さわやか易

いらっしゃいませ。名画を鑑賞するとき、その背景である歴史を考えてみたい。(猶興)

明治からの日本

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私はこれまで歴史と言えば、幕末にしか興味がありませんでした。
しかし最近になって、明治、大正、昭和の近現代史に興味が沸いてきました。
自分の不勉強もさることながら、戦後の教育にはこの肝腎な明治時代以後の
歴史教育が欠如したままではないでしょうか。
現在の政治も経済も国際問題も、この近代の歴史を知らずして語れるものは何も無いでしょう。
今更迂遠な話ではありますが、明治以後の人物と向き合いながら、
現在の日本のあるべき姿を考えて見たいと考えた次第です。
もし良かったら一緒に考えて頂けましたら幸いです。(猶興)
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 ネルー。1889〜1964
 
司馬遼太郎は「坂の上の雲より」の中で「明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年の読書階級であった旧士族しかなかった。この小さな世界の田舎のような国が、はじめてヨーロッパ文明と血みどろの対決をしたのが、日露戦争である。」
 
日露戦争の結果は世界を変えた。植民地争奪競争に明け暮れていた西洋列強にカウンター・パンチを食らわしたことは言うまでも無い。そして、その支配下に苦しめられていたアジアの全ての国々、アフリカの全ての国々、中東の全ての国々に大きな希望を与えたのである。
 
例えば、英国の植民地であったインドでは、マハトラ・ガンディーらと独立運動を起こし初代首相になったネルーの回想によると、「私の子供の頃に日露戦争というものがあった。その頃のロシアは世界一の陸軍国だった。世界中は、ちっぽけな日本なんかひとたまりもなく叩き潰されると思っていた。アジア人は西洋人にはとてもかなわないと思っていたからだ。ところが戦争をしてみると、その日本が勝ったのだ。私は、自分達だって決意と努力しだいではやれない筈がないと思うようになった。そのことが今日に至るまで私の一生をインド独立に捧げることになったのだ。私にそういう決意をさせたのは日本なのだ」
 
ビルマ独立後の最初の首相であるバ・モーは「日本の勝利はわれわれに新しい誇りを与えてくれた。歴史的に見れば、日本の勝利は、アジアの目覚めの発端、またはその発端の出発点と呼べるものであった」
 
中華民国建国の父である孫文は「日露戦争はアジア人の欧州人に対する最初の勝利であった。この日本の勝利は全アジアに影響をおよぼし、全アジア人は非常に歓喜し、きわめて大きな希望を抱くに至り、大国の圧政に苦しむ諸民族に民族独立の覚醒を与え、ナショナリズムを急速に高めた」

エジプト民族解放指導者であるムスターファー・カミールは「日本人こそは、ヨーロッパに身の程をわきまえさせてやった唯一の東洋人である」

アフリカ開放の父といわれたウィリアム・デ・ポイスは「有色人種が先天的に劣っているという誤解を日本が打破してくれた。日本が有色人種を白色人種の奴隷から救ってくれるので、有色人種は日本を指導者として従い、われわれの夢を実現しなければならない」
 
当時ロシアの属領であったポーランド、フィンランド、トルコでは乃木将軍や東郷平八郎に因んで「ノギ」「トーゴー」という名前を子供に挙ってつけた。フィンランドでは「トーゴー」という名のビールが発売された。トルコでは「トーゴー通り」が出来、「ノギ」という大きな靴の販売店が今でも健在だという。
 
アメリカでは日本を激励する詩が黒人の新聞に掲載され、アメリカの黒人は日本が有色人種のリーダーとして、支那やインドと協力し黒人を解放してくれると夢想した。 
 
***  *** 上卦は地。
***  *** 暗い世界を表す。
***  ***
***  *** 下卦は雷。
***  *** 活動、行動を表す。
********
 
「地雷復」の卦。陰ばかりであった世界に再び陽が顔を出す象。
長く閉ざされていた社会に一条の光が差し込むのである。
 
日本の明治維新は日本の為だけにあったのではない。
 
世界史の流れを変えるためにあったのだと言えるのではないか。
 
 


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東郷平八郎。1848〜1934
 
日露戦争は1904年(明治37年)2月より翌年8月まで続いた。主戦場は朝鮮半島と満州南部、両国とも総力を結集し、多大な戦死者を出した。
 
特に半年間続いた旅順攻略、その後の奉天会戦では双方10万人の犠牲を要した。結果は日本が辛くも勝利したが、もう双方とも戦力も戦費も底を尽いていた。
 
ロシアは最後の望みを海戦に賭ける。欧州最強と云われたバルチック艦隊をバルト海から日本へ向かわせる。1905年(明治38年)5月27日、日本海において両軍は雌雄を決することになった。
 
世界の予想に反して、東郷平八郎率いる日本連合艦隊の一方的な圧勝であった。日本軍は殆ど無傷に対して、バルチック艦隊は殲滅、その司令長官を含め、まるごと日本軍の捕虜となった。
 
日露戦争の結果は世界の歴史を変えた。日本は以後、世界の列強の仲間入りすることになる。
 
ロシアはこの敗北を期に革命の歯車が急加速する。また極東での南下政策を断念し、再びバルカンに向かいドイツやオーストリアとの対立を招き第一次世界大戦の原因になる。
 
欧州では英仏露の三国協商と独墺伊の三国同盟の対立へと向かう。結果、イギリスは仮想敵国をロシアからドイツに替え建艦競争を拡大する。
 
アメリカにとっても、これまで目をかけていた日本という存在が只ならぬ脅威の存在と写り始め、対日感情が悪化していく。
 
自国内で戦争をされた清国、両国の間で翻弄された韓国、いやでも日本の存在は大きく影響力を増すことになっていく。
 
植民地として欧米列強の支配下にあったアジアやアフリカの国々にとっては「独立」という希望が見え始めてきた。
 
******** 上卦は天。
******** 大きな陽のエネルギーを表す。
********
******** 下卦も天。
********
********
「乾為天」の卦。乾は剛健、創造、発展、純粋な陽である。乾坤一擲の大勝負である。しかし、物盛んなれば必ず衰うものでもある。
 
日清、日露戦争を日本の軍国主義による侵略戦争という人がいる。
 
何とか主義で片付けないで、しっかり歴史を知ることではないだろうか。
 
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高橋是清。1854〜1936
 
ロシアの侵略意図は着々と進行している。1903年(明治36年)朝鮮半島と日本列島を視野に入れ、黄海に接する龍岸浦に「ポート・ニコラス」という軍港を築いた。戦争だけは避けたい明治政府は「直接談判」を行う。
 
その骨子は「日本はロシアの満州における鉄道に関する特殊利益を承認するので、韓国の改革に関しては日本の専権であることを承認して貰いたい」というものだった。
 
これに対してロシアの対案は「満州は日本とは関係ないので、交渉の対象にはしない。韓国の日本の援助は軍事以外とし、韓国領土を軍事目的にはしないこと。韓国の北緯39度以北だけ中立地帯としよう。」である。
 
これに対して日本は、「満州を日本は関係なしとするなら、韓国もロシアと関係なしとしよう。中立地帯は清韓境界の両側50キロとすること。」を主張した。
 
しかし、ロシアは自己主張を譲らず、急ピッチで戦争準備を進めている。1904年(明治37年)1月日本は最終提案行い、回答を待つこと3週間、ロシアは日本を無視して戦闘準備を推進した。2月4日、ついに日本は対露断交と開戦を決定した。
 
何といっても相手は大国ロシアである。国家予算の大半を軍事費に使う日本であるが、それでも戦力はロシアの半分にも及ばない。戦争を始めるには莫大な戦費が要る。日本にはその戦費が無かった。唯一の頼みは日英同盟であるが、英国が何処まで援助して呉れるかは未知数である。
 
その戦費を集めるために、イギリスに派遣されたのが日銀副総裁であった高橋是清であった。早速イギリスに赴いた高橋。ロシアの南下政策を阻止し、シナでの権益を守りたいイギリスは日本の国債を募集することを許可した。
 
高橋は銀行や資産家を訪ねる毎日。「開国以来、日本は全ての借金は利息を付けて返済している。」その点では高橋は胸を張った。
 
しかし、「日本が勝つはずがない。負ければ国債は返らない。」と中々国債は買って貰えない。それでも目標の半分500万ポンドを売った。戦争は既に始まっている。窮地に立った高橋だが思いもよらないところから声がかかった。
 
アメリカ在住のユダヤ人資産家であるヤーコブ・シフである。シフは「ユダヤ人を迫害するロシアと戦う日本を支援しよう。」と残りの500万ポンドを引き受けてくれたのだ。
 
高橋の感激は想像出来よう。日本が世界で認知された瞬間でもある。
 
***  *** 上卦は水。
******** 問題、悩みを表す。
***  *** 危機にたつ日本とも言える。
******** 下卦は天。
******** 大きなエネルギーを表す。
******** 積極政策をとるロシアとも言える。
 
「水天需」の卦。需は待つ。下から迫ってくる大きな脅威を待つ状態である。待つことは時に戦うより勇気が必要である。英気を養って時期を待つことである。
 
明治日本は富国強兵を目標に進んできた。
 
その明治の全身全霊が試されるときがきた。
                      
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ニコライ二世。1868〜1917
 
ロシアが遼東半島を手中にしたかったのには理由がある。ロシアは地形的に寒冷地にあるため、経済を発展させるためにはどうしても冬でも凍ることのない不凍港が欲しかった。
 
始めロシアは地中海に港を求める。そのために何度も戦争をした。クリミヤ戦争では連合国に敗退。しかし、オスマン帝国との露土戦争には勝利した。エーゲ海を臨むマケドニアを支配下にすることに成功する。1878年である。
 
ところが翌年、ロシアの南下に反対するドイツ帝国の宰相・ビスマルクが、イギリス、オーストリアらの代表を集めベルリン会議を開く。結果は大勢には敵わない。外交は常に力関係にある。せっかくの講和を反故にされ、バルカン半島への南下政策を断念させられた。
 
日清戦争後の「三国干渉」で日本が味わったと同じ臥薪嘗胆である。そこでロシアの南下政策は清国の遼東半島の向けられ、朝鮮、日本を支配化に置くことにした。
 
計画は首尾よく運んだ。なにより日清戦争後の「露清密約」が実を結び、「三国干渉」で日本を追い出し遼東半島の旅順と大連を租借出来た。1898年である。
 
1900年には義和団事件の混乱収拾のため、満州を占領下に置きそのまま居座ることにした。日、英、米から抗議がきたがせっかく手中にしたものを手放す気はない。ここには鉄道を敷く計画なのだ。
 
朝鮮も日清戦争後、大韓帝国と改めたが日本を嫌い支配階級はロシアの味方である。後はうるさい日本にガツンと一発大砲をかましてやるだけだ。(喉から手が出るほど欲しかった不凍港。南下政策はもう一息で成功だ。)
 
日本から度々「朝鮮半島には手を出すな。」と言ってくるが、強大なロシアが日本との戦争を恐れる理由はどこにもない。皇帝のニコライ二世もクロパトキン陸軍大臣もあくまで強気の主戦論は変えなかった。
 
1903年、4月21日。京都にある山縣有朋の別荘・無隣庵において、伊藤博文、桂太郎首相、小村寿太郎外相が集まり「無隣庵会議」が行われていた。桂はこの会議で日露戦争の覚悟が定まったという。
 
***  *** 上卦は雷。
***  *** 活動、やる気を表す。
********
******** 下卦は天。
******** 大きな陽のエネルギーを表す。 
********
 
「雷天大壮」の卦。大壮は大(陽)が盛んであること。陰を忘れるような勢いを示すが、陰の要素がない訳ではない。甘い気持ちでいるととんでもないことにもなり兼ねない。
 
列強の中でもロシアの軍事力は揺ぎ無いものである。
 
常識で考えれば、アジアの小国に負けるはずはなかった。
 
 
 
 

日本とトルコの物語。

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樫野崎灯台 
 
1890年 (明治23年)の9月、台風による暴風雨に荒れ狂う紀伊半島での出来事である。半島の先端に串本町があり、その東に大島がある。その大島の東端に立つ樫野崎灯台に、深夜一人の大男が血だらけ全身ずぶ濡れのまま宿直室に飛び込んできた。
 
外国人である。言葉は解らない。しかし頻りに訴えている様子から、只ならぬ海運事故だと灯台守は察した。万国信号を見せるとトルコの国旗を指差した。深夜ではあったが、直ちに島民による救出作業が始まる。しかし、海岸までは40メートルの崖を降りねばならない。島の男たちは何度も登り降りを繰り返し、ひん死の遭難者たちの救出にあたった。
 
救出された生存者は69人。冷え切った救出者は抱いて温めた。半農半漁の貧しい島の暮らし。それでもあるだけの食糧と着物を与えてやった。島には貴重品のニワトリも提供した。
 
遭難した船はトルコのエルトゥールル号であり、皇室外交のためトルコ国王の名代として明治天皇に謁見した皇族と特使の一行650人が乗っていた。遭難を聞いた明治政府は神戸に移して療養にあたらせた。天皇、皇后両陛下からも心づくしの差し入れが届いた。その後、軍艦・比叡と金剛で彼らを本国に送還させた。
 
それからおよそ100年後のことである。
 
1985年のイラン・イラク戦争の時である。イラクのサダム・フセインが「今から48時間後にイランの上空を飛ぶ全ての飛行機を撃ち落とす」と宣言した。各国は急きょ自国民の救出に動く。しかし日本の自衛隊は海外派遣が出来ない。テヘラン空港に日本人215人が取り残された。刻々と時間が過ぎていく。
 
イランの野村大使はトルコのビルレル大使に頼んだ。「貴国の飛行機で日本人を救出して貰えないだろうか。」ビルレル大使はきっぱりと「解りました。我々は日本人に恩返ししなければいけないから。」そう言って一部のトルコ人を自動車で脱出させることにして日本人全員をトルコの飛行機に乗せた。制限時間の2時間前のことだった。
 
******** 上卦は風。
******** 従順を表す。
***  ***
***  *** 下卦は沢。
******** 喜び、誠意を表わす。
********
 
「風沢中孚」の卦。中孚(ちゅうふ)とは誠心誠意である。原意は親鳥が卵を温めて孵化させることである。誠意は必ず人の心に通じるものである。
 
日本人でエルトゥールル号の話を知る人は少ないが、トルコでは誰でも知っている。何故なら教科書に載せてあるからだ。日本の教科書も日本の良いところをしっかりと載せてもらいたいものである。
 
 
 
 
 
 
 

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