さわやか易

いらっしゃいませ。名画を鑑賞するとき、その背景である歴史を考えてみたい。(猶興)

昭和からの日本

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戦後の教育では日本の近現代については曖昧なままにしてしまいました。その結果、経済だけが優先するだけで本当の日本の姿が明確になっておりません。日本は侵略国なのか、何故大戦争に突入してしまったのか?そんな疑問はしっかり勉強すれば解ることです。不勉強の身ながら、簡潔にしかし基本をはずさないようにお伝えしたいと思います。お付き合い頂ければ幸いです。(猶興)
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日本の満身創痍。

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F・ルーズベルト。1882〜1945
 
ミッドウェー海戦の敗北後の日本軍は目に見えて劣勢に陥る。神秘とも言える活躍をしたゼロ戦もアメリカに徹底的に研究され、それを上回る戦闘機を開発された。アメリカ軍はフィリピンに再上陸し、有り余る物量にものを言わせ猛攻撃に転じた。
 
絶体絶命のピンチに日本軍は悲劇の部隊である神風特攻隊を結成する。特攻攻撃は空中だけでなく、水上でも水中でも行った。まことに狂信的なイメージを持つだろうが、隊員たちの多くは穏やかな好青年である。彼らの日記や手紙からは詩人のような冷静で聡明な文章が滲み出ている。
 
その上、日本軍の最後の抵抗はそれまでのどの戦争にもない徹底的な抵抗であった。例えば硫黄島での抵抗では占拠したアメリカ軍の方が死傷者の数が多い。これほど苦戦するなら、本土を攻略することはどれ程の抵抗があるだろうか。ヒトラーがユダヤ人を嫌ったように日本人を嫌っていたF・ルーズベルト大統領は日本には恐れをなしていた。
 
世界一の生産力を持つアメリカは自らの犠牲を出さず、最大の効果が上がる方法として空からの絨毯爆撃を考え出した。しかし、これは一般市民を狙うことでハーグ条約に違反する。あのヒトラーでさえ市街地攻撃は禁じていた。ユダヤ人大虐殺がナチスの戦争犯罪ならば、一般市民大虐殺はアメリカの戦争犯罪である。
 
12万人以上の死傷者を出した東京大空襲をはじめ、日本国中の60都市に徹底的な無差別民間人殺戮を繰り返した。日本はまさに満身創痍となってしまった。そこにとどめを刺すように投下されたのが原子爆弾である。
 
***  *** 上卦は水。
******** 艱難、悩み、陥る。
***  ***
***  *** 下卦も水。
********
***  ***
 
「坎為水」の卦。「習坎」ともいう。艱難に陥ったまま身動きがとれない象。国おいても人生においても一度や二度はこんな目に遭うことがある。信念と至誠が試されるときである。勇気を失ってはならない。
 
現在は平和の中にある日本ではあるが、歴史の真実は忘れてはいけない。これから世界の国々と平和外交を進めていくためにも、親や祖父たちが多くの犠牲を払って骨身に刻んだことを、生きるための叡智としなければいけない。

乾坤一擲の大勝負。

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ニミッツ。1885〜1966
 
日本にとって乾坤一擲の大勝負は2度あった。一度目は1905年(明治38年)の日露戦争でバルチック艦隊をものの見事に投げ飛ばした「日本海海戦」である。この勝利により日本は「坂の上の雲」に乗ったのだ。
 
そしてもう一つの乾坤一擲は1942年(昭和17年)6月のミッドウェー海戦である。この海戦の惨敗により、日本は坂の下の「奈落の底」へと転落していく。そんな大戦のターニングポイントとなったのが「ミッドウェー海戦」である。
 
予想に反して勝った「日本海海戦」とは違い、この大戦は予想に反して負けたのだ。日本軍は圧勝すると見られていた。真珠湾攻撃いらい日本軍は連戦連勝。直前の珊瑚海海戦でも第2級の機動部隊がアメリカの空母を撃沈している。この海戦を制し、一気にハワイをも占領する予定だった。
 
原因は何か?日本の作戦が相手に読まれていた。暗号での電信が傍受されており、暗号も解読されていた。米司令長官・ニミッツはあるだけの爆撃機をミッドウェーに集結させていた。それでも世界に誇る日本のゼロ戦は大活躍し、前半は圧倒的に優勢だった。
 
満を持して待機していたアメリカの急降下爆撃機が日本の空母に襲いかかった。日本の空母はすべて炎上沈没。完敗だった。日本の主力空母を失い、少数精鋭の飛行士がおおかた戦死してしまった。
 
もしも日本がここで勝っていたら、ハワイを占領しただろう。そうすればアメリカは全ての軍隊を西海岸に向けなければならず、到底イギリスを援護する余裕はなくなる。そうすればドイツがヨーロッパを制しただろう。その後の世界地図の行方は紙一重の差でしかなかった。
 
***  *** 上卦は地。
***  ***
***  ***
******** 下卦は火。
***  *** 文明、文化、太陽。
********
 
「地火明夷}の卦。明夷(めいい)とは明が夷(やぶ)れるである。前回の「火地晋」とは反対に太陽が沈む象である。状況は暗転しつぎつぎと暗黒の世界へと転がり落ちる。苦難のなかにあり、いかに志を堅持できるかが問われる。
 
連戦連勝の日本軍に油断と驕りはなかったのだろうか。
 
短期決戦、早期講和の方針が狂い始めた瞬間でもあった。
 
 

日本軍の電光石火。

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東條英機。1884〜1948
 
日本が大国・アメリカを相手に戦争に突入したことを「勝てる相手ではないのに何と馬鹿なことをしたのか。」「まるで子供が大人に向かって喧嘩するようなものだった。」今の日本人はこんなふうに考えているのではないだろうか。事実、私もそう考えていた。
 
実際はどうだったのだろうか?日本には勝てる見込みは全くなかったのだろうか?調べて見ると驚くべき事実が解ってきた。実は勝敗は紙一重の差だったのだ。アメリカもイギリスも肝を冷やした。「これはとんでもないことになった。日本軍はトテツもなく強い。これは負けるかも知れない。」英米に挑んだ日本軍はそれ程強かった。
 
1941年(昭和16年)12月、真珠湾攻撃に次いでグアム島を占領、マレー沖海戦でイギリス東洋艦隊を撃滅する。つづいてルソン島に上陸。香港を占領してイギリス軍を降伏させる。アジアの植民地から列強を追い払った。
 
翌年1月、アメリカ統治下のフィリピンのマニラとニューブリテン島ラバウルを占領する。2月にはオランダ領アンボン島とシンガポールを占領、イギリス軍は降伏。3月、オランダ領ジャワとビルマのラングーンを占領、米フィリピン軍の司令官・マッカーサーがコレヒドール島から脱走し、4月には米フィリピン軍が降伏する。5月、ソロモン諸島のツラギを占領する。
 
オランダやフランスなどは一目散に逃げ出した。七つの海を制したイギリス最新鋭艦・プリンス・オブ・ウェールズも飛行部隊も全く歯が立たない。あれ程日本を戦争に巻き込みたかったチャーチルは驚愕した。「大西洋ではかつて体験したことがない。ドイツ海軍よりけた外れに強い。」「これではアメリカは日本と戦うだけでドイツと戦う余裕はないだろう。そうなれば我が国は風前の灯火だ。」と青ざめたことだろう。
 
******** 上卦は火。
***  *** 文明、文化、太陽。
********
***  *** 下卦は地。
***  ***
***  ***
 
「火地晋」の卦。旭日昇天。太陽は地上に昇り始める象である。何事も順調にいく。全能力を発揮する時である。
 
この戦争において日本という国がいかに能力を持つかを、世界中が知ることになった。植民地であったアジア各国の独立運動はここから起こった。
 
戦争はするべきではないが、歴史は知らねばならない。世界史に日本の果たした役割がいかに重要だったかを知らねばならない。
 

ユダヤ人を救おう。

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杉原千畝。1900〜1986
 
第2次世界大戦が始っていた1940年(昭和15年)のことである。前年、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻、イギリス、フランスがドイツに宣戦布告。戦火はヨーロッパ中に拡大しつつあった。ナチスはユダヤ人を次々強制収容所に送り込んだ。ポーランドのユダヤ人たちは迫害を逃れて外国を目指す。各国とも領事館を閉鎖していたので、唯一の救いとばかり隣国のリトアニア日本領事館にビザの発行を求めてきた。
 
7月18日朝、領事代理の杉原千畝(ちうね)が目を覚ますと外が騒がしい。柵の外で大勢のユダヤ人がしきりに叫んでいる。「助けてくれ!」「ビザを発行してくれ!」しかし日本はドイツとは三国同盟を結んでいる。ユダヤ人へのビザ発行は外務省の許可が要る。早速電報を打つが返事がない。
 
やっと返ってきた回答はNOであった。杉原は悩んだ。幸子夫人が言った。「この人たちを助けて上げましょう。」杉原は決意した。「例え外交官の職を失うことになろうとも、この人たちを助けよう。」ビザの発行は全て手書きである。懸命に書き続ける。腕が腫れあがり、万年筆も折れた。徹夜の作業が毎日続いた。
 
しかし、8月3日ソ連がリトアニアを併合。日本領事館も閉鎖となり「ただちに脱出せよ。」と杉原にも命令が。杉原はベルリンに向かう列車を待つカナウス駅でもビザの発行を続ける。こうしてユダヤ人6000人の命が救われた。しかし、ついに列車が動き出す。ホームに取り残された難民たち。リトアニアに残されたユダヤ人は全員殺された。その数約20万人。
 
杉原は戦後、日本に引き揚げ外務省を辞職する。1986年86歳で亡くなる前の年、イスラエルから「正義の人」として表彰された。91年、日本政府は幸子夫人と長男を招き、杉原氏の功績を讃えた。
 
******** 上卦は風。
******** 従順、へりくだる。
***  ***
***  *** 下卦は沢。
******** 喜ぶ。
********
 
「風沢中孚」の卦。中孚(ちゅうふ)は誠心誠意。「至誠天に通ず」の象。誠意をもって進んでいくならば、どんな危難をも克服できる。
 
杉原千畝の功績はノーベル平和賞にも値する。
 
日本政府の対応はあまりにも遅すぎる。

恋の逃避行。

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岡田嘉子。1902〜1992
 
日中戦争が始まっていた1938年(昭和13年)、カラフト国境を超えてソ連に亡命した男女2人が「赤い恋の越境」と報じられ話題を集めた。人気女優・岡田嘉子と恋人である演出家・杉本良吉である。
 
嘉子は新劇でデビュー、日活映画から美貌のスターとなり「岡田嘉子一座」を立ち上げる程、数々の映画や舞台で活躍していた。私生活ではスキャンダル女優とも恋多き女とも言われていた。36年、舞台の演出をしていた共産主義者であり演出家の杉本良吉と熱烈な恋に落ちる。5歳年下の杉本にも妻が居た。
 
杉本はプロレタリア運動を行い執行猶予中の身であり、召集され刑務所へ送られることを恐れていた。そして杉本はモスクワにわたり本格的な演劇の勉強がしたかった。モスクワには杉本が敬愛する演出家・メイエルホリドがいたし、国際左翼演劇機関には同志もいた。「捕まるくらいなら、モスクワへ行きたい。」杉本は亡命を決意する。
 
「貴方が行くのなら、私も行って演劇の勉強をしたい。」嘉子も命がけの逃避行に夢を追う。こうして2人は国境を越えた。そして消息は途絶えた。
 
 
後になって解ったことは、この亡命劇には悲劇が待っていた。2人は国境を越えた3日目に逮捕され引き離された。杉本の「メイエルホリドのもとに演劇の勉強を。」という主張は無視され、「メイエルホリドのもとにスパイをしに来た。」と拷問の末、自白させられ、国家反逆罪で銃殺刑に。演劇など無用とされ、メイエルホリドもスパイ行為を手助けした罪により翌年、銃殺刑となる。それがスターリンの「血の粛清」である。
 
嘉子は利用価値があるとされたのか裁判にかけられ、禁錮10年の強制収容所送りとなる。釈放後はモスクワ放送局にてアナウンサーとして採用された。演劇の勉強もし、演出もしている。70歳を過ぎ、一時日本に帰国したが、またモスクワに戻り89歳で死去した。収容所での悲惨な体験については決して語ることはなかった。
 
***  *** 上卦は雷。
***  *** 活動、挑戦、志。
********
***  *** 下卦は沢。
******** 少女、喜ぶ。
********
 
「雷沢帰妹」の卦。帰妹(きまい)とは若い女が結婚することである。しかしこの卦は道ならぬ恋であり不吉な運命が待つ。易には男女関係を示す卦が四つある。咸、恒、漸、帰妹であるが、帰妹が最も良くない。
 
「隣の芝生は青い。」当時、ソ連の情報は理路整然と作られた情報であり、真実とはかけ離れていた。日本でもインテリ層の間にソ連を理想国家のように憧れたものが少なくない。
 
真実が明らかになるのはペレストロイカ以後である。理想と現実はこんなにも違っていた。
 

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