さわやか易

いらっしゃいませ。名画を鑑賞するとき、その背景である歴史を考えてみたい。(猶興)

歴史を易で観る(上)

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安岡学研究会における講師テキストとして作成しました。

易の卦には順番があり、これが大変教訓と興味をそそるものなのです。
そしてこの易の変化と歴史の変化には共通したものがあり、以前から不思議に感じておりました。
そこで、易にも歴史にも未熟であることを省みず思い切って両者の組み合わせを試みた次第です。
一般にも公開することにしましたので、読んで戴ければ幸いです。(猶興)
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離為火

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離 為 火
 
(序卦伝)坎とは陥るなり。陥れば必ず麗く所有り。故に之を受くるに離を以てす。離とは麗くなり。
 
(卦辞)離は貞しきに利し。亨る。牝牛を畜へば吉。
 
(大象)明両たび作るは離なり。大人以て明を継ぎて四方を照らす。
 
離は火であり、明であり、付くであり、太陽である。理性、教養、才能、文明、文化を表す。
 
「牝牛を畜へば吉」は牝牛のように従順の徳を養うのが吉である。中陰、中虚にして始めて能く明であることを表すものである。
 
理性はあくまでも正に就くものであり、正しいほど知は明らかであり、天下を化成して、四方を照らすことができる。
 
離為火は理性の原則
 
上下の離は新しい文化について説く。下は大衆、上は為政者と考える。
 
初九、六二、上九は朝、昼、夕に置き換えて、新人、中堅、晩年での新文化にどう取り組むのかを表している。初九では戸惑うこともあるが、慎重に取り組むので咎はない。六二は「黄離、元吉」末永く新文化を受け入れ申し分なし。九三は晩年の層、新文化を楽しもうにも残りわずかな人生を嘆く。
 
上の爻はすべて位置を得ていないのですんなりと行かない。九四は突如の変化に驚き慌てるので危ない。六五は世の中の変化に只哀しみを感じている。上九はしたたかな君子、どさくさの中にも地位を確保している。
 
 
 
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福沢諭吉。1834〜1901 
 
文明開化に見る離為火
 
英語を学んだ福沢諭吉は勝海舟の咸臨丸に乗ってアメリカに渡るチャンスを得た。西洋文明を体験したことが諭吉にも日本にも大きな変化をもたらした。その2年後には、遣欧使節団の通訳としてヨーロッパ各国、ロシアのペテルブルグを歴訪。その後再び渡米しているので、明治を迎えた日本においては最高の外国通となっていた。
 
慶応3年には外国文化を日本に広めるため、洋学塾を始める。諭吉は日本人を啓蒙することを自分の仕事にした。これが「慶応義塾」の基になった。「学問のすすめ」は明治4年に郷里・中津(大分県)に出来た学校を祝うつもりで「中津の旧友に贈る」と題して書いた論文が評判になり、明治5年に諭吉が書き改め発売された。明治の若者たちは「学問のすすめ」により、大きな志を立てたものである。
 
富国強兵を目指す日本にとって、なにより急務であるのは日本人のエリートを育てることである。そこで明治政府は高官並みの待遇で各方面に優秀な外国人を招請した。彼らは「お雇い外国人」と呼ばれたが、中には日本という国をこよなく愛してくれた。エルヴィン・フォン・ベルツは明治9年にドイツから医学の教師として現在の東京大学医学部に招かれ、以来27年にわたって日本の医学会の発展に尽くしてくれた。
 
彼の編集した「ベルツの日記」は当時の西洋人から見た日本と日本人が実によく描写されていて感銘を深くする。その一部を読むと。「日本人はたった10年前までヨーロッパの中世騎士時代の文化状態にあったのに、一気に500年の時間を飛び越えて全ての成果を自分のものにしようとしている。」とある。
 
 
 

坎為水

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坎 為 水
 
(序卦伝)物は以て過ぐるに終る可からず。故に之を受くるに坎を以てす。坎とは陥るなり。
(卦辞)習坎は孚有り。維れ心亨る。行きて尚ばるる有り。
 
(大象)水洊に至るは習坎なり。君子以て徳行を常にし、教事を習ぬ。
 
大過の英雄は末路に必ず穴の中に落ち込むのである。しかし、苦労は人を深くし、新たな勇気や力を生ぜしめる。
 
坎(水)は孚(誠)の道である。この卦は九二と九五が1、至誠の徳、2、剛強の徳、3、中庸の徳によって険阻艱難なる時代に処して行くのである。
 
艱難、汝を玉にする。「憂きことのなほこの上につもれかし限りある身の力ためさむ」の概を要する。
 
坎為水は意志の原則
 
艱難に陥る卦であるので全ての爻は危険であり凶である。初六、六三、六四、上六は艱難に喘いでいる。その中、六四だけが九五を援けるため創意工夫を凝らしているので最後は咎なし。
 
九二「坎にして険あり。求めて小しく得。」少しづつ立ち直るしか方法はない。王陽明の詩に「坎に遭うて稍餒うる無き」ものである。
 
九五の君子は艱難の中に身を置き、じっと次の変化を待つことしか出来ない。険難ここに至って全く平坦に帰する。然し要するに坎の中である。深潜剛毅を要する。
 
 
 
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西郷隆盛。1827〜1877
 
西南戦争に見る坎為水
 
鹿児島に戻った西郷を中心に、篠原国基が「銃隊学校」、村田新八が「砲隊学校」を主催し士官養成学校をつくる。勢力の拡大に事態を重く見た明治新政府は鹿児島の火薬庫から爆薬を運び出そうと試みた。私学校の青年たちは爆発し戦争へと決起する。静観していた西郷であったが、「この身体をお前さあに差し上げもんそ。」と決起に同意した。
 
西郷は明治政府の方針について最も不満であったのことは「脱亜入欧」だろう。西郷は欧米先進国を機械文明の先進国とは見ても道義的文明国とは見ていなかった。「彼らは道ならずして弱国を奪うではないか。真の文明国とは外には道義をもって立ち、内には道義の行われる国をいうのだ」と言っている。
 
徳川300年の儒教を中心とした精神文化は維新後も守るべき貴重な教育の柱である。日本の文化を否定し全てを外国に習おうとする政府の方針は許せない。防衛の基本はロシアと欧米の進出を防ぐことにあり、その意味でも清国、朝鮮国との亜細亜三国同盟が必要不可欠である。
西郷は征韓論に破れ、野に下ったというが、「三国同盟は必要である」の思いは諦めてはいなかったのではないか。生涯最後の仕事として自ら中央へ進出して政権を取り戻して三国同盟を成立させ、道義国家実現を目指そうと考えたのではないだろうか。

沢風大過

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沢風大過
 
(序卦伝)頤とは養うなり。養わざれば則ち動く可からず。故に之を受くるに大過を以てす。
 
(卦辞)大過は棟撓む。往く攸有るに利し。亨る。
 
(大象)澤、木を滅するは大過なり。君子以て独立して懼れず、世を遯れて悶ゆる无し。
 
大なるものが過ぎる卦である。大のつく卦は4つある。火天大有、山天大畜、沢風大過、雷天大壮でなり、すべて大は陽をさすなり。
 
大いに養うときは大いに動くことができ、大いに動くときは、とかく大いに行き過ぎることになる。社会に例えれば下層と上層の階級とが弱っており、中部の階層があまりに勢いが強く盛んなのである。中部階層とは権臣、外戚の一族、軍閥等が考えられる。
 
氾濫の憂を示すもの。時代の激流滔々として衆人を危からしめる時、毅然として正義を執り、独立して懼れず、或は又、世俗を遯れて、澄然として悶えない道徳をも教えるものである。
 
 
沢風大過は大事と耐忍
 
九二から九五まで陽爻が並ぶ。初六は慎重に対処するので咎はない。九二は意気盛んなれど中庸を知るので利し。
 
特に主爻の九三と九四の陽が強い。九三は「棟撓む。凶。」力山を抜き、気は世を覆う。責任のすべてを負わんとして行き過ぎる。九四は陽に過ぎるも、陰位にあり行き過ぎを抑えることが出来る。
 
九五は大過の時代に勢力を盛り返すことが出来る。上六は危険な激流をようやく渉ることが出来咎なきを得る。
 
 
 
 
 大久保利通。1830〜1878
 
征韓論争に見る沢風大過
 
西洋諸国を見聞し岩倉一行より一足早く、明治6年5月に帰朝した大久保に待ったをかける大きな壁が立ち塞がっていた。西郷らの留守舞台政府により朝鮮への特使派遣が決定していたのだ。ここまで進んだ政府案に異を唱えることは竹馬の友・西郷を敵に回すことになる。西郷を敵に回すことは薩摩をはじめ旧士族全体を敵に回すことである。
 
9月、帰朝した岩倉も驚き、大久保を呼んで対策を練る。大久保は公家出身の岩倉、三条の二人に「絶対に変節しない」との一書を書かせて参議を引き受け閣議に望む。10月12日、特使派遣の具体案を練るための閣議が開かれると、大久保は満身に闘志をみなぎらせて出席した。岩倉が「内治先決、特使反対」を主張すると、西郷は「既に閣議にて決定していること」と抗弁した。
 
そこで立ち上がった大久保は「国家の基礎も固まっていないとき、外戦など起せば不慮の事態が起こるであろう。今でさえ赤字財政なのに、莫大な戦費を費やせば国民は塗炭の苦に陥り、ようやく進みつつある富国強兵の事業も半途にして廃絶するであろう。さらにまた、輸出産業の沈滞が外債を増し、逆に軍需品の輸入増で財政はたちまち崩壊する。こうなれば、大債権国であるイギリスの内政干渉がはじまり、ロシアがどう動くか解らない。まさに、民族独立の危機ではないか」火を吹くような演説だった。
 
西郷も一歩も退かない。「何を言う。俺は戦争をするとは言っとらんぞ。一兵も連れずに特使にいくのだぞ」会議は連日つづいた。議長の三条は疲労困憊し、精神錯乱して倒れた。明治天皇は岩倉に太政大臣代理を命じると岩倉は使節団反対を奏上し、天皇はこれを裁下した。大久保の工作が成功した。西郷、板垣退助以下5人の参議は辞表を提出、桐野利秋以下多数の西郷系近衛将校が後を追って辞職した。

山雷頤

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山 雷 頤
 
(序卦伝)物畜えられて然る後に養う可し。故に之を受くるに頤を以てす。頤とは養うなり。
 
(卦辞)頤は貞にして吉。頤を観、自ら口實を求む。
 
(大象)山の下に雷有るは頤なり。君子以て言語を慎み、飲食を節す。
 
頤は「おとがい」であり「あご」である。それから「養う」という意味になる。
養うとは肉体を養う、心を養う、家族、社員、国民を養う意味になる。
 
言語と飲食は動くものであるから震の卦の象であり、慎むと節するとは止める性質であるから艮の卦の象である。
 
何を養うにも、変わることもなく正を養うことが吉である。
 
山雷頤は欲望の問題
 
いかに養うか又は養われるかを説く。初九と上九が養う爻であり、二から五までの陰爻は養われる道を説いている。
 
初九「爾の霊亀を舎て、我を見て頤を朶る。凶。」自家の無尽蔵を投げ捨て門に沿ひ、鉢を持って、物乞ひして歩く貧児のやうなまねをしてはならない。
 
六二、は初九に養われるもを恥じていて凶。六三は上九に媚び諂うので凶。六四は養われているが己の任務を果たすので吉。六五は上九の養いを受けるが天子の役割を果たすので吉。
 
上九は責任は重く危ういが、天下の信任を受け恩徳天下に行き渡るので吉。大川を渉るに利し。
 
 
 
渋沢栄一。1840〜1931
 
明治の殖産に見る「山雷頤」
 
農業中心であった幕末までの日本。西洋に追いつくための富国強兵。その富国を実現するには工業国家へと変身しなければならない。日本の資本主義の父と言われる渋沢栄一は武蔵(埼玉県)の豪商の出身。若い頃は尊王攘夷の志士であった。ある縁があり、一橋家に就職する。将軍・慶喜の弟である徳川昭武がパリの万国博覧会に行くのに随行した。
 
ヨーロッパ文明に触れた栄一は攘夷思想の無意味を知り、明治元年に帰国すると実業家の道をひたむきに突き進む。銀行、保険、電気、ガス、鉄道、海運、紡績、石油、セメント、ほとんど全ての産業にかかわり、生涯に500社に及ぶ会社を設立した。
 
大阪株式取引所を設立し、関西の経済界のリーダーであった五代友厚は薩摩藩出身。長崎海軍伝習所に学び、高杉晋作と上海に密航。その後イギリスに渡り西洋文明を吸収した。士農工商の身分制度を覆し卑い立場から財閥を興した創業者もある。極貧の地下浪人から三菱グループを創業した岩崎弥太郎、露天の両替商から安田財閥を創業した安田善次郎、農家から山陽鉄道や銀行を設立した松本重太郎などだ。
 
旧商家を今日に続く財閥にした創業者もいる。丁稚奉公から住友別子銅山を立て直し住友の基礎を築いた広瀬宰平、三井家の番頭から銀行や三井物産を創設した三野利左衛門などである。明治の創業者に共通しているのは、スケールの大きさであり、家業の発展だけでなく国の繁栄まで視野に入れた志と強靭なチャレンジ精神である。
 
 
 
 
 

山天大畜

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山天大畜
 
(序卦伝)天妄有りて然る後に蓄う可し、故に之を受くるに大畜を以てす。
 
(卦辞)大畜は貞しきに利し。吉。大川を渉るに利し。
 
(大象)天、山の中に在るは大畜なり。君子以て多く前言往行を識して以て其徳を畜ふ。
 
大畜は正しい道に叶っておればよろしい。進んで世に出て正しい道を行えば吉にして福を得る。天下の艱難を救済することが出来るだろう。大人君子が大徳・大才を養うて動ぜぬ象であり、偉大な王者が勝れた人材を包容して安定してをる象である。
 
何楷曰く「畜とは之を畜めて以て其徳を成すなり。何ぞ乾を畜むる。其の過鋭にして或は躁がしく、過剛にして或は折れ、過大にして或は簡ならんことを懼る。故に畜めて以て之を裁す。此れ聖人、天下を陶鋳するの妙機、師道なり。唯だ上九の一爻、之に当る。」
 
 
 
大畜は大事と実力の蓄積
 
下の三陽は有能な人材であり、上の六四、六五、上九がいかに養うかを説く。
 
主爻上九「天の衢を荷ふ。亨る。」衢(ちまた)は四通の大きい道路。天の衢を荷ふとは天上の四通八達、縦横無碍、広大無辺なる道を肩に荷っておるのである。
 
荘子の逍遥遊編に「背に青天を負い、之を夭閼(ようあつ)する者莫し。」とあり、自由自在に働きができることをたとえたもの。
 
 
 
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 西郷隆盛。1827〜1877
 
廃藩置県に見る山天大畜
 
岩倉具視、大久保利通らの政府要人が大挙して洋行に出発出来たのは、一人西郷がいたからである。新生・明治政府が先ず最初に断行しなければいけない改革は「廃藩置県」であった。諸大名の持っている土地と人民を取り上げることであり、大リストラが必要だ。当然激しい抵抗が予想されうかつにかかれば全国で蜂の巣を突いた様な内乱になる可能性もある。
 
岩倉、大久保らは知恵をしぼった。大久保の案により勇断力と国民的徳望のある西郷を中心に据えることにした。西郷は戊辰戦争が一段落した後、3年間も鹿児島に引っ込んでいたが、呼び出しに応じる。西郷は反乱に備え、薩、長、土から一万の徴兵を全国に配備させる。
 
「後はおいどんが引き受けもんそ。暴動は責任をもって鎮圧しもす。」明治4年7月14日明治天皇の詔勅による廃藩置県の大号令が発布された。こうして全国261藩が廃止され、3府302県が生まれた。中央集権的近代国家のかたちが出来た。その年の11月、岩倉使節団は西郷に後を任せて日本を出発した。
 
日本に来ていた英国の代理公使であるアダムスは「西洋諸国では絶対有り得ないことである。一片の詔勅をもって、これほどの重大事がかくもスムースに行われるとは日本皇帝の威力、国民の忠誠心は驚嘆すべきものである。」と語っている。

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