さわやか易

いらっしゃいませ。名画を鑑賞するとき、その背景である歴史を考えてみたい。(猶興)

明治からの日本

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私はこれまで歴史と言えば、幕末にしか興味がありませんでした。
しかし最近になって、明治、大正、昭和の近現代史に興味が沸いてきました。
自分の不勉強もさることながら、戦後の教育にはこの肝腎な明治時代以後の
歴史教育が欠如したままではないでしょうか。
現在の政治も経済も国際問題も、この近代の歴史を知らずして語れるものは何も無いでしょう。
今更迂遠な話ではありますが、明治以後の人物と向き合いながら、
現在の日本のあるべき姿を考えて見たいと考えた次第です。
もし良かったら一緒に考えて頂けましたら幸いです。(猶興)
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中国の独立運動。

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孫文。1866〜1925
 
中国の独立運動は孫文によって始まった。孫文は広東省で生まれ、兄のいるハワイで教育を受ける。香港にて医学を学びマカオにて医師になる。
 
しかし漢民族が西洋列国の半植民地になっていることに、憂国の情禁じられず独立運動を誓う。1894年ハワイに興中会を結成。翌年、広州蜂起を起こすが失敗。日本、アメリカ、イギリスと革命資金を集めるため世界中を巡る。
 
1905年、スエズ運河を通った際に多くのエジプト人たちは孫文を日本人と思いしきりに握手を求め「オメデトウ。お前の国は凄い!」と言った。日露戦争で大国・ロシアを破った有色人種にアラブ人としても感激していたのだ。
 
「日本に続かねばならない。やれば出来るのだ。」孫文の決心は一層強固なものとなる。1911年、辛亥革命。翌年孫文を臨時大総統とする中華民国が南京に成立した。
 
しかし清朝の最大勢力の袁世凱に宣統帝の退位と引き換えに大総統の座を譲る。すると袁世凱による独裁が始まり、孫文は日本に亡命。
 
日本では「明治維新は中国革命の第1歩。中国革命は明治維新の第2歩。」と呼びかけ日本の協力を求める。「満州は日本のものにして良い。」という孫文には犬養毅らの支援者は多かった。しかし中国には巨体故の複雑にして多くの問題があった。
 
袁世凱の死後は各地で軍閥が跋扈していたし、ロシア革命後のソ連のコミンテルンが中国共産党を支援して、共産革命を目論んでいた。孫文の中国国民党は共産党も受け入れるという「国共合作」政策をとるが、コミンテルンとはそんなに甘い組織ではない。
 
もう一つの壁はアメリカが中国に盛んに扇動する反日運動である。資金力のない中国国民党は言いなりになるしかない。
 
1924年、神戸にての講演で「大アジア主義」を唱え、欧米の侵略主義に対して日本と中国は「東洋の王道」で立ち向かおうと熱弁。しかし翌年、「革命未だならず。」の一節を遺言に記し、志半ばに北京にて客死。
 
***  *** 上卦は水。
******** 艱難、問題、悩みを表す。
***  ***
***  *** 下卦は雷。
***  *** 新しい活動を表す。
********
 
「水雷屯」の卦。産みの苦しみ。行き悩みの象。屯の文字は草木の芽が固い地面からなかなか出て来れない状態を表している。何事も新しく事業を始めようとするときは大きな困難を乗り越えなければならない。若々しい生命力が、新時代の扉を開ける。
 
こうして中国の独立運動を考える時、日本の明治維新の成功がいかに素晴らしいものかを実感させられる。
 
日本人はもっと誇りを持つべきであるし、感謝すべきことである。
 
 
 
 

ドイツの文化村。

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松江豊寿。1872〜1956
 
ドイツと日本の関係は深い。開国以前に西洋医学を伝えたシーボルト。大久保利通に近代国家を教えたのは名宰相・ビスマルク。明治のお雇い外国人のベルツ。陸軍もドイツに学んだし、そもそも明治憲法はドイツを手本にしている。
 
ところが日露戦争の前に日本は日英同盟を結んでいたので、第一次世界大戦ではドイツは敵方になる。中国の青島を占領していた4600人のドイツ兵を捕虜として日本に収容することになった。
 
その内の約1000人が収容されたのが、四国・徳島県の片田舎・板東町である。収容所の所長である松江豊寿大佐は「捕虜は犯罪者ではない。愛国者である。敗者には武士の情けで接しなければならぬ。」との信念があった。しかもこの町は四国霊場1,2番札所であり、町民には旅人を暖かく迎える素朴な人情があった。
 
失意と不安に沈む捕虜たちは地獄で仏に出会った。町民は「ドイツさん」と呼んで親しみ、捕虜たちは精一杯母国の文化を紹介した。捕虜の多くが志願兵となった元民間人であったので、様々な職人、技術者、建築家、音楽家、芸術家、料理人がいた。本国から送金が届く兵たちも多く、経済的には豊かだったようだ。
 
捕虜たちは互いに協力し、蔵書6000冊をこえる図書館や印刷所、写真館、サッカー場、テニスコート、ボーリング場などを作った。また二つのオーケストラ、マンドリン楽団、吹奏楽団、合唱団が出来、しばしば演奏会が開かれた。日本におけるベートーヴェンの「第九」の演奏もここが起源と言われる。
 
彼らは町民に酪農を教え、パンや菓子作りを教えた。捕虜たちが町民のために造った石造りの橋は「ドイツ橋」と名づけられ今も保存されている。 
 
このドイツの文化村は1920年1月、ヴェルサイユ条約が批准される日まで2年8ヶ月間続いた。送別の日はドイツ兵たちも町民も等しく涙の別れであった。世界中でこんな捕虜収容所があっただろうか。この神話のような出来事は、2006年に「バルトの楽園」という映画にもなった。
 
***  *** 上卦は沢。
******** 親睦、喜びを表す。
********
******** 下卦は山。
***  *** 勤勉、真面目、守ることを表す。
***  ***
 
「沢山咸」の卦。咸は感動、感激の象。心のふれあいである。男女の恋愛にもあてはまる。人間社会はふれあいがあるから成り立つのだ。
 
松江大佐の父は朝敵の汚名を着せられ、辛酸をなめた会津藩士である。
 
苦労しながらも豊寿少年に「武士の情け」を教えたのだろう。
 
 
 
 
 
 
 

ロシア革命。

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レーニン。1870〜1924
 
第一次世界大戦の最中、20世紀最大のドラマと言われるロシア革命が起る。帝政末期のロシアでは一部の上流階級が華麗な生活を楽しんでいる一方で、農村では極寒の中を裸足で暮らす程の目に余る貧窮状態だった。
 
「パンをよこせ!」と叫ぶ婦人労働者のデモから革命は始まった。底辺にいた民衆の解放と自由を求めるエネルギーは300年続いたロマノフ王朝を倒した。
 
1917年2月、ニコライ2世を退陣させ臨時政府を設立した(2月革命)。しかしこれはエリートたちの民主主義革命だったが、労働者、農民、兵士たちは、さらにブルジョア階級の一掃を求めた。
 
ここにレーニンが登場して民衆に訴える。「君たちが貧乏しているのは金持ちが富を独占しているからだ。!」「君たち労働者(プロレタリート)は資本家(ブルジョアジー)に搾取されている。!」「本来、富は誰のものだ、君たち働く人たちのものなのだ。!」持たざるものたちには説得力があった。
 
レーニンはマルクスの共産主義理論を実践するため、全生涯を捧げた天性の革命家である。レーニンは「全権力をソビエトへ!」と叫び、労働者の武装部隊により臨時政府の本拠を襲撃し大臣たちを逮捕、共産党組織による政権をつくる(7月革命)。
 
ソビエトとは国家ではない。(「評議会」という組織である。)かくしてロシアはソビエト連邦となり、ロシア共産党は権力を一手に握りロマノフ王朝の一族を全て処刑した。その後共産主義に反対する知識層、ロシア教会の牧師たちを次々と粛清する。数年の間に700万人が殺害された。
 
やがてコミンテルンという組織をつくり、全世界をこの組織の支配下に置く計画を実行に移していくことになる。世界の歯車を狂わせ、更なる大戦争・第二次世界大戦、日米大戦にも突入させる最大要因となっていく。
 
***  *** 上卦は地。
***  ***
***  ***
***  *** 下卦は水。
******** 問題、悩みを表す。
***  ***
 
「地水師」の卦。地下に水が溜まっている象。集団、軍隊の結集を表す。軍隊には良い指導者が必要とされる。そしてその指導者がどんな目的を持つかが最大の問題である。
 
貧富の差を憎み、私有財産を否定する思想は確かにある。
 
結局、出来上がった政治は恐怖政治だった。民衆には言論の自由もない。そんな人工的社会は自然に反してはいないか。
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ウィルソン大統領。1856〜1924
 
第一次世界大戦と日本はそれ程関係ないようだが、実はその後の外交に大きな影響があった。それは日英同盟を結んでいるイギリスがドイツの攻勢にかなり苦しめられていたので、日露戦争に威力を発揮した日本海軍に応援を求めてきた。
 
ところが日本政府は慎重だった。というのは日英同盟の範囲はインドまでと決められていたので地中海までとした。そこで参戦はしたが、ドイツが占有していた中国の山東半島と青島を奪取するに止まった。
 
一方のアメリカは違った。同盟関係はなかったが、イギリスに恩を売る良いチャンスと見て軍艦141隻を派遣し大量の兵隊を上陸させる。戦死者を出しながら連合軍を勝利に導く。イギリス、フランスに感謝されたことは言うまでもない。
 
もう一つ日本にとってアメリカに尻尾を捕まえられる出来事があった。旧ドイツ領の青島を撤退する代償に満州の権益などを中国に要求したことだ。「対華21か条」と言われ、中国政府はしぶしぶながら要求に応じようとした。ところが、これにイチャモンをつけて来たのがアメリカである。
 
予てから宿敵日本の行動に目を光らせていたアメリカは猛烈に非難してきた。「戦争のドサクサに紛れて21か条の不当な要求をするとは、まるで火事場泥棒に等しい。」中国には反日運動を煽り、世界中に日本の不当を喧伝した。
 
***  *** 上卦は水。
******** 問題、悩みを表す。
***  ***
***  *** 下卦も水。
******** 上下ともに同じ卦であるときは繰り返す意味がある。
***  ***
 
「坎為水」の卦。習坎ともいう。一難去ってまた一難。一つ問題が解決し、ほっとしているとまたまた問題が近づてくる。
 
有色人種の日本が大国ロシアを破ったことが余程ショックだったのか。
 
まさかアメリカに睨まれてるなんて、そんなことを誰が信じるのだろうか。
                                          
 

第一次世界大戦。

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ヴィルヘルム2世。1859〜1941
 
大正に入って平和が訪れた日本に対して、大変な時代に突入したのがヨーロッパである。第一次世界大戦の勃発である。
 
この大戦は植民地争奪競争の先発組であるイギリス、フランス、ロシアの三国に対して、後発組のドイツ、オーストリア、イタリアが分け前を求めて不満が爆発したという構図になる。
 
日露戦争により収奪出来る植民地はなくなり、内輪もめし始めたのだ。とくにドイツは研究熱心で勤勉な性格の国民性を有し、工業ではイギリスを凌ぐまでになり、軍艦の数でも負けてはいない。とくに名宰相・ビスマルクを退けたヴィルヘルム2世はドイツこそ世界のリーダーであるべしと、対外拡張政策を推し進めた。
 
アジアを断念したロシアが再びバルカン半島を侵略し始めたことも原因である。ロシアを追い出したドイツは次にイギリスと真っ向勝負して来た。周りの小さな国たちはどちらかについてヨーロッパ中がこの大戦争に巻き込まれていく。
 
当初は数ヶ月で終ると思われた戦争であるが、延々4年半も続き死者は約9百万人とも言われる。負傷者はその数倍、家を焼かれ、家族を失った孤児たち。人類史上嘗て無い大戦争となった。文明国と自負したヨーロッパよ、いかに無益で愚かなことをしたのだろうか。
 
16世紀から続いた列強たちの植民地争奪合戦により、アジア、アフリカ、南米で多くの後進国は犠牲になった。その文明国が最後にしたことは何だったのだろうか。自らが犯した野蛮な犯罪に天が鉄槌を下したのだろうか。
 
この惨憺たるヨーロッパ世界の現状を観察して、ドイツの歴史学者・シュペングラーは「西洋の没落」を書き残し、猛烈な反省と懺悔を促した。
 
******** 上卦は天。
******** 陽なるもの、剛強なるものを表す。
********
***  *** 下卦は地。
***  *** 陰なるもの、柔弱なるものを表す。
***  ***
 
「天地否」の卦。強いものが弱いものを支配している象。天は上を向き、地は下を向く。上下意志の疎通がなく、敵対していることを表している。民意は政治家に届いていない。閉塞状態である。
 
シュペングラーは西洋文明の終焉を告げた。
 
確かに18,19世紀のヨーロッパ文明の輝きは20世紀以降には消滅した。
 
 
 


 

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