主義、軍縮、脱帝国主義の先頭に立ったのである。
 
一方、世界チャンピョンを目指すアメリカは何とか日本の力を削ごうと考えていた。日本の発展の支えは日英同盟であると気付き、どうにかして日英同盟を解消させる方策を模索していた。
 
先の大戦でアメリカはイギリスに軍事面でも経済面でも多大の恩を与えている。。機は熟したと見たアメリカはイギリスに掛け合う。「日本は戦争の時、直接兵を出さず血も汗も出さなかったじゃないか。」イギリスにとっても日英同盟は重要であったが、アメリカにはすっかり借りがある。日英同盟解消に同意をせざるを得なかった。
 
その上でアメリカは日、英、仏、米、4カ国首脳会議をワシントンで開こうと呼びかけた。議題は今後の軍縮問題である。日本は日英同盟に替えて4カ国協定での安全保障をというアメリカの提案に賛成してしまう。
 
かくして日本は1902年(明治35)いらい堅い信頼関係で結ばれていた日英同盟という命綱を手放してしまった。この提案に同意したのは日本全権である外務大臣・幣原喜重郎であるが、外交にかけてはアメリカの手腕は日本の何倍も上ということだ。
 
軍縮に関心を向けていた日本はアメリカの策略を見抜けなかった。純情可憐にもその後大規模な軍縮に取り掛かっている。大正デモクラシーに酔っていたのは日本だけで、各国は着々と次の覇権を考えていた。
 
***  *** 上卦は沢。
******** 悦楽を表す。
********
***  *** 下卦も沢。
********
********
 
「兌為沢」の卦。和合悦楽の象。平和であり、心たのしく和やかに姿である。
 
世の中の人が全て穏やかな人ばかりなら良いが、そうはいかないのが現実である。
 
まして外交を担う責任者には「人を見たら泥棒と思え」邪心をもって近づいてくる者を見抜く目を持たなくてはいけない。
 
 
 

パリ平和会議。

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西園寺公望。1849〜1940
 
先進国首脳会議に日本が参加したのは、戦後日本が高度経済成長を成し遂げ経済大国になってからと思われる方が多いのではないでしょうか。
 
それは戦前の歴史を知らないからであり、大正時代に既に日本は立派な先進国として国際的に認められていた。第一次世界大戦の前までは先進国と言えば、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、イタリア、オーストリア、アメリカ、日本の八カ国だった。
 
大戦でロシア、ドイツ、オーストリアは脱落し、イタリアも国力を失った。そこで大戦後の先進国はイギリス、フランス、アメリカ、日本がベスト4である。
 
1919年(大正8年)パリにおいて戦後の平和会議が行われた。日本全権は元首相の西園寺公望である。この会議で敗戦国・ドイツへの制裁と今後の国際政治のために「国際連盟」の設立が議論されることになった。
 
主導はアメリカのウィルソン大統領であり、結果的にはその後の日本の立場が悪くなってしまう。日本を敵視するアメリカはオブザーバーの中国に、一度批准した山東半島の日本権益に対する条約を無効にするような発言をさせた。
 
もう一つは今後の平和のため、日本全権は「人種差別撤廃」を条項に盛り込むよう提案した。16ヶ国中11ヶ国は賛成したが、ウィルソンは排日政策に対する日本の陰謀と受け止め、強引な主張により否決してしまう。
 
植民地を持つ列強には「人種差別撤廃」は危険思想だった。この一件もアメリカの日本敵視を強める結果になってしまった。しかも言いだしっぺにも関わらず、アメリカは国内の反対から国際連盟から脱退した。
 
******** 上卦は天。
******** 強く、大きな存在を表す。
********
***  *** 下卦は沢。
******** 人に配当すると少女。
******** 力の少ない存在を表す。
 
「天沢履」の卦。虎の尾を踏むという象。上に恐い存在があり、危険な状態である。慎重な行動が求められる。
 
アメリカと日本は西洋列強に比べれば、新興国である。
 
世界チャンピョンを目指すアメリカには日本はライバルに映り始めた。

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