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歌舞伎の義太夫物
歌舞伎や文楽など、わが国の近世演劇は、16世紀に大阪湾岸へ渡来した三味線音楽の浸透により成立したから、歌舞伎劇には、伴奏として当然に三味線が入ることになりました。とりわけ「義太夫物」と呼ばれるジャンルでは、ほとんど劇の進行を決定するほどの役割をになうことになります。
この「義太夫物」とは、竹本義太夫(1651〜1714)の創始した「義太夫節」が人形浄瑠璃(のちの文楽)の流行により大坂で隆盛を極め、それが歌舞伎の中へ移入されて主要なレパートリーとなったものです。義太夫節の画期的成功は、いうまでもなく竹本義太夫という音楽家の才能と精進によるものですが、近松門左衛門が作者として協力したこともあずかっていました。
そんな義太夫節が伴奏音楽として定着した18世紀初頭からの作品が歌舞伎の主演目となっているため、歌舞伎の義太夫物(丸本歌舞伎)と文楽(人形浄瑠璃)の演目とは、ほぼ重なり合っているのです。
古典歌舞伎の三大傑作である『仮名手本忠臣蔵』(1748人形浄瑠璃、1749歌舞伎)『義経千本桜』(1747人形浄瑠璃、1748歌舞伎)『菅原伝授手習鑑』(1746年9月人形浄瑠璃、十月歌舞伎)は、いずれも大阪の浄瑠璃作者たちによって原作が書かれました。
赤穂浪士の討ち入りという巷のニュースを「忠臣蔵」という国民劇に仕立てたのは芝居町の道頓堀であり、大坂天満の町に三ツ子が産まれ話題となったことをうけて、菅丞相(菅原道真)の失脚をめぐり梅王丸・松王丸・桜丸という三ツ子が登場する筋に仕立てたのが『菅原伝授手習鑑』というわけで、近世大坂町人の天神信仰がしのばれます。
大阪天満宮正門 |

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