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上田寅吉。1823〜1890
日露戦争でロシアのバルチック艦隊を破った日本海軍。その軍艦が造られた陰にはこんなドラマがあったのだ。
1854年(安政元年)ペリーに続いて国交を求めてやってきたのは、ロシア使節団のプチャーチン提督である。ところが下田湾にて大地震にともなう大津波に遭遇する。
下田の町も打撃を受けたがプチャーチンの船・ディアナ号も座礁した。日本の全権・川路聖謨(としあきら)は西伊豆の戸田(へだ)にて修理させようとした。ところが途中、今度は台風に遭遇して船は沈没してしまった。
帰国すら出来なくなったプチャーチン一行。しかし、幸いディアナ号から船の設計図が見つかった。韮山代官・江川太郎左衛門はその設計図を基に船大工を集めて船を造ることにする。
通訳を交えオランダ語、ロシア語、日本語の3ヶ国語の会話を駆使して半年がかりの末、約100トンの西洋式帆船が完成した。プチャーチン一行は日本人に厚く感謝しつつ「ヘダ号」と名づけた船で帰国することが出来た。
幕府はその「ヘダ号」を見本に6隻の洋式船を造らせた。これが日本の洋式船の基になり各地に伝わった。
その船大工の中に上田寅吉がいた。寅吉は幕府に認められ長崎の海軍伝習所1期生となる。勝海舟を艦長とした「咸臨丸」に乗り日本人として始めて太平洋を渡った。
その後、榎本武揚らとオランダに留学。幕府が発注した「開陽丸」で帰国すると戊辰戦争である。榎本とともに五稜郭の戦いに敗れ捕虜となるが、明治3年釈放される。
そして横須賀の海軍工廠(こうしょう)の初代工場長として数々の軍艦製造にかかわる。バルチック艦隊と戦い圧倒的勝利を収めた連合艦隊の日本製軍艦は全て寅吉の設計に寄るものである。
******** 上卦は山。
*** *** 動かないものを表す。
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*** *** 下卦は雷。
*** *** 動く、活動を表す。
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「山雷頤」の卦。頤(い)はあごのこと。人はあごから食物を取り入れる。頤は養うである。身体を養う。精神を養う。何を養うかが重要である。
幕末から明治にかけての日本人を考える時、新文明に対する貪欲なまでの吸収力に驚嘆する。
この吸収力こそが世界的奇跡と言える、明治維新を成功させたのだろう。
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