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重源。1121〜1206
壮絶な戦いを極めた源平の合戦で奈良の東大寺も焼失し、大仏は溶け落ちた。その大仏殿を復元しようと立ち上がったのは重源(ちょうげん)である。重源は西行が北面の武士の頃、親友であった紀季康(きのすえやす)の弟であり、3度も入宋し仏教を学んだ傑僧である。大仏殿の修復に命を賭ける重源の姿に西行は協力を申し出る。
奥州・平泉の藤原秀衡に砂金の勧進を受けるため69歳になっていた西行は再び奥州への旅に出る。こちらも命がけのことだ。
年たけてまた越ゆべしと思ひきや 命なりけり小夜の中山
藤原秀衡は70歳の老僧・西行に感激し、勧進を承諾、砂金を奈良に送った。
奥州行きの途中、鎌倉の鶴岡八幡宮にて源頼朝が只者ではない老僧を見つけ、家来に訪ねさせると西行だった。頼朝は父の義朝から出家した北面の武士だった西行のことは聞いていたのだろう。屋敷に招いた頼朝は西行から和歌や流鏑馬(やぶさめ)の技を詳しく聞いた。今日、鶴岡八幡宮にて神事として行われる流鏑馬の行事はここから始まるのである。
1189年、72歳になった西行は大阪河内の山里にある弘川寺の裏山に最後の庵を結んだ。
さびしさに堪へたる人のまたもあれな 庵ならべむ冬の山里
願わくは花のもとにて春死なむ その如月(きさらぎ)の望月の頃
如月の望月は釈迦の命日(旧暦2月15日)、西行は1日遅れの16日に満開の桜のもとに人生を終えた。世の無常と孤独な人生を見つめ、璋子の面影を花と月に探した生涯。寂しさを歌に昇華させて歩いた生涯だった。
******** 上卦は風
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*** *** 下卦は地
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「風地観」の卦。観は観察、見つめる。仰ぎ観る意味もある。西行は時代を見つめ、世の無常を見つめた。また、月や花を仰ぎ観ては璋子を思った。正しく観ることは聖人の道、指導者の道。一流の歌人の道でもある。
北面の武士というエリートコースを捨てた西行。芭蕉や良寛を始め多くの僧や歌人が慕い仰ぎ観た。幕末の風雲児・高杉晋作も慕った。
西へ行く人を慕ひて東行く わが心をば神や知るらん
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