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善光寺・経蔵
親鸞が生きた時代は仏教では「末法の世」と言われ災難につぐ災難の時代であった。源平の戦いによって一世を風靡した平家が滅び、鎌倉に幕府を立てた源氏も2代将軍・源頼家は北条に、3代将軍・源実朝は頼家の子・公暁(くぎょう)により殺される。その公暁も直ちに殺される。ついに源氏の家来であった北条氏に政権は移っていく。
京では親鸞たちを流罪にした後鳥羽上皇が隠岐の島へ配流になる「承久の乱」が起こっている。上層階級が骨肉の争いをしているとき、度重なる飢饉も広まり下層階級ではまさに飢えとの戦いを強いられていた。
配流となった親鸞は越後から再出発をすることにした。既に師の法然が他界した以上京都に戻る気にはなれなかった。親鸞には未知の地、東国に行く決心を固める。最初に訪れたのは信州の善光寺である。善光寺のご本尊は中央に阿弥陀仏、左右に観音菩薩と勢至(せいし)菩薩が安置され三尊を一体として後光に包まれている。
親鸞は法然の教え「念仏して弥陀に助けられまいらすべし」について、自力の念仏と他力の念仏とに区別があるべきだと考えさらに研究する。結局、善光寺に一年余り滞在し、1214年、42歳のとき上野(こうずけ)の国(群馬県)佐貫(さぬき)に着いた。佐貫で目にしたものは飢えに苦しむ夥しい数の窮民だった。
親鸞に救済する術はない。弥陀にすがるより道はないと決心した親鸞は浄土三部経の千部読経の行に入る。浄土三部経の読経は一回読み終わるのに3時間はかかる。これを千回やろうというのだ。気が遠くなりそうだが、親鸞は始めた。念仏祈祷の法力により衆生の救済を一心に願った。4日目のことである。『親鸞よ、読経を止めて衆生とともに生きよ!』心に響く天の声であった。親鸞は読経を止め窮民の中で窮民とともに生きるため、常陸の国(茨城県)の稲田へと歩を進める。
*** *** 上卦は地
*** *** 陰、夜、暗
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*** *** 下卦は雷
*** *** 活動、出発
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「地雷復」の卦。地中に芽が動き出す象である。真冬からようやく春の兆しが出てくる頃である。しかしあわててはいけない。陽気はまだ弱く、育ってはいない。陽気盛んになるのをじっと待つことが必要なのだ。
日本が最も混乱した時代である。農民は荘園の旧領主から年貢を取られた上に、新勢力の武士からも年貢を取られるという苛斂誅求に悲鳴をあげた。いつの時代も上が安定しないと下は混乱するばかりになる。
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