さわやか易

いらっしゃいませ。名画を鑑賞するとき、その背景である歴史を考えてみたい。(猶興)

歴史を易で観る(上)

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安岡学研究会における講師テキストとして作成しました。

易の卦には順番があり、これが大変教訓と興味をそそるものなのです。
そしてこの易の変化と歴史の変化には共通したものがあり、以前から不思議に感じておりました。
そこで、易にも歴史にも未熟であることを省みず思い切って両者の組み合わせを試みた次第です。
一般にも公開することにしましたので、読んで戴ければ幸いです。(猶興)
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地山謙

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地 山 謙
 
(序卦伝)大有なる者は以て盈つ可からず。故に之を受くるに謙を以てす。
 
(卦辞)謙は亨る。君子、終有り。
 
(大象)地中に山有るは謙なり。君子以て多きを裒らし、寡きを益し、物を稱り施を平かにす。
 
天道は盈るものを虧いて謙なるもに益し、地道は盈を変じて謙に流し、鬼神は盈を害して謙に福し、人道は盈を悪んで謙を好む。謙は尊くして光り、卑くしてしかも踰えることはできない。君子の終である。
 
 
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徳川家茂1846〜1866
 
公武合体にみる地山謙。
 
安政5年大老・井伊直弼の独断的決定により家定を継いで将軍に就任する。わずか13歳。日米友好通商条約の締結と将軍継嗣問題に関して幕府と朝廷の間に対立が生まれた。融和策として打ち出されたのが公武合体策である。幕府は孝明天皇の異母妹である和宮を家茂への降嫁を申し出る。文久2年(1862)結婚は成立した。
 
翌年、3代将軍・家光以来の上洛、幕府の権威を内外に知らしめるつもりであったが、孝明天皇から攘夷を押し付けられる。攘夷祈願を行う天皇に随い賀茂神社に向かう。天皇が祈願しているあいだ家茂は雨に濡れながら群衆の見守る中庭に坐していた。
 
大阪へ行き、幕府軍艦・順動丸に乗り摂津近海を巡視する。このとき勝海舟より海防のため海軍の必要性を聞く。「ただちに実行せよ。」と諸役に命ずる。海舟は家茂の英断に舌を巻いた。これをきっかけに海舟は軍艦奉行、安房守にまで出世する。
 
慶應2年(1866)第2次征長のため大阪に出兵。幕府軍が敗北し苦境に立たされまま身を削る多忙とストレスのため大阪城にて急死した。21歳の若さだった。
 
 
地山謙は謙虚の徳用
 
謙の卦は全体に吉、利、利しからざるなしであり悪い爻は一つもない。危うい爻とされる九三が主爻であるが「君子労謙す。有終、吉。」である。
 
九三に比し、応ずる六二と上六には鳴謙とある。謙が外にあらわれ名声となる程である。
 
六五に「侵伐するに利し。」とある。謙虚なる君主に従わぬものは武力を用い討伐するのも止むを得ない。利しからざるなしである。
 
 
 

火天大有

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火天大有
 
(序卦伝)人と同じくする者は物必ずこれに帰す。故に之を受くるに大有を以てす。
 
(卦辞)大有は元に亨る。
 
(大象)火、天上に在るは大有なり。君子以て悪を遏め善を揚げ、天の体命に順ふ。
 
太陽が天上に輝いている象であり、地上の万物はことごとく皆照らされるのである。まことに景気の良い卦である。
 
 
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 19世紀後半のニューヨーク
 
欧米列強に見る火天大有
 
77人の遣米使節団の一行はサンフランシスコを経由して、ワシントンへ到着。その後ニューヨークでも歓迎されている。
 
ニューヨークは、アメリカ最大の商業都市であり、当時世界最大の産業国であったイギリスに肩を並べようとしていた。水路や橋、セントラルパークなどの大規模な公共事業、運河、鉄道、などが整備されていた。
 
製鉄、石油採掘・精製、発電などのエネルギー産業により、デパートが建ち、流通業や服飾産業など、大衆消費時代が到来している。また、保険業、弁護士業などのサービス業も生まれている。富豪の邸宅は贅を極め、街は夜もガスライトで灯され、世紀末には電灯が昼夜を明るくしている。
 
火天大有は勢力の培養
 
「大有は元亨」であり、九五の天子を中心に発展、繁栄をする目出度い卦である。同じく五を中心とする「水地比」は「吉、咎无し」であり、大有の方が勝っている。
 
初九、九二、九三、九四、上九の陽爻に悪い爻は一つもない。とくに九二には「大車以て載す。往く攸有り。咎无し。」とある。どんな重い物を載せても堪えられる程の力量を示し、六五の天子が最も信任する賢人である。(積中不敗)
 
六五には「厥孚、交如たり、威如たり、吉。」交如は相交わる、威如は威ありて猛からず。坤卦の六五「黄裳元吉」に比す。 

天火同人

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天火同人
 
(序卦伝)物は以て否に終る可からず。故に之を受くるに同人を以てす。
 
(卦辞)人と同じくするに野に干てす。大川を渉るに利し。君子の貞に利し。
 
(大象伝)天と火とは同人なり。君子以て族を類し物を辨ず。
 
同人とは人と協同一致することである。火は燃えて上に向って上り天に近づくもの。
離の卦を太陽とみると天と日は極めて密接な関係なものである。
 
 
 
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咸臨丸
 
遣米使節団に見る天火同人 
 
安政7年1月、アメリカ軍艦・ポーハタン号にて日米修好通商条約のために、遣米使節団が出航した。また、随行艦として咸臨丸が日本人の操縦として始めて外航に出ることになった。この二隻に3人の英傑がいた。小栗忠順34歳、勝海舟38歳、福沢諭吉26歳である。
 
一行は艦の修理を兼ねて、ハワイへ立ち寄った。その翌日、驚いたことに自分たちのことが新聞により報道されていた。小栗は新聞社を訪れ、印刷機械を見る。印刷と言えば木版画しか知らなかった。さらに小栗は軍艦がすっぽり納まるドッグなるものに目を見張った。
 
海舟は世界の体制が既に封建制度を脱していることを知り、幕藩体制の限界を感じた。若き諭吉にとっては教育という自分の使命を知り、日本の若者たちに思いを馳せた。
 
サンフランシスコでも一行は歓迎された。西洋文明の圧倒的繁栄。この体験により一行は攘夷の無意味を知ることになる。
 
天火同人は同志の結集
 
広く同志を天下に求めて、大いに文明を発揚する象である。
 
「二人心を同じうすれば、その利きこと金をも断つ。」同心の言はその香り蘭の如きものがある。しかし六二には「同人、宗に干てす。吝。」とあり、「人と同じくするに野に干てす」に反しているので吝。九五には「同人、先には號咷して後には笑う。大師克ちて相遇ふ。」時には同人を得るためには大軍を要すこともある。上九には「同人郊に干てす。悔なし。」郷里に帰り門弟子を教育した孔子などがこの爻にあたる。

天地否

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天 地 否
 
(序卦伝)泰とは通ずるなり。物は以て通ずるに終る可からず。故に之を受くるに否を以てす。
 
(卦辞)否は之匪人。君子の貞に利ならず。大往き小来る。
 
(大象)天地交はらざるは否なり。君子以て徳を倹し、難を辟け栄と禄とに可ならず。
 
泰の逆である。天地交はらずして萬物通ぜず、上下交はらずして国家の体を成さない。小人の道長じて、君子の道消することである。
 
 
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徳川斉昭。1800〜1860
 
安政の大獄に見る天地否
 
大老になった井伊直弼の前に待ったをかけるのが、御三家であり一橋派の中心人物である徳川斉昭である。早速、水戸藩主・徳川慶篤、尾張藩主・徳川義勝、越前藩主・松平春嶽とともに条約と将軍継嗣につき、江戸城へ押しかけ直談判に及ぶ。
 
それでも直弼は危急存亡の時と、勅許なしでの日米修好通商条約を締結する。続いて、将軍継嗣を紀州の徳川慶福(家茂)に決定と公達した。
 
一橋派は朝廷を動かす。孝明天皇も無断での条約締結に激怒していた。水戸藩に対し、「条約を見直し。御三家と相談。諸般に回達。」主旨の密勅を降下する。(戊午の密勅)
 
直弼は「回達は断じて許さず。密勅は直ちに幕府へ返還すべし。」と激怒。その後、幕府側の公卿・九条関白の辞職決定の報せが飛脚便で届く。幕府の失墜を意味する出来事である。直弼は「関白の辞職は同意すべからず。」「奸賊、全て捕縛すべし。」きっぱりと宣戦布告をした。
 
ここから安政の大獄は始まった。水戸藩では家老以下藩士が次々捕縛され、朝廷の公家、一橋派の藩士、学者、町人、浪人も捕縛された。死罪8人、獄中死6人、遠島7人、追放その他58人に及んだ。直弼の最大の政敵・徳川斉昭を永蟄居、一橋慶喜、松平春嶽らを隠居謹慎にした。
 
水戸藩の激派藩士らは大老暗殺のため集結。藩は止めようもなく、捕縛を決めるが藩士らは脱藩の上江戸に潜入。安政7年3月3日、雪の舞う桜田門外に於いて、駕籠で登城中の直弼を襲う。大老の死とともに幕府は権威を喪失する。同年8月、政敵であった徳川斉昭も心筋梗塞で急逝。
 
天地否はゆきづまりと打開
 
否は乱であり争いである。争いは之を打開せねばならぬ。
 
主爻の九五には「否を休む。大人は吉。それ亡びなん、それ亡びなん、苞桑に繋る。」読み方は色々だろうが、こんな解釈はどうであろう。「争いを一時休んで頭を冷やせ、大人であればこの状況を吉にしてみよ。国家と雖も、いつまでも磐石な存在ではないぞ。破綻することだって、あるんだぞ。」
 
 

地天泰

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地 天 泰
 
(序卦伝)履ありて然る後に安し。故に之を受くるに泰を以てす。泰とは通ずるなり。
 
(卦辞)泰は小往き、大来る。吉にして亨る。
 
(大象)天地交はるは泰なり。后以て天地の道を財成し、天地の宜を輔相し以て民を左右す。
 
天地交はって萬物通ずる象。君臣上下の意志が相通ずること。
 
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井伊直弼。1825〜1960 
 
井伊大老に見る地天泰
 
安政5年(1858)4月、彦根藩主・井伊直弼に将軍・家定より大老就任の命が下った。大老とは幕府の非常時に限り臨時に設けられる、将軍に代わり政務を執り行う最高職である。
 
井伊家は家康に仕えた勇将、四天王と讃えられた井伊直政を祖とする譜代中筆頭の家柄である。しかし直弼の人生は平坦ではない。藩主の14男に生まれ、30歳まで養子の口もなく捨扶持3百俵、自ら理木舎(うもれぎのや)と称した部屋住みで過ごす。
 
雌伏時代の直弼は1日4時間の睡眠で、武道、禅、芸事に取り組む。とくに茶道では一派を確立、「一期一会」は直弼の言葉。居合いでも新流を開く。能では面をつくり、狂言では自ら新作をつくる。何事もその道を究める完璧主義であった。
 
計らずも藩主となり、激動期を向えた幕府の老中になる。大老就任は真っ二つに割れた将軍継嗣問題と通商条約締結問題に断を下すこと。260年の徳川幕府最大の決断であり、対立する一橋派の御三家・徳川斉昭らの雄藩連合をどう押さえるかは全て直弼の肩にかかっている。
 
地天泰は発達と安泰
 
易者の看板にはこの卦を表示している。安泰を意味する理想の卦である。
 
しかし、治にいて乱を忘れずである。平和は永遠のものではない。
 
爻辞では九三には「平にして傾かぬはなし」とあり、上六には「城、隍(からぼり)に復る」とある。泰平の世も必ず衰退するものである。

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