さわやか易

いらっしゃいませ。名画を鑑賞するとき、その背景である歴史を考えてみたい。(猶興)

「月刊誌・致知」を読む

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私は読書家ではない。私の読む本は安岡正篤先生の本と易学に関する本である。同じ本を繰り返して読んでいる。
最近、書店に並んでいる本を買って読むことは殆どない。これは自慢する話ではないが、新しいニュースは新聞やテレビからいやでも入ってくるので少しも困らない。
ただ、20年以上前から月刊誌・「致知」を取り続けている。
この頃、特に感じることはこの「致知」の素晴らしさである。
「人間学を学ぶ月刊誌」とタイトルを付けられているが、正しくこれが「人間学」かと感じさせる記事に溢れているのだ。
そこで、毎月の記事の中からこれぞと思う記事を照会することにした。ただし、自分の意見を付け加えることもあるので、文責はすべて私にあります。
一人でも多く共感して貰えるなら嬉しいと思う次第である。(猶興)
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牛尾治朗氏。1931〜
 
「知致を読む」をしばらく御無沙汰してしまいましたが、久しぶりに投稿します。「知致」の6月号から「巻頭の言葉」を照会したいと思います。今月はウシオ電機会長の「和魂洋才の心で道を開く」というテーマでした。
 
幸福感に乏しい日本人
知り合いのフランス人は、日本のコンビニで買ったお菓子のおいしさに驚愕していました。ユニクロの衣類も、安価ですが高い機能性を保ったままです。日本の消費者はいま、よいものを極めて安価に入手できる歴史上もっとも快適な時代を迎えています。ところが日本人の幸福感は必ずしも十分に満たされているとは言い難いところに問題があります。
 
求められる北辰の如きリーダー
これは人間関係の希薄さに起因するものと思われます。地方、とりわけ日本海側は、出生率、女性の就業率ともに東京より高く推移しています。これは地方に三世代同居の大家族が多く、自宅で子供の面倒を見てくれるお年寄りがいることが寄与しています。
 
加えて、古来培われてきたよき伝統文化がまだ色濃く残っており、人の心に潤いをもたらしてくれることも大きいと思います。
 
和魂洋才の心で、日本本来のよさを保持する日本海型社会と共存していくべきだと私は考えます。
 
企業経営も同様です。複数の拠点を世界主要都市に構え、外国人の従業員を多数雇用してグローバルに競争力を発揮しつつも、日本企業の特徴である大家族的な経営を大切にしていくべきではないでしょうか。
 
「論語」に「北辰其の所に居て、衆星之に共う」という言葉がありますが、リーダーが今後の趨勢をしっかりと見極め、天体の中心に輝く北辰、北極星のように進むべき道を指し示せば、人々も自ずとよき方向に導かれます。
 
古きよきものを堅持しつつ、新しきものも積極的に取り込んでいく。こうした和魂洋才の心によって、日本はこの目まぐるしい変化の時代に、生き筋を見出すことができると私は考えるのです。

一念、道を拓く

「知致」11月号の特集は「一念、道を拓く」である。今回はこの特集についての知致出版社・代表の藤尾英昭氏の挨拶文を照会したい。明治維新で活躍した松下村塾出身の天野清三郎と日本のヘレン・ケラーと言われた中村久子さんの「一念、道を拓く」の話に感動させられた。
 
一念、道を拓く
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天野清三郎。1843〜1939
 
天野清三郎は15歳で松下村塾に入塾した。4つ年上の先輩に高杉晋作がいた。高杉の天才的行動力はとても真似が出来なかった。悩んだ清三郎は松陰先生から聞いた言葉に「黒船を打ち負かすような軍艦を造らなければ日本は守れない。」を思い出した。
 
「そうだ、自分は船造りをしよう。」24歳で脱藩し、イギリスに密航する。造船所で働きながら夜間学校に通うことになるが、造船を学ぶには先ず数学や物理学を学ばなくてはいけない。英語すら全く解らない清三郎は途方にくれた。3年間を過ごしたが、殆ど身に着けることが出来なかった。
 
今度はアメリカに渡り、又造船所で働きながら夜間学校に学ぶ。今度は少しづつ解ってきた。一心不乱に働き、そして学んだ。31歳で帰国、長崎造船所の初代所長になり、日本の造船業の基礎を造った。
 
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中村久子。1897〜1968
 
中村久子は3歳のとき、突発性脱疽(だっそ)という難病に罹った。間もなく左手が手首からもげ落ちる。その後、手術により両腕と両足を肘と膝の関節から切り落とされた。ダルマ娘と言われた。7歳で父が死亡する。それまで舐めるように可愛がっていた母が一変する。猛烈な訓練を始める。
 
手足のない少女に着物を与え、「ほどいてみよ」「針に糸を通してみよ」「鋏の使い方を考えてみよ」できないとご飯を食べさせない。肘から先がない腕に挟んだ針に口で糸を通す。小刀を口にくわえて鉛筆を削る。口で字を書く。少女は縫い物も出来るようになった。母のこの一念がその後の少女の人生を拓く。
 
ところが、母が再婚した義父により久子は「ダルマ娘」として見世物小屋に身売りさせられた。それでも久子は誰も怨まず「一人で生きていく」と懸命に働いた。久子41歳、昭和12年、来日した「奇跡の人」ヘレン・ケラーに自分で縫った日本人形を贈った。見えないヘレンは手足のない久子の身体に触れて感動した。「あなたこそ奇跡の人。私より偉大な人です。」
 
「歎異抄」を学び、与えられた人生全てに感謝する生き方を実践した。「人生に絶望なし。いかなる人生にも決して絶望はない。」全国を講演して身障者たちに希望を届けた。
 
 
 
知致10月号のテーマは「心を高める。運命を伸ばす。」である。私が最も感動した記事は稲盛和夫氏と横綱・白鵬との対談である。
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白鵬翔。1985〜 
 
白鵬の話から
「先輩から『心技体とは心が中心でその下に技と体がくる。とにかく心が八割で、技と体は二割だ』と教えていただきました。」
「私は16歳で初土俵を踏み、19歳で新十両に上がりました。その2年半が濃かったんですね。一日三回は泣いていました。」「稽古するだけだと思っていたら、まったく違ったんです。先輩より早く起きて土俵の掃除をして、そこから稽古をして、終わったら片づけをしてお風呂に入る。そのお風呂の掃除もやる。それからちゃんこ鍋もつくるし・・・」「モンゴルでは『あそこの息子が逃げ帰ってきた。』と噂になっていました。だから、自分は何があっても帰れない。逃げ帰ったら親の顔に泥を塗ることになる。そういう思いで我慢していました。」
 
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稲森和夫氏。1932〜 
稲盛和夫氏の話から
「倒産したJALを救うことは3万2千人の職を確保すること、同時に日本経済にとっても大事なことだと思った。神様がいるとすれば、その必死さをかわいそうに思って手伝ってくださったと思います。」
「社員、幹部の意識改革に努めたところ、その意識が変わり、同時に業績も向上していったのです。」
「結核は患う、中学受験には二度も失敗する、大学受験も失敗し、就職した先も赤字会社。ずっと自分はついていない人生を送っていくものとばかり思ってましたが、心のありようを変え、懸命に仕事に打ち込みました。研究室に寝泊まりし、ごはんもそこで炊いたりして、文字どおり寝食忘れて研究に没頭する時期が二年くらい続きましたが、すべてを忘れて研究一途に打ち込んだことが、私の人格形成の原点となったし、運命が好転していったきっかけだったと思っています。」
「30年ほど前、謂れのないことで大変な誹謗中傷を受けた時期がありました。ご指導いただいていた西片擔雪(たんせつ)ご老師に相談しました。その時、ご老師は『稲盛さん、それは生きてる証拠ですよ。』とおっしゃった。『人間、そういう災難に遭うことは致し方ない。その災難はいままであなたがつくってきた業が原因なのだ。しかし災難が表れたということは、過去の業が一つ消えたことである。世の中には命を取られたり、肢体不自由になるような災難に遭う人もある中で、その程度の誹謗中傷で済んだなら、お祝いせんといけませんよ。』と言われました。
「『才能を私物化してはいけない。』と常々自分に言い聞かせてきた。」
「生まれた時より少しでもましな人間になる、すなわち、わずかなりとも美しく崇高な魂になって旅立つことが、この世での努めだと思っています。」

日本の進むべき道

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月尾嘉男氏。1942〜
 
「知致」9月号のテーマは「本質を見抜く」である。私が最も印象に残った記事は東京大学名誉教授の月尾嘉男氏と東北大学院教授の安田喜憲氏との対談である。(月尾先生は6月号でも掲載させて頂いた。)
 
お二人の対談は外交、環境、文化、歴史、経済と幅広く、簡単に照会しきれないが、特に印象に残った部分だけ照会する。
 
武力、財力に代わる新しい力とは?
月尾氏「経済一筋で発展してきた日本は1980年に世界の金融機関の時価評価総額の順に並べると日本の銀行が1位から5位までを独占し、上位20行のうち11行が日本の銀行でした。それを不快に思ったアメリカやイギリスが85年にプラザ合意を押し付ける。(1ドル240円から3年間で120円の円高になる。)それでも足りないということで、88年にバーゼル合意を成立させ、92年からBIS規制を運用することになる。」
 
安田氏「銀行の自己資本比率に関する国際統一基準のことですね。」
 
月尾氏「日本は世界でも例外的に『借りた金は必ず返す』という文化を持つ民族です。そこに目をつけられた。『貸出資産の8%は自己資本として保有しないと国際金融をやらせない』という制度を突然押し付けられた。その結果、銀行は企業から貸し剥がしを行う。中小企業は一気に衰弱し、現在まで続く『失われた20年』へ突入してしまった。」
 
月尾氏「結局、財力とはそれほど確固たる力ではなく、国際的な仕組みの中では一瞬にして消滅してしまう儚いものだということです。」
 
月尾氏「明治時代に廃仏毀釈を行い仏教文化を放棄した。外国人がタダ同然に仏教美術品に買い取ってしまった。昨年、国立博物館で『写楽展』が開催されたが、展示された作品は外国から借りたものだった。日本人が日本の文化の素晴らしさに気付かないとこういうことになる。」
 
安田氏「日本は縄文以来、森を守り、森から流れる栄養分が水田を潤し、水が海に流れて微生物を育て魚を育てる。水の循環系を基本とするライフスタイルを築き上げた。」「里山の棚田も驚きです。西洋人は畑作牧畜型で急傾斜地にヤギや羊を放牧させ、瞬く間に禿山にしてしまった。」「日本の林業も200年先を見ながらやってきた。」
 
月尾氏「イギリスは日本と同じ島国ですが、産業革命時代に森林のほとんどを伐採してしまった。その結果、哺乳類の生息では日本188種、イギリス41種。植物は日本5500種以上、イギリス1600種。この多様性が日本の特質であり、重要な資源である。」「日本の社会の特徴は老舗が多いことです。韓国銀行の調査によると、200年以上続いている企業は中国9社、インド3社に対し日本3100社以上。」(これは列強の植民地になると、これ程酷いことになるということも意味している。)
 
月尾氏と安田氏の対談は多岐に渡るが、詰る所、日本は恵まれた国土に世界にも抜きん出た文化を築いている民族である。軍事力も経済力も技術力も大事だが、それにも増して大事なのは文化力である。文化力を活かして新たに国を再生していかなければいけないということだろう。(猶興)
 
 
 
 
 

聖徳太子の独立宣言。

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聖徳太子。574〜622
 
「知致」8月号の特集は「知命と立命」であった。最も印象に残った記事は「聖徳太子『憲法17条』を活学する」というタイトルで永崎淡泉氏が寄稿した一文であった。
 
日本は歴史上、国際的に独立を果たしたことが、3度ある。最近では終戦による占領から独立を果たした昭和27年。その前は明治維新。そして最初の独立が、聖徳太子による随の王に対して「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。つつがなきや。」という国書を遣隋使に届けさせ日本が独立を宣言したことである。607年、太子が33歳のときである。
 
実はその7年前に、日本の遣隋使は隋の文帝から文化の低い未開発国としての扱いを受けている。実際に当時の日本の生活は貧しく、政治制度も充分整っていなかった。遣隋使からその報告を聞いた太子は衝撃を受け、大改革に取り掛かった。
 
天皇を中心に中央集権制度を整え、憲法17条を定め、冠位12階を制定。朝鮮半島への争いから手を引き、内政充実に力を注ぐ。そうして屈辱から7年、再び遣隋使を派遣し、随の皇帝に対し堂々と独立宣言を行ったのである。その時、遣隋使を務めたのが小野妹子(男性ですよ。)である。
 
憲法17条の始めには有名な「和を以て貴しとなし、忤(さから)う無きを宗とせよ。」があります。2番目には「篤く三宝を敬え、三宝とは仏、法、僧なり。」そして9番目には「信は是れ義の本なり。事毎に信有れ。」があります。
 
決して難しい言葉はなく、簡潔にして根幹を押えたものです。この憲法の精神があればこそ、天皇を中心に飛鳥文明の花が開いたのでしょう。
 
私は最近、日本人は「原点に帰る。」ことが大切と思うようになりました。国家も個人も迷い込んだら基に戻ることです。それぞれが原点に帰って見れば、次の一歩が始まるのではないでしょうか。

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