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教信沙弥。?〜866
晩年の親鸞はどんな暮らしぶりであったか。末娘の覚信尼と善鸞の子・如信と暮らしていた。覚信尼の子である覚恵は食い扶持を求めて真言宗の僧になっているのでかなりの極貧と言わねばならない。85歳からは眼が見えなくなった。1262年に世を去るが、その死は齢九十の平凡な老人の平凡な死という感じしかなかったと覚信尼は伝えている。
妻の恵信尼は覚信尼の手紙で知らされた。彼女はたびたび夢を見ていたという。観音となった法然上人の隣にやはり観音になって座っている親鸞の夢である。恵信尼は親鸞を観音の化身と信じていた。親鸞も若き日に六角堂の夢告を信じて、妻を観音の化身と信じていた。みごとな夫婦である。
親鸞の遺言は「某(それがし)、閉眼せば、賀茂川に入れて、魚にあたふべし」であった。常々親鸞は「われは賀古(かこ)の教信沙弥(きょうしんしゃみ)の定(じょう)なり。」と言っていた。定とは目標。教信沙弥とは念仏者のルーツとも言われる僧である。奈良・興福寺の学僧から仏道は衆生とともにあると、播磨の賀古(兵庫県加古川市)で日雇い人足として極貧の生涯を送った。
臨終にあたり「我が屍は野に捨て、鳥獣に食わせろ。」と家人に遺言した。家人は葬式を出す金もなく、その通りにした。その屍を鳥獣が食い漁ったが、その顔はいつまでも損ずることなく、眼や口は笑っているようであり、香気が漂っていたという。
*** *** 上卦は水
******** 困難、悩み、陥る
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******** 下卦は火
*** *** 文化、文明、才能
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「水火既済」の卦。既済は成就、完成である。易は如何に生きるかを問題にする教えであるので、死についての適切な卦はない。易には終わりはないのである。そこから考えると死のあとも次への変化があるということになる。
今日の葬式、戒名などにどれほどの意味があるのだろうか。
室町時代に数奇な人生を送り十九歳の若さで世を去った絶世の美女・地獄太夫の覚悟を照会したい。
われ死なば 焼くな埋むな 野に捨てて 痩せたる犬の 腹をこやせよ
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