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風 地 観
(序卦伝)臨は大なるなり。物大にして然る後に観る可し、故に之を受くるに観を以てす。
(卦辞)観は盥して薦めず。孚有り顒若たり。
(大象)風、地の上を行くは観なり。先王以て方を省み民を観て教えを設く。
観には1に周観(高い所より遍く四方を見渡す。)2に仰観(低い所から上にあるものを仰ぎ見る。)
暦の上では旧暦の八月で陽気衰え始める。小人の勢力が増し君子の道廃れる。
昔の帝王は四方の諸国を巡幸してよく省察し、風俗習慣、文化の程度をよく知り、それぞれに対して適当なる政治教化を施すのである。
風地観は国民教化と自戒
上の二陽は周観を、その他は陰爻は仰観を表しどの様な観方をするかを説いている。初六の童観は幼稚な観方。六二の闚観は覗き観る。六三の生観は自分の人生体験の中から観る。
六四の「国の光を観る」は人物材幹が単に臣事の程度に止まらず、能く国王の幕賓として尊重せられるほどがよろし。(観光の語はこれに由るものである。)
九五の「我が生を観る」は統治者として能く己自身の在り方を反観する。上九の「其の生を観る」は全体の生(在り方)を観る。どちらも、君子であれば咎はない。常にこれではいけないといふだけの志がなければならぬ。
横井小楠。1809〜1869
動乱の先を観る「風地観」
横井小楠は熊本藩の藩士であるが、熊本藩では彼の卓越した才能は受け入れられない。認めたのは福井藩主・松平春嶽である。春嶽が安政の大獄で懐刀の橋本佐内を失い自身も謹慎の身となったとき、「これより先に進むの工夫もっとも肝要なり。」と藩論の分裂を防いだ。「富国」「強兵」「士道」からなる「国是三論」を唱えた。
幕府の勝海舟、大久保忠寛(一翁)らと時勢を論じ、「大政奉還」論を説いている。禁門の変前後は藩より4年間の謹慎処分を受け閑居の身であったとき、坂本竜馬が訪ねて来る。竜馬は「船中八策」の原案を相談している。小楠はアメリカの政治制度を高く評価した。「富国強兵」を超えた「大義」にのっとることを基本にした。
勝海舟は「氷川清話」のなかで「おれは、今までに天下で恐ろしいものを2人見た。それは横井小楠と西郷隆盛だ。」「その思想の高調子な事は、おれなどとは、とても梯子を掛けても及ばぬと思ったことがしばしばあったよ。」と語っている。常に時代の先を読んでいた。明治2年、京都にて攘夷主義者に暗殺された。
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