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小村寿太郎 1855〜1911。
じっと我慢の明治政府にとって、思わぬ展開が起こった。清国の民衆が宗教団体「義和団」を中心に暴動を起こし始めたのだ。
清を扶(たす)け、西洋を滅す「扶清滅洋」を旗印に、暴動は全国に広がる。暴徒は各国の大使館、キリスト協会を焼き払い、西洋人を殺害した。
清国政府は鎮圧しないばかりか、正規軍が暴徒に協力して北京の公使館や租界を攻撃する始末である。
各国は清国から近い日本に鎮圧を要請してきた。しかし、ここで明治政府は慎重な態度をとる。安易に派兵して「日本は暴動を口実に清国を侵略した。」と非難されることを警戒したのだ。
するとイギリス政府から正式な派兵に関する申し入れがあった。そこで、明治政府は日本が主となり、列国からも派兵してもらい連合軍として鎮圧するという態度をとる。
鎮圧は実に手際よく行われた。しかも当時制圧した先での略奪は当たり前であったが、日本軍はいっさい風紀を乱すことなく鎮圧後はただちに帰国した。ところが、満州に派兵したロシア軍はいつまでも占領地の如く、居座り続ける。
ロシアの南下政策には歯止めをかけたかったイギリス。イギリスは日本という国を再発見する。「日本は信頼に値する国だ。」イギリスは世界のチャンピョンとしてそれまでどの国とも同盟を結んではいなかったが、そのイギリスから「日英同盟」を申し入れてきた。
この「北清事変」での日本陸軍のファインプレーが、お先真っ暗の日本にイギリスという強力な同盟国を得ることになり、世界中に日本の存在を確立することにもなった。
この「日英同盟」を成立させた外交官が小村寿太郎である。小村は陸奥宗光が目をかけた外交官だ。後に開国以来の不平等条約を撤廃させ、関税自主権を勝ち取った人でもある。
******** 上卦は火。
*** *** 文明、文化を表す。
******** 太陽でもある。
*** *** 下卦は地。
*** *** 大地である。
*** ***
「火地晋」の卦。太陽が地上に現れる象である。見通しが明るくなることでもあり、上のものに見出されることでもある。明徳を発揮して大いに働くことを期待される。
明治の外交官、陸奥宗光や小村寿太郎。
未だ外交の蓄積もない中で、かくも堂々と列強の首脳と渡り合ったものかなと感心する。
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明治からの日本
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私はこれまで歴史と言えば、幕末にしか興味がありませんでした。
しかし最近になって、明治、大正、昭和の近現代史に興味が沸いてきました。
自分の不勉強もさることながら、戦後の教育にはこの肝腎な明治時代以後の
歴史教育が欠如したままではないでしょうか。
現在の政治も経済も国際問題も、この近代の歴史を知らずして語れるものは何も無いでしょう。
今更迂遠な話ではありますが、明治以後の人物と向き合いながら、
現在の日本のあるべき姿を考えて見たいと考えた次第です。
もし良かったら一緒に考えて頂けましたら幸いです。(猶興)
しかし最近になって、明治、大正、昭和の近現代史に興味が沸いてきました。
自分の不勉強もさることながら、戦後の教育にはこの肝腎な明治時代以後の
歴史教育が欠如したままではないでしょうか。
現在の政治も経済も国際問題も、この近代の歴史を知らずして語れるものは何も無いでしょう。
今更迂遠な話ではありますが、明治以後の人物と向き合いながら、
現在の日本のあるべき姿を考えて見たいと考えた次第です。
もし良かったら一緒に考えて頂けましたら幸いです。(猶興)
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李鴻章 1823〜1901。
中国では昔から夷を以て夷を制す「以夷制夷」という戦略があったが、それは中国が揺ぎ無い大国であったときの話である。ここでの李鴻章のとったロシアへの干渉依頼は国を滅ぼす行為となった。
列強は清国をどう分割しようかと談合を重ねていたのだ。まさに中国は列強に食い尽くされ、半植民地になりつつあった。
先ずロシアは南下政策に弾みをつけ、遼東半島の旅順、大連を、ドイツは膠州湾と青島を、フランスは広州湾一帯を、イギリスは九龍半島・威海衛と香港対岸の新界を租借した。
当時、租借とは実質的な割譲を意味する。全て三国干渉後の3、4年の間に行われた。
一方で由々しきことが起こる。日本のおかげで「大韓帝国」として独立国となった韓国が、あろうことかロシアに近づき始めた。閔妃一族は宗主国・清を倒した日本は三国干渉で列強に屈したのだから、やはり強いのは列強だと判断した。強い国に自国を委ねる「事大主義」である。
韓国の親露ムードに乗ってロシアは南下政策をさらに進める。散々邪魔をした、目の上のタンコブ・日本を潰してしまえという意図である。日本にとっては正に絶対絶命のピンチだ。
30年の明治政府の努力は水の泡なのか。東洋のチャンピョンは世界では通用しないのか。日本では国家予算の大半を軍備に注ぎこんだ。ところが戦争には勝ったが富国強兵どころか、「貧国強兵」で少しも豊かにならない。不満を募らす国民。明治政府の「臥薪嘗胆」の時代は続く。
******** 上卦は山。
*** *** 動かざるものを表す。
*** ***
******** 下卦は風。
******** 入る。風化させる意味。
*** ***
「山風蠱(こ)」の卦。蠱(こ)は皿の上に虫が集まっている象である。皿は御馳走を表すので、中国という肥沃な土地に列強が集まっているとも言えるだろう。又、泰平が長く続けば、内部に腐敗と混乱が進行するとも言える。同時に新生、革新の時代でもある。
西郷さんが提唱していた日本、清国、朝鮮の三国同盟が出来ていればどうなったであろうか。
実現したかどうかは別にして話し合いくらいはさせて上げたかったと思ってしまう。
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陸奥宗光1844〜1897。
朝鮮を独立させ、ロシアの南下政策を阻止しようとする日本と、朝鮮だけは属邦として置きたい清国。両国はついに1894年(明治27年)開戦。日清戦争である。
予想に反してあっけなく日本軍が勝利した。統制と訓練が行き届いた日本の陸海軍は目を見張るような活躍をしたのだ。
戦後の講和は下関で行われる。1、清国は朝鮮の独立を認め、属邦関係を解除する。1、遼東半島と台湾の割譲。1、賠償金の支払い。下関条約として決められた。
清国代表の李鴻章はショックの余りヤケクソになったのだろうか、こともあろうにロシアにこの条約に干渉するよう求めた。
南下政策を目論むロシアには渡りに船である。普段は喧嘩ばかりしているフランスとドイツに持ちかけて、早速日本にイチャモンを付けてきた。
「東洋の平和のために遼東半島は清国に返還せよ。」というものだ。何しろ相手は欧州列強3国である。断われば3国と戦争になるかも知れない。
3国はボランティアをするのではない。ロシアは南下政策を、フランスもドイツも見返りは清国の領土である。理不尽な要求であったが、日本にとっては今後さらに窮地に立つことを承知の上で、明治政府は要求に従った。これが「三国干渉」である。
その時に交渉に当たったのが、カミソリ外交官と言われた陸奥宗光である。陸奥の回顧録「蹇蹇(けんけん)録」によると「まるで今にも3国は砲撃を始めてくるような恐怖感に襲われた。」とある。
*** *** 上卦は水。
******** 困難、危険、悩みを表す。
*** ***
******** 下卦は山。
*** *** 動かないものを表す。
*** ***
「水山蹇」の卦。蹇(けん)は足なえ、行き悩みの意味である。危険を前にして動けないでいる象。八方塞がりで、にっちもさっちもいかない状態である。徒に突き進んではいけない。退くことも大切である。
陸奥は龍馬の海援隊出身である。終生、龍馬の大きさを崇拝していた。
明治政府の懸案であった不平等条約の治外法権問題はこの人が解決させた。
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井上毅(こわし) 1843〜1895。
明治憲法が制定され、日本は正真正銘、独立国家になった。しかし、それはあくまで体制であり、憲法の手本になったプロシャ憲法は西洋的であり、国民の心情に響くものではなかった。
御一新で気分は高揚するものの、いったい自分たちは何処へ向かって走っていけば良いものかに迷っていた。
当時の日本人は開国とともに、一気に流れ込んできた西洋文明と伝統の日本の精神文化の狭間で混乱を極めていた。
とくに知識階級の目は西洋に注がれ、日本文化を軽視する流れも起り、深刻な危機でもあった。明治政府にも鹿鳴館外交に浮かれる国情を憂い、道徳教育を立て直そうという動きも生まれてきた。
明治天皇から文相・榎本武揚を通して白羽の矢を立てられたのが、憲法と皇室典範の草案にも参加した井上毅(こわし)である。
井上は同郷(熊本)の大先輩で明治天皇の教育係であった元田永孚(ながざね)に協力を仰いで取り掛かった。二人はお互いに胸襟を開いて、天皇と国民の将来のために真剣に議論を重ねる。
かくして井上が理想とする国学と元田が理想とする儒教の五倫の精神を基に「教育勅語」は出来上がった。
「父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ」そして「博愛衆に及ぼし、学を修め、業を習い、以って知能を啓発し、徳器を成就し、進んで公益を広め、政務を開くべし、」という美しい天皇の言葉として表現した。
教育勅語は、天皇の勅語として明治23年10月発布され全国津々浦々にまで広まった。日本が近代国家に変わっても、日本人が毎日生活する姿勢はこれまで通りで良いのだという安心感を与えた。
そして国民は自信を取り戻し、教師は教師、農家は農家、職人は職人、それぞれの職業に精励することがお国のためにもなると信じたのである。
教育勅語は明治、大正の思想的混乱期を乗り切り、日本の近代化の精神的バックボーンとして大きな役割を果たしたと言える。
******** 上卦は天。
******** 大きな世界を表す。
********
******** 下卦は火。
*** *** 文化、文明を表す。
********
「天火同人」の卦。大きな世界の下に一つの文化が生ずる象である。同人は「同人誌」などと同じ考えを持つ人たちが集まることをいう。国家レベルで共通の文化を持った国民は団結するだろう。
明治の人物と言えば、政治家や日清、日露の戦争で活躍した軍人が目立つ。
しかし、表には出なかったが、文官・井上毅の功績は讃える価値があろう。
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伊藤博文。1841〜1909
富国強兵を目指す明治政府には難問が山積していた。
その一つが開国以来押しつけられていた不平等条約である。 一つは輸入品にかける関税を日本側が決められないこと。一つは国内で犯罪を起こした外国人を日本人が裁けないことである。
明治政府の足枷ではあるが、簡単に交渉出来ない事情があった。それは自国の憲法すら確立していない野蛮な未開発国のレベルでは、国際的に独立国家として認められないのだ。
そこで先ず憲法を制定することが先決とされ、その責任者に伊藤博文が任命された。伊藤は勇んで憲法の研究に取り掛かった。
伊藤は立憲君主国であり、首相・ビスマルクが率いるドイツ帝国が最も参考になると結論を出し、ドイツに赴いた。1882年(明治15年)3月である。
ビスマルク首相より30もの国を統一したドイツより前身のプロイセン王国の憲法をベースにするのが良いとのアドバイスを受ける。ベルリン大学の憲法学者であるルードフ・グナイストを紹介され、憲法作成に取り掛かった。
1889年(明治22年)大日本帝国憲法が明治天皇より発布された。そして翌年、1890年(明治23年)11月第一回の帝国議会が開設されている。
明治維新の新国家建設は世界的にも奇跡と言われるスピードで、着々と進んでいったのである。
しかし懸案であった治外法権はそれから10年後、1899年(明治32年)にようやく撤廃され、関税自主権はさらに期間を要し1911年(明治44年)やっと回復出来た。
******** 上卦は火。火は太陽である。
*** *** 文明、文化を表す。
********
*** *** 下卦は地。
*** ***
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「火地晋」の卦。太陽が地平線から昇る象。前途洋洋、希望があふれる。すくすく育つ子供の様でもある。
明治新政府は何もない処からの出発であった。
あるのは独立国家と富国強兵の夢だけである。
しかし、国民の志と団結は目を見張るものがあった。
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