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メンデルスゾーン像
父アブラハムは日曜日の午後を音楽サロンとして友人や音楽関係者を自宅に招き、子供たちの演奏を磨かせる機会とした。メンデルスゾーンが13歳の時から続けていたが、次第に評判になってきていた。(姉のファニー、弟のパウルも演奏している。)父から音楽家になることを許された後、17歳の時発表した序曲「夏の世の夢」はまさに彼が神童であることを証明する作品となった。ドイツ各地から演奏会のオファーがあり、一躍音楽家としてのデビュー曲となる。
20歳の時にはバッハの「マタイ受難曲」を指揮することで、バッハを復活させるとともにメンデルスゾーンの名はヨーロッパ中に轟くことになる。その成功後、メンデルスゾーンは3年間の武者修行の旅に出る。イギリス、ウィーン、フィレンツェ、ミラノ、ローマ、ナポリなどで多くの音楽家や画家たちと出会い、美しい自然を訪ねて歩いた。(ローマではベルリオーズとも会っている。)中でも保守的で育ちの良いメンデルスゾーンには紳士的な礼儀正しいロンドンが気に入ったようだ。スコットランドの大自然からは「フィンガルの洞窟」「スコットランド交響曲」が生まれた。
26歳から約10年間ゲヴァントハウス管弦楽団にて常任指揮者を務め数々の改革を行う傍らで、次々と傑作を生み出していった。中でも最も親しまれているのが「メンコン」の愛称を持つ「ヴァイオリン協奏曲ホ単調」だろう。ベートーヴェン、ブラームスとともに3大ヴァイオリン協奏曲の一つである。メンデルスゾーン35歳の時の作品だが、メンデルスゾーンの代表曲でもあり、ヴァイオリン曲の代表曲でもある。
メンデルスゾーンは惜しくも38歳でこの世を去った。死因は脳卒中であるが、父も、半年前に亡くなった姉ファニーも脳卒中であるので遺伝的な要素があったのだろう。その音楽はあくまでも美しく明るく健全、亡くなった当時は19世紀最大の作曲家との評価であった。しかし19世紀後半になるとユダヤ人に対する排斥運動が激しくなるにつれその評価は下がる。さらに20世紀になると、ナチス政権下ではメンデルスゾーンの音楽は堕落芸術として演奏も禁止され、記念碑は無残にも破壊された。 近年ようやくその名誉は回復され、記念碑も2008年に生誕200年を記念して再建された。
******** 上卦は火
*** *** 文明、文化、才能
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*** *** 下卦は水
******** 問題、艱難、悩み
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「火水未済」の卦。未済(びせい)は未完成。二つ前の既済(きせい)の反対である。物事はすべて完成することはなく、常に変化、流転していくものである。理想を求めて、理想に近づくと現実に引き戻されるものである。それでも人は繰り返し努力していかねばならない。
結婚行進曲を聞く時は、作曲家・メンデルスゾーンを思い出してみたい。本当に優れたものは時の為政者によっても消し去ることは出来ない。幸福を求めてスタートを切るカップルに、たとえ困難な時期があろうとも初心さえ忘れなければ、きっと良い日がくるということを結婚行進曲は教えてくれている。
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