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アレクサンドル2世(1818〜1881)
新生日本の明治政府にとって何より脅威であったのは南下政策をとるロシアであった。1853年のクリミア戦争に敗北したロシアは皇帝アレクサンドル2世が捲土重来を期して1875年の露土戦争でオスマン帝国に勝利した。サン・ステファノ条約を結び保護国・ブルガリアの領土を拡大させ、地中海を経由するルートを確保した。ロシアにとって念願だった不凍港を獲得出来たのだ。
ところが早速イギリス、オーストリアが反対の声を上げる。紛争を仲介するためドイツの宰相ビスマルクがベルリン会議を引き受ける。結局、ブルガリアの領土を縮小し、ロシアの不凍港は夢と消える。またしても煮え湯を飲まされたロシアは本腰を入れてアジアの極東地域に不凍港を築くことになった。
大院君(1820〜1898)
いよいよ差し迫る脅威に明治政府は朝鮮国と手を結び対策を取ろうとした。当時、李氏朝鮮では君主は高宗だったが、高宗は政治に関心がなく女遊びに興じる毎日を送っていた。政治の実権は父である大院君が握っていた。
ところがこの大院君が根っからの西洋嫌いで鎖国を続け、日本からの度々の呼びかけにも耳を貸さなかった。フランス船やアメリカ船が国交を求め、江華島事件という衝突もあったが断固拒絶した。西洋と国交を開いた日本を馬鹿にし、宗主国である清国との冊封、朝貢体制を頑なに堅持するばかりだった。
閔妃(1851〜1895)
この大院君と20年に渡り政争を繰り広げるのが高宗の妃である閔(びん)妃とその閔一族である。世継ぎが生まれ勢力を獲得した閔一族は大院君を追放し、その配下を殺害する。閔妃は開国路線をとり、日本とも「日朝修好条規」を締結、日本から顧問を呼んで軍隊の近代化を図った。
すると大院君時代の旧軍隊が反乱を起こし、1882年閔一族や日本人が殺害され日本大使館は焼き討ちにされるという壬午(じんご)事変が起った。危険が迫った閔妃は駐屯していた清国の袁世凱の陣に逃げ込む。大院君は袁世凱により連行され天津に幽閉される。この事変により閔妃は日本を裏切り袁世凱を頼るようになる。
金玉均(1851〜1895)
朝鮮にも日本の幕末に於ける吉田松陰や高杉晋作のような志士がいた。
その一人が金玉均である。金は早くから日本の明治維新に習って近代化を進め、日、清、朝の3国が同盟して列強に備えねばならないと考えていた。福沢諭吉の支援も得て改革の準備を進めていた。
1884年、ベトナムを巡って清仏戦争が始まると時機到来と判断、日本公使・竹添進一郎の協力を得て、クーデターを決行した。(甲申政変) ところが閔妃の通報で駆け付けた袁世凱の1500人の軍により失敗に終わる。金は一旦日本に亡命したが、その後上海で閔妃の刺客により暗殺された。一族3親等まで処刑され、金は凌遅刑(遺体を切り刻み晒しものにする)にされた。
当時の風刺画 (朝鮮という魚を釣ろうと日本と清国が競っているのをロシアが狙っている。)
その頃ロシアは着々とシベリア鉄道を敷き、極東の不凍港を目指していた。一方、政争の連続で朝鮮は乱れに乱れ、国民は重税にあえぎ、窮乏の極みに達していた。苦しむ農民を救おうと崔済愚という宗教家が東学という教団を作った。集まる農民は次第に増えて、1894年、ついに反乱が起る。(東学党の乱または甲午農民の乱という)
閔妃は清国に援軍を要請する。日本は公使館警護を名目に軍隊を派兵する。反乱収束後も両軍は撤兵せず、イギリスが仲介するも混乱が続く。復帰していた大院君がクーデターを起こし閔氏政権を追放、日本軍に清軍掃討を依頼したと思うと今度は東学党を集結し日本追放を図る。ロシアの南下を阻止したい日本と冊封を維持したい清国はついに朝鮮支配を巡って「日清戦争」が勃発した。
〜〜さわやか易の見方〜〜
******** 上卦は山
*** *** 動かない、止まる
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*** *** 下卦は水
******** 困難、悩み
*** ***
「山水蒙」の卦。蒙とは蒙昧、語源はつる草がはびこり樹を蔽い尽くし暗い状態をいう。無知蒙昧な幼児とも言える。無知なる者を啓蒙するには刑罰をもって厳しくしつけるのが良い。素直な心で良い指導者に導かれれば吉である。
朝鮮の若き志士・金玉均は日本の支援者も多くいた。彼の大志が通じなかったことは誠に残念である。福沢諭吉は彼が殺されたとき、「もう朝鮮は救いようがない。見捨てる他はない。」と言ったという。それでも日本の有志は東京・青山墓地に彼を祀ってやっている。当時の朝鮮では救世主とも言うべき人も全く理解出来なかったのか。残念としか言いようがない。
頑迷固陋という言葉がある。当時の朝鮮の政権にあった者たちである。そのお陰で民衆はどれ程の苦難を味わったことだろう。東南アジアでは唯一タイだけが植民地を免れたのだが、その王朝には賢君というべき王ラーマ4世がいた。王は西洋の思想を積極的に学び、近代化を進め列強の圧力には巧みな外交で独立を守った。危急存亡の時、血で血を洗う政争を繰り返していた朝鮮とは正反対ではないか。肝心な時に国のトップが賢か蒙かでその後の100年が決まる。
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