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近江で天智天皇が薬草狩りを行なったとき、額田王(ぬかたのおおきみ)と天智天皇の弟、天海人皇子(おおあまのおうじ)との間に詠み交された歌である。 意訳するとこういうことだ。 紫の草の生えるこの狩場で、あなたは私に袖を振ってらっしゃいますが、 そんなことをすると野守に見つかってしまいますよ。 (ひいては天智天皇に知られてしまいますよ) 紫草のように匂やかなあなたのことを憎く思うなら、 人妻となったあなたに袖を振ったりするものですか。 (別に兄に知られたってかまやしないさ) 額田王はかつて天海人皇子の愛人であったが、現在は天智天皇の寵愛を受けてる身なのだ。 天皇主催の狩場でなんとも大胆なやりとりである。 その頃酒宴の席で、天海人皇子が長槍を持ち出して暴れるという事件もあり、額田王をめぐっての三角関係が原因か、と勘ぐる向きもあったようだ。 しかし、この歌をやりとりしたときは額田も天海人も40前後。 今更恋だ、愛だ、とのぼせ上がる年でもない。 むしろ、酒の席の座興として歌ったのだという解釈の方が当を得てるようだ。 そう思って改めてこの歌を詠んで見ると、如何にも遊び心が感じられる。 ネタ本;「歴史をさわがせた女たち(日本編)」(永井路子 著)
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本棚の隅から
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作者は大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ) 「万葉集」に登場する女流歌人として、一番多くの歌を残しているそうである。 彼女の結婚経歴は穂積皇子(天武天皇の息子)から始まり、藤原麻呂(藤原不比等の息子)、大伴宿奈麻呂(異母兄)と続く。 他にも天武天皇の息子、大津皇子と草壁皇子に同時に愛されたこともあったようだ。 かなりもてもての女性だったのである。 そんな恋愛遍歴が彼女の歌にますます磨きをかけたようだ。 上の歌は次女の結婚相手に対し代筆したものといわれている。 「会っているときぐらい、愛の言葉をささやいて。くちづけを、愛撫をしてちょうだい。
二人の仲を長く続けたいと思うなら」 まあ、なんとも率直な表現である。 ねんねのお嬢さんだとこんな歌は恥ずかしくて読めないだろう。 しかし、この歌を貰った相手はやに下がってだらしのないご面相になることは請け合いだ。 彼女にはこんな歌もある。 :「『今夜ゆく』と言ってこないときのあるあなただもの。そのあなたが『来ない』というんだから、『もしかしたら』なんて期待はしないわよ。『来ない』と言ってるんですものね」 来ない男を恨めしそうに歌ってるようにもみえるが、「別にあんただけが男じゃないわよ。わたし、浮気しちゃおうかな」と脅してるようにもとれる。 男としては心配になり、何とか算段をつけて女のもとに行きたくなる。 彼女は恋の歌にかけては抜群のテクニックをもっていたようだ。 ネタ本;「歴史をさわがせた夫婦たち」(永井路子 著)
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別に私は古典の素養があるわけじゃない。 学校で習った古文、漢文、歴史、地理なんてどこぞに置き忘れてきちまった。 その後多少なりとも仕入れた知識は、小説、エッセイ、対談集、歴史読本、雑学本の類から。 なかでも永井路子さんの本は、戦国、幕末・維新に偏っていた私の歴史嗜好に別の目を開かせてくれた。 特に飛鳥、奈良、平安、鎌倉時代の豆知識は彼女の著作に拠るところが大きい。 つまらぬ前置きはこれくらいで、万葉のラブソングを御紹介。 作者は藤原鎌足。 そう、中大兄皇子と共に大化の改新を成し遂げた大立者である。 大意はそのまんま。 「俺は、采女の安見児をもらったぞ。誰も手に入れることが出来なかった、安見児を我が妻としたぞ」 と、まあ恋の勝利を手放しで喜んでいる歌なのだ。 もっとも、ただライバルに打ち勝って意中の女性を物にした、という単純なものではないらしい。 永井路子さんの注釈によるとこうだ。 采女というのは宮廷に使える女官で、地方の豪族から天皇に献じられたものであり天皇の私物である。
臣下の分際で女官に手を出すのは、天皇の持ち物を盗む犯罪行為にあたる。 鎌足と采女の結婚が許されたのは異例中の異例のことなのだ。 つまり、この歌は恋の勝利というより、天皇の信任ぶりを誇示するものだ、というわけだ。 それにしても、技巧も何もなく、これだけストレートに喜びを現した歌もめずらしいのではないか。 鎌足のおっさんにはぐっと親しみが湧いてくる。 ネタ本;「にっぽん亭主五十人史」(永井路子 著)
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欧米発のものを中心とした日本人に関する小噺・ジョークが収められている。 アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・イタリア・ロシア等、それぞれの民族性と対比したものも数多く、各民族に対するイメージがステレオタイプとして凝縮されているのも可笑しい。 いくつか例をあげてみよう。 なお、本文は少し長いので私が適当に縮めたり、手を加えたりした。 ●技術者の違い 日本人 「わが国では機密性を試す為には、猫を一晩車の中に入れておきます。そして次ぎの日に、猫が 窒息死していたら、機密性は十分だと判断します」 ロシア人「わが国では一晩たっても猫が車の中にいれば、機密性は十分だと判断します」 ●レストランにて ドイツ人と日本人とイタリア人が一緒に食事に行った。食後の3人の考え方。 ドイツ人 「割り勘にするといくらだろう」 日本人 「3人分払うといくらだろう」 イタリア人「おごってくれた人になんとお礼を言おう」 ●それぞれの幸福 イタリア人「愛人とパスタを食べながらサッカーを見ている時」 ドイツ人 「計画通りに物事が運んだ時」 スペイン人「美味い物を食べてのんびり昼寝をしている時」 日本人 「食事をさっさと終えて再び働き始めた時」 ジョークには作者の解説・感想・体験談などが添えられているが、これがなかなかよい。 「世界に冠たる中小企業」「独創性溢れる発明品」などは日本人として快哉を叫びたくなる。 最近では日本のマンガ・アニメの世界的ブームなどにより新しいニッポン像も生まれてきているようだ。 最後に「あとがき」に引用されているフランシス・ベーコンの言葉をここでも書いておこう。 |
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フレデリック・フォーサイスの名を世界に知らしめたスリラー小説の傑作である。 ド・ゴール政権下の1963年、フランス当局のスパイ活動により壊滅寸前に追いこまれた秘密軍事組織OASの幹部はド・ゴール暗殺の為フリーの暗殺者を雇う。コードネーム『ジャッカル』 フォーサイスの作品の魅力は史実に則った題材選びと、リアリティ溢れる綿密なプロットにあると思うのだが、この『ジャッカルの日』はその最たるものではないか。 ジャッカル側におけるパスポートの偽造、武器の調達、ド・ゴールの研究からパリの狙撃場所の下見などの計画から実行段階、彼の暗殺を阻止すべく孤軍奮闘するフランス側のルベル警視の捜査方法や官僚達との軋轢などが現実味を感じさせつつ詳細に述べられる。 そして二人の目に見えぬ駆け引きから、対決の場面へと一気に読ませる筆力は驚嘆すべきものがある。 これだけ細部に渡り読者を納得させる書き方をしているだけに気になる点が二つある。 一つはOASの幹部ロダンが『ジャッカル』を見つけ出す場面。 コネや情報を元に彼を含む暗殺者候補をリストアップしたようだが、説明不足の感は否めない。 もう一つはジャッカルの逃走ルートである。 下調べにパリに来た時、狙撃場所のアパートの裏階段から路地を抜けていくことで逃走ルートを見つけたことになっているが、如何にもとって付けたような気がする。 いずれにしても小さな瑕疵(私にとって)で、超一級のエンターテイメント小説であることは間違いない。
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