さわやか易

いらっしゃいませ。名画を鑑賞するとき、その背景である歴史を考えてみたい。(猶興)

昭和からの日本

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戦後の教育では日本の近現代については曖昧なままにしてしまいました。その結果、経済だけが優先するだけで本当の日本の姿が明確になっておりません。日本は侵略国なのか、何故大戦争に突入してしまったのか?そんな疑問はしっかり勉強すれば解ることです。不勉強の身ながら、簡潔にしかし基本をはずさないようにお伝えしたいと思います。お付き合い頂ければ幸いです。(猶興)
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謝罪外交始まる

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靖国神社
 
自信を失った指導者による迷走が始まったとしか言いようがない。奇妙な問題が起こる。「教科書問題」である。
 
発端は昭和57年6月に大新聞が教科書検定で、日中戦争の記述について「侵略」か「進出」かについて問題になっていると報道した。鈴木善幸内閣の官房長官であった宮沢喜一が談話を発表し「政府の責任において教科書の記述を是正する。」と言って謝罪したあげく、「今後は教科書の検定において近隣アジア諸国との間の記述については、国際協調と国際理解の見地から必要な配慮をする。」と語った。
 
この談話が日本国内の問題である教科書について、中国や韓国に検閲権を与えてしまった。その結果、教科書検定に「近隣諸国条項」が出来、日清戦争、日露戦争、韓国併合、ロシア革命、日中戦争、第2次世界大戦などの記述について中国や韓国の干渉を受ける羽目になってしまった。中国も韓国も自国の歴史教科書には自国中心の記述を載せているのに、日本の教科書には口をはさむという奇妙な話になってしまったのだ。
 
そもそも韓国とは1965年(昭和40年)に、中国とは昭和53年にそれぞれ平和条約が結ばれ、経済協力をするのでいっさいの戦争責任は問わないと決まっていた。それなのに、その後の首相たちは謝罪外交に終始することになる。海部俊樹、宮沢喜一、細川護煕、羽田孜が謝罪した。河野洋平は事実を確かめもしないで、従軍慰安婦問題についても謝罪する始末だ。
 
村山富市に至っては土井たか子を団長に謝罪使節団をアジア諸国に派遣し、自らは「植民地支配の下で、朝鮮半島の人々に耐え難い苦しみと悲しみを与えたことについて、深い反省と心からのお詫びの気持ちを表明する。」と公式に謝罪発言をする。
 
一国の総理大臣が一度公式の場で謝罪すると、それ以後の首相たちはそれを踏襲しなければいけない。いつの間にか首相が靖国神社への参拝もできなくなってしまった。内政干渉どころか国家の精神世界にまで他国に干渉される有り様はいかがなものか。何とも不甲斐ない話である。もっと毅然として欲しいものだ。
 
******** 下卦は火。
***  *** 文化、文明。
***  ***
******** 上卦は山。
***  *** 止まる。動かないもの。
********
 
「火山旅」の卦。旅行の旅であるが、易での旅は流浪すること。地位、職、恋、信念、大切なものを失い迷走することでもある。こんな時もあるだろうが、自信を取り戻し本来の自分に立ち返ることである。
 
日本の新聞、評論、教育界の中核を占めているのは左翼勢力である。教科書も彼らの意にそわないものは学校では採用されないことになっている。今の学校の歴史教育では自虐史観が染みついてしまうばかりなのだ。

荒れる中学生

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公立中学校
 
昭和50年代の半ばに入ると、日本は高度経済成長のひずみに悩まされることになる。その一つが学校現場。社会の影を映すのは常に子供の世界である。校内暴力やいじめと言った問題が日常的になってきたのだ。とくに「荒れる中学生」と言われ公立の中学校が顕著であった。
 
都内下町の公立中学校では授業中に大音量でラジカセでロック音楽が鳴るので教師が注意をした。すると十数人の生徒が教師に殴り掛かりケガを負わせる事件が起きる。授業が始まるのに教室に入らない生徒がいるので、教師が注意すると生徒たちは先生に暴力を振るった。こうした生徒が教師や他の生徒に対する暴力事件が日常化するという深刻な問題である。
 
子供による家庭内暴力も深刻である。ある母親は中3の息子から去年買ったラジコンがあるのに新品を買えと言われ、家の経済状態を話し我慢しろというと、襖に穴を開けたり、マッチで火をつけたり、母親を蹴飛ばしたりした。何をされるか解らないので借金をして買うことを約束した。
 
昭和55年11月には社会に衝撃が走る事件が起きた。川崎の高級住宅街でその悲劇は起こった。この家庭は父も兄も一流大学出のエリート一家である。20歳の弟は大学受験に失敗し2年目の浪人生活中であった。厳格な父親は希望が持てず酒浸りとなった息子に激しい叱責を浴びせた。その夜に事件は起きる。息子が金属バットで両親を殺害してしまったのだ。
 
昭和61年2月にはJR盛岡駅で東京都内の公立中学校に通う男子中学生が自殺をした。その遺書から調べていくと、生徒の通う中学校で毎日いじめに遭っていたことが解った。しかも驚くことにはその生徒の教師もその「葬式ごっこ」に加わっていた。
 
一連の事件に子供を持つ親のみならず、教育問題を真剣に反省する必要を感じさせられた。家庭教育の問題なのか、受験戦争の問題なのか、学歴偏重の問題なのか、管理体制の問題なのか、日本は高度経済成長にうつつを抜かしている間に、とんでもない忘れ物をしてしまったのである。
 
******** 上卦は山。
***  *** 動かぬもの。
***  ***
***  *** 下卦は水。
******** 問題、悩み。
***  ***
 
「山水蒙」の卦。啓蒙。蒙を啓(ひら)くのである。幼児を教育するには真心をこめて、行わなければならない。幼児の時期には厳しい躾が大切。あまりに厳格過ぎるのは子供に害を与える。
 
教育界では議論の末、子供たちにゆとりがないからだとの結論に達した。そこから「ゆとり教育」が出発する。20年後にそれは学力低下という問題に直面する。学校では相変わらず教師間のいじめが続いていると聞く。
 
 
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ロッキード・トライスター
 
田中内閣の総辞職後、副総裁の椎名悦三郎が後任を指名することになった。実力から言えば、次は福田赳夫か大平正芳であるが椎名は政界浄化のために伏兵の三木武夫を指名する。「椎名のウルトラC」と野党からも評価されたが、果たしてどうであったか。半年後には挙って三木下しに躍起になることになる。
 
昭和51年になると、日本中が大騒ぎする事件が起きる。戦後最大の疑獄事件・ロッキード゙事件である。全日本空輸が導入した旅客機・ボーイング・トライスターを廻って多額の贈賄があったとされ、前首相・田中角栄を始め元運輸大臣など政府高官たち、商社・丸紅の役員、大物右翼の児玉誉士夫、政商といわれた小佐野賢治などが次々と逮捕された。また、有力な情報を知る複数の人たちから不審死が出るなど大事件となる。
 
この事件の意味するものは何か?狙いは何か?結果はどうなったか?ということに絞って考えてみる。
 
そもそもロッキード社は戦闘機の分野ではトップであったが、民間のジェット機市場ではダグラス社の遅れをとっていた。そこで初のジェット旅客機・トライスターを威信をかけて開発、世界に打って出る。各国政府関係者に巨額の賄賂を準備して売り込みにかかる。その一部(約30億円)が日本の政府要人へと密かに渡された。航空業界では当たり前のことなのだ。
 
では何故明るみにされたのか?それは石油ショックに端を発する。ニクソン大統領の補佐官だったキッシンジャーが田中内閣に石油は都合するからあくまでもイスラエル支持を貫き、アラブの原油政策には乗らないよう説得したにも拘わらず、その要請を振り切ってアラブ寄りに転換した。しかも石油のためならソ連とも手を結ぶとまで言ったので、完全に心象を害した。
 
当時頭打ちを迎えたアメリカ経済は日本の凄まじい台頭に脅威を感じていた。日本列島改造論も検証し、田中の群を抜く政治的手腕にも警戒した。日中国交回復もアメリカには断りなしだ。「力のあるリーダーは叩いてしまえ」ニクソンを引き継いだフォード政権で国務長官になったキッシンジャーは上院での公聴会でロッキード社の幹部を呼び、その賄賂工作を証言させた。
 
もともとピンチヒッターに過ぎなかった三木首相だが、最大の政敵を倒す好機と見てフォード大統領に捜査協力を要請、積極的に関与し、小さな火種を大火事にまで発展させる。まさかの三木の行動に政界は慌てた。近い将来返り咲きをねらっていた田中には完全に夢を打ち砕かれた結果となる。その後、闇将軍として10年以上も君臨した田中の政治力を思うと、やはりキッシンジャーが恐れただけの実力者であったことは間違いない。
 
******** 上卦は山。
***  *** 止める。不動なるもの。
***  ***
******** 下卦は天。
******** 大きなエネルギー。
********
 
「山天大畜」の卦。大いなるものを蓄えること。下からの大きなエネルギーを上から抑えることでもある。人徳、人材、資金を充分蓄えておくことでもある。大事業を成すためには大いに力を貯めなければいけない。
 
ロッキード事件は首相の犯罪として、田中角栄を悪の根源のように国民は非難した。しかし田中以後、国民に夢や希望を持たせた首相が輩出しただろうか。指導者への失望は国家の迷走につながっていく。
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ジャイアント・パンダ
 
田中首相のスタートは華々しかった。いきなり特大ホームランを放った。昭和47年9月、北京を訪問、懸案であった日中国交回復をやってのけた。中国政府も喜んで、カンカンとランランの2頭のジャイアント・パンダを日本に贈る。
 
ところが翌48年になると乱気流に突入する。日本列島改造ブームに乗って、土地や建築資材が急騰し始めた。大手商社が金に任せて買占めに走ったのだ。値上がりが見込めるものは資材だけでなく、繊維製品や石油、米などなんでも対象になった。便乗値上げ、買占め、売り惜しみで物価は前年比30%もの値上がり、「投機インフレ」「狂乱物価」といわれた。
 
10月になると、追い打ちをかけるように石油ショックが起こる。第4次中東戦争で産油地のアラブ諸国がイスラエルを支援する西側諸国をけん制するために、大幅な原油の値上げと生産削減に踏み切ったのだ。石油のほとんどをアラブから輸入する日本は深刻な打撃を蒙る。
 
田中内閣は緊急対策として、ネオンやテレビの深夜放送休止、ドライブや旅行の自粛、デパートの営業時間短縮、ガソリンスタンドの休日休業など戦時中いらいの大胆な対策を実施した。夜の繁華街は薄暗くなり、生活必需品の買いだめ騒動も起きた。「日本列島改造論」はもろくも砕けてしまう。
 
田中内閣はアメリカからのイスラエル支持を振り切るように、親アラブ政策に転じた。石油がなくなるという最悪の事態は免れたが、アメリカの心象は悪くなる。原油の高騰はその後も続いた。49年になっても経済の混乱は収まらず国民はインフレと不景気に悲鳴を上げた。その年の経済成長率は戦後初・最悪のマイナス成長となった。
 
田中にとって悪いことは続いた。10月、月刊誌「文芸春秋」に立花隆の「田中角栄研究」と題した金脈問題が掲載された。庶民からの人気は急落し、12月、ついに田中内閣は退陣に追い込まれた。
 
***  *** 上卦は地。
***  *** 社会、大地。
***  ***
******** 下卦は火。
***  *** 文化、文明、太陽。
********
 
「地火明夷」明夷(めいい)とは明が夷(やぶ)れる。明るい社会が暗くなること。太陽が地下に沈む象である。陽の時代から陰の時代へと移行する。忍耐が試される時でもある。
 
奇跡と言われた戦後の復興と発展。時代とともに先頭を走り続けた田中角栄の人生はそのまま昭和の姿でもあった。昭和の輝きは徐々に失われていく。時を同じくして野球界の星であった長嶋茂雄がユニホームを脱ぐ日がきた。

今太閤・田中角栄

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田中角栄。1918〜1993
 
昭和47年7月、総理大臣の座についたのは田中角栄である。出身は新潟の農家、学歴は高等小学校、貧困から身を興し国のトップに立った。明治の伊藤博文いらいの大出世に世間では今太閤とも呼んで絶大な人気を集めた。その行動力はコンピューターつきブルトーザーと称された。
 
ところで学歴も人脈もない田中はどうやって総理大臣にまで登ったのだろうか。それは不眠不休の多忙にも耐えられる抜群の体力と、一度会った人の名は覚えてしまう抜群の記憶力、そして天才的な交渉力があったのだ。また錬金術にも長け、その資金をフルに使って敵でさえ味方につける人心収攬能力をもっていた。
 
小学生の頃にはひどい吃音に悩んでいたが、浪花節のリズムで話すと吃音が治った。田中の独特の話し方はそこから来たものらしい。16歳で上京、住み込みで働きながら土木を学び建築技師となる。21歳、応召され満州へ、23歳、肺炎を患い内地へ帰還する。治癒すると東京・飯田橋に田中建築事務所を開設。24歳、事務所の家主の娘・はなと結婚。25歳ころから取引先に理研化学研究所を得て会社を急成長させている。
 
政治家としての出発は、終戦後の昭和21年に落選するが、翌22年の総選挙では新潟3区から民主党公認で初当選した。28歳である。その後に成立する自由民主党の議員として政界の中心へ真っ直ぐに突き進む。30歳で炭鉱国管疑獄で逮捕されるも、翌年獄中からトップ当選を果たし無罪も確定。35歳ころから岸、佐藤のグループ中核として能力を発揮する。
 
39歳、早くも岸内閣で郵政大臣、44歳、池田内閣で大蔵大臣、その後の佐藤内閣では幹事長として長期政権を支える。佐藤総理には奴隷と言われる程尽くし、選挙では多額の資金も放出し、3度破産したとも言われる。それでも佐藤は後継には官僚出身の福田赳夫を押そうとした。田中は佐藤派からの独立を決断。次期総裁選が近づくと、徹底的な多数派工作に辣腕を発揮することになる。
 
総裁選は福田との一騎打ちとなるが、「日本列島改造論」をぶち上げた田中が勝利。国民にジャパニーズ・ドリームを見せたのである。
 
***  *** 上卦は雷。
***  *** 活動、志。
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******** 下卦は天。
******** 社会、大きなエネルギー。
********
 
「雷天大壮」の卦。陽気が充実し、大いに盛んであること。「力、山を抜き、気は世を覆う。」の概である。事業を拡張するとき、力を発揮するときでもある。大なるものが正であることが最も肝心なところでもある。
 
「日本列島改造論」は高度成長によって、過疎に悩む農村と、過密に悩む都市問題を一挙に解消しようという夢の構想だった。この構想が持ち上がった頃が昭和のピークであったのではないだろうか。
 

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