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リヒャルト・ゾルゲ。1895〜1944 ソ連の独裁者スターリンは天才的な戦略家でもあったが、最も金も使い力を入れたことは情報活動である。世界中に張り巡らせた共産主義組織を活用し、世界の動きを常に把握していた。スパイによる陰謀は時に軍隊以上の効果をもたらすことを最大限に利用した人物である。
ゾルゲはドイツ人の父とロシア人の母の間に生まれた。19歳の時にドイツ兵として第一次世界大戦に出兵、両足を負傷した。その後ハンブルグ大学で政治学を学びドイツ共産党に入党している。29歳の時ソ連共産党に加入、軍事諜報員になっている。
30歳の時、ドイツの新聞記者の肩書で国際情報のルツボである上海へ潜入する。中国や日本の言葉、政治、歴史、文化について学習。アメリカ人女性ジャーナリスト・スメドレーと知り合う。スメドレーを通して朝日新聞記者で共産主義者の尾崎秀美とも知り合う。
1933年(昭和8年)ナチス党員として横浜に居を構え、ドイツ大使館に出入り。日本や中国に精通する記者としてドイツ特命全権大使オイゲン・オットの信頼を勝ち取り大使の私的顧問の地位を得る。
近衛内閣の嘱託となった上海時代の知り合い尾崎秀実やドイツ人無線技士、外国特派員などとスパイ網を構築する。1936年(昭和11年)2・26事件以後の日本の武器弾薬の量、航空機、輸送船、工場設備、鉄鋼の生産量、石油備蓄量などの機密情報を諜報する。
ドイツの「ソ連侵攻作戦」の正確な日時もモスクワに報告した。日本軍が対ソ連を止めて、南方に向かうとの重大な決定も尾崎からの情報でモスクワに伝えた。その結果、ソ連は精鋭部隊を西に移しドイツ軍を押し返すことが出来たという。
ゾルゲは資金も潤沢、洗練された身のこなし、一流のプレイボーイでもあった。日本人妻もいたが関係した女性は数えきれない。スメドレーともオット大使夫人とも関係をもっている。「007」のジェームズ・ボンドも顔負けである。
1941年(昭和16年)太平洋戦争開戦の2か月前、スパイ容疑でゾルゲや尾崎は警視庁特高一課により逮捕された。ドイツのオット大使はゾルゲを信頼しきっていたため、即時釈放を求める嘆願書を提出した。しかし証拠を見せられ、留置場のゾルゲ自身からお別れの言葉を聞くことになる。(44年死刑。)
******** 上卦は風。
******** へりくだる。従順。
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******** 下卦も風。
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「巽為風」の卦。風は柔軟であり、何処にでも入り込む。謙虚な態度で人に接するのは良い。目的をもって人に取り入るという場合もある。恐いものは剛ばかりではない、柔にも気をつけねば取り返しがつかないことにもなる。
日本の脇の甘さである。アメリカからも日本の通信は全て傍受されていたという。戦争はスポーツではない。正々堂々は通用しない。実力で勝負しても大変な相手にこちらの手の内を読まれていたとすれば、勝てるものも勝てないのではないか。
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