さわやか易

いらっしゃいませ。名画を鑑賞するとき、その背景である歴史を考えてみたい。(猶興)

昭和からの日本

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戦後の教育では日本の近現代については曖昧なままにしてしまいました。その結果、経済だけが優先するだけで本当の日本の姿が明確になっておりません。日本は侵略国なのか、何故大戦争に突入してしまったのか?そんな疑問はしっかり勉強すれば解ることです。不勉強の身ながら、簡潔にしかし基本をはずさないようにお伝えしたいと思います。お付き合い頂ければ幸いです。(猶興)
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七転びハ起きの人生。

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高橋是清。1854〜1936
 
2・26事件で暗殺された高橋是清は日本の危機を2度救っている。日露戦争の時、その戦費をイギリスに渡り調達したのが日銀副総裁の是清である。そして昭和の世界恐慌から先進国で一番早く大不況から脱出させたのも是清の手腕である。
 
この日本の恩人・是清は意外にも七転びハ起きの波乱万丈の人生だった。父は幕府の絵師。すぐに仙台藩の高橋家の養子になる。少年時代に医師のヘボンの世話でアメリカへ留学。ところが現地で解らないままにサインしたところから農園の奴隷にされてしまう。しかし運よく助け出された。
 
帰国後、森有礼(のちの文部大臣)の書生となり、さらに新設の大学南校にて英語の先生となる。秋山真之や正岡子規が学んでいる。ところが是清は芸者遊びにうつつを抜かし、ついには学校を辞め芸子のひもになって仕舞う。
 
九州・唐津の英語学校で教師を募集したので、心機一転九州へ。教師と翻訳で今のお金で500万円位の貯金を作る。ところがその金を銀相場に手を付けスッテンテン。
 
東京に戻り、又もや森有礼の世話で専売特許局に就職できた。能力を発揮し大出世。局長として欧米にも出張、特許法の制定にも尽力、1500坪の土地に邸宅を構える身分になった。
 
その頃、内大臣の牧野伸顕も出資するというペルーの銀山開発の話があった。熱心な農務省次官である前田正名から「ひと儲けしたら財閥になれるぞ。」と言ってきたので役所を辞めペルーに渡る。ところが、その話は国際的詐欺であったことが判明、是清は職と邸宅を失いスッテンテン。
 
責任を感じた前田から日銀総裁・川田小一郎を紹介されて日銀に入行し財務の手腕を発揮することになる。是清38歳。
 
******** 上卦は火。
***  *** 文化、文明を表す。
********
***  *** 下卦は水。
******** 困難、悩みを表す。
***  ***
 
「火水未済」の卦。陽と陰が繰り返す象。陽の爻と陰の爻がきれいに並んでいる。しかしそれぞれ位置は逆である。完成と流転が果てしなく続く。七転びハ地起きの人生は並みの人生より百倍楽しい。
 
是清は陸軍首脳にはっきりと正論をはいている。「国防は守るだけで良し。軍部は常識に欠けている。地方幼年学校で片寄った特殊教育を行うから、幹部になると政治にまで口を出すのだ!言語道断、国家の災いである!」この正論が陸軍の怒りを買ってしまった。
 
 

天皇と2・26事件。

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反乱軍将兵1936年2月26日
 
1936年(昭和11年)2月26日早朝、日本近代史上最大のクーデターである2・26事件が起きた。「昭和維新断行」を叫ぶ1400人の青年将校たちは、岡田啓介首相を始め政府要人宅を襲撃、警視庁、新聞社などを占拠した。
 
とくに標的にされたのが天皇の側近だった。元老・西園寺公望、侍従長・鈴木貫太郎、前内大臣・牧野伸顕(大久保利通の次男)、内大臣・斎藤実、蔵相・高橋是清たちである。斎藤、高橋は死亡、鈴木は重症、西園寺と牧野は危うく難を逃れた。将校たちは側近たちを「君側の奸」と呼び「尊王討奸」を唱えた。
 
早朝、報告を受けた天皇はすぐさま大元帥の軍服に身を固め「とうとうやったか。これは陸軍の反乱である。大元帥として対処する。」軍により暫定内閣をつくり軍部主導の国家改造を目論んだ事件を読み取り、「暫定内閣は置かない!反乱軍をただちに鎮圧せよ!」はっきりと命じた。
 
「朕が股肱の老臣を殺戮す。かくのごとき凶暴の将校らは、その精神においても何の許すべきものありや。」「朕がもっとも信頼せる老臣をことごとく斃すは、真綿にて朕が首を締むるにひとしき行為なり。」陸軍中央が決起部隊の鎮圧にてこずっていると、「朕自ら近衛師団を率い、これが鎮圧に当らん。」一歩たりとも退くことはなかった。
 
3日目に至り、将校たちは下士官全員に原隊に帰れと命じ、自分たちは腹を切ろうということになった。侍従武官長は彼らの名誉のため「御苦労」の一言をと天皇に奏上したところ、天皇は「自殺するなら勝手にさせるがよい。勅使などもってのほかのことである。」反乱とした信念は微動もしなかった。このとき天皇34歳。
 
青年将校たちと指導者の北一輝は処刑された。しかしこの事件は日本が軍国主義になっていくターニングポイントになった。事件後の広田弘毅内閣で軍部大臣現役武官制が復活し、次第に陸軍の意思が政府をコントロールするようになっていく。
 
***  *** 上卦は沢。
******** 開く、解けるという意味がある。
********
******** 下卦は天。
******** 大きな陽のエネルギーを表わす。
********
 
「沢天夬」の卦。夬(かい)は決壊、決裂の決と同意。下にある陽のエネルギーが溜まりに溜まり、とうとう爆発に至るのである。
 
農村救済の皇道派の青年将校たちによって決行されたこの事件。この事件により皇道派は一掃され、対立していた統制派が実権を握るようになる。
 
官僚を統制し経済を統制し、軍需産業中心、中国一撃論が主流になっていく。
 
 
 
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北一輝。1883〜1937
 
日本中が不況に突入していた昭和の始め、何とかしようと若者たちは真剣だった。とくに旧制中学からの優等生で軍隊に入隊し、皇国を支えるというプライドを持った青年将校たちは使命感に燃えていた。
 
超エリートの青年将校ではあるが、地方出身の彼らは等しく貧しかった。「貧乏少尉のやりくり中尉、やっとこ大尉で百十余円、嫁ももらえん」というざれ歌もある。しかし大将たちは豪邸に住んでいる。華族、地主、資本家も裕福ではないか。東北の農村では娘の身売りもあるという現状に、いったい政治家は何をしている。社会の構造が腐敗しているのではないか。
 
1929年(昭和4年)の大恐慌で世界同時不況に喘いでいたとき、共産主義のソ連だけは統制経済で着々と発展しているように見えた。
 
やはり貧富の差を解消するのは共産革命しかないのか。しかし天皇制の廃止はとんでもないことだ。将校たちの義憤はある男の理論に引き寄せられた。革命家・北一輝が唱えた「日本改造法案大綱」である。天皇を中心にはするが、華族、地主、資本家を抹消して統制経済を取り入れるという右翼的社会主義である。青年将校たちは飛びついた。
 
純粋に義憤を感じ、社会正義のためと信じる若者ほど恐いものはない。彼らには若さと行動力と銃剣がある。1932年(昭和7年)2月には井上準之助前大蔵大臣、3月には三井財閥の団琢磨を暗殺(血盟団事件)、5月には犬飼毅首相を暗殺した。(5・15事件)
 
腐敗政治家と財閥の粛清が昭和維新のためと信じた青年将校たちは軍部を中心にした右翼的社会主義政権を樹立することを目的にした。これが1936年(昭和11年)2月に起こるクーデター、2・26事件の下地となる。
 
***  *** 上卦は地。
***  *** 大地、隠れた場所を表わす。
***  ***
***  *** 下卦は水。
******** 悩み、困難を表わす。
***  ***
 
「地水師」の卦。師団というと軍隊である。師は社会の地下に集団が出来ることである。混乱する社会には必ずある指導者が生まれる。その指導者が正しいかどうかが問題である。
 
社会が困窮しているとき、政治家が進むべき道を示さなくなったらどうなるか。
現在にも当てはまる重大な問題である。

景気回復は満州だ。

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石原莞爾。1889〜1949
 
お先真っ暗な日本、不景気はますます深刻化していく。国民の誰もが何処かに希望はないものかと祈るような気分でいた。
 
関東軍の参謀になった石原莞爾(かんじ)には秘めたる計画があった。それは行き詰った閉塞感から一気に抜け出す国運回転の大秘策である。
 
つまりは第一次世界大戦後の世界の流れは西洋の雄・アメリカと東洋の雄・日本がいづれ激突する「世界最終戦争」に向かわざるを得ない。そのためには石炭、石油、鉄鋼などの確保が必要だ。それには資源が豊富にある満州を日本のものにすることだ。。国際社会がものいう前に満州を既得権にしてしまおうという、アッと驚く大構想である。
 
石原は上司である板垣征四郎を説得した。そして板垣が陸軍の上層部を説得した。政府内では協調外交、軍縮が政策であるので、バレては大変だ。責任者は首が飛ぶ。日本陸軍の大博打である。
 
1931年(昭和6年)9月、綿密に練り上げた計画は実行に移された。柳条湖にて爆発事件を起こし、張学良の仕業として一気に攻撃を開始した。主要都市を次々占領していく。満州といっても広さはほぼ日本の全面積はある。途中で国際世論の目をそらすために上海で暴動をおこす。
 
陸軍にとっては大成功だった。天皇にしても、若槻首相にしても、耳に入ったときは既に進軍の真っ最中だ。外務大臣の幣原喜重郎は「日本軍の陰謀が発覚したら、我が国の国際的立場はどうなるのだ!」吃驚仰天。電光石火の出来事。翌年3月には傀儡国家・満州国が建国された。米、英からすると一夜城が出来たようなものだ。
 
石原莞爾は天才的戦略家と言われるが、特筆すべきは世論対策である。新聞、ラジオを予め味方につけていた。「満蒙は日本の生命線」「新満蒙の建設」「既得権擁護」次々と繰り出す新スローガンとともに国民は陸軍を応援した。不況に対策を打てない政府はこの世論を後押しするしかない。
 
陸軍の大博打は大成功だった。勝てば官軍。石原莞爾と板垣征四郎は日本に希望を呼び寄せた英雄として凱旋。宮中からの差し回しの馬車に乗り天皇に戦況報告をするに到る。
 
******** 上卦は火。
***  *** 文明、文化、太陽を表わす。
********
***  *** 下卦は地。
***  *** 大地、暗い世界を表わす。
***  ***
 
「火地晋」の卦。地上に太陽が昇り始める。旭日昇天の象である。
待ちに待っていた希望の光。低迷から一気に上昇へ、国民は拍手喝采。
 
国民が喝采して喜んだこの出来事は後に満州事変と言われ日米戦争の最大原因となる。
 
また、この大成功が陸軍に実力以上の自信を持たせてしまうことになる。
 
 
 
 
 

天皇の叱責。

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田中義一。1864〜1929
 
1928年(昭和3年)6月に起こった張作霖の爆殺事件に関してもう少し語らねばいけない。何故ならこの事件は満州某重大事件として、内閣が消滅する程の影響があったからである。
 
この事件に対して関東軍は中国人ゲリラの仕業という見解だった。しかし日本政府は組織的かつ大規模な事件であることから一部の関東軍の仕業ではないかとの見方をした。しかし真相はなかなかつかめない。ときの田中義一首相は天皇に対して「真相を明らかにし、厳重に処罰します。」と答えたものの半年たっても責任者を明らかに出来なかった。
 
天皇は「それでは前の話と違うではないか!おまえのいうことは信用できない!」と強く叱責した。そのため田中内閣は総辞職せざるをえなくなった。田中儀一は辞職後まもなく心臓病を再発し亡くなった。この件での心痛が堪えたことは明らかだ。天皇もさすがに心を痛め、以後政府の決定にはいっさい口を出さないと決心したという。天皇そのとき28歳。元陸軍大将・田中首相64歳。天皇は「若気の至りだった」と後年語っている。
 
この事件は戦後東京裁判により、関東軍の参謀・河本大作が爆弾を使って殺害したことになったが、疑問点も指摘されている。例えば事件後、英国の陸軍情報部極東課が調査し、ソ連の仕業と報告した。英国政府は日本政府が関東軍の仕業と判断していると知り、再調査させた所やはりソ連の謀略だとの結論を出している。
 
またソ連の崩壊後、ロシア人歴史作家・プロホロフは2001年に「GRU帝国」を出版している。(GRUはソ連軍参謀本部情報総局) その中にこの事件はスターリンの命令で諜報員ナウム・エイチゴンが計画し日本軍の仕業に見せかけたものだとある。(エイチゴンは1940年にはスターリンの政敵・トロッキーも暗殺している。)
 
***  *** 上卦は雷。
***  *** 活動、行動、動いて止まないこと。
********
***  *** 下卦も雷。
***  *** 
********
 
「震為雷」の卦。動くを表す卦が重なることから天地間に雷鳴が轟き、思わず戦慄するほどの状況である。次々と難事件が襲いかかるようなものだ。しかし、こんな時こそ冷静さが求められる。
 
晩年の穏やかな昭和天皇からは想像がつかない。しかし、昭和2、3、4年は昭和恐慌で企業が次々倒産していたところに、満州での重大事件、さらに世界恐慌に突入と毎日波乱の連続。覇気満々の若き天皇もピリピリしていたのだろう。
 
 

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