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時代物と義太夫狂言
昨日、NHKで「蘭平物狂」を放送していました。尾上松緑が祖父(二代目松緑)と父(初代尾上辰之助)から継承した、時代物の義太夫狂言ですが、このところ松緑は役者っぷりが上げてきたと思います。
もう45年も前の記事になりますが、季刊雑誌『歌舞伎』昭和44年4月1日発行の号に、先代の尾上松緑が寄せた一文があります。
〈年と共に、時代物が好きになってきます。私も、『千本桜』の知盛、熊谷など好きな役々です。六代目が晩年に『忠臣蔵』の師直や由良之助を演じたのは、時代物に戻っていきたいという願望のあらわれということができましょう。若い頃に、義太夫を勉強することは大切なことで、これが楷書の修業です。楷書の義太夫物から入って、楷書に戻る。これが歌舞伎役者のたどっていく道なのではないかと考えております。先代の延若さんが、『楼門』の五右衛門を、坐ったきりで演じられてあれだけ立派だったのは、時代物の素養がきちんと身についていられたからでしょう。
私は12、13歳の頃に大阪にいて喜左衛門お師匠さん(その頃はまだ勝平時代です)に、『時雨の炬燵』を習いました。兄貴たちは『太十』『十種香』という当たり前のものを習いましたが、私だけはどういうわけか『時雨の炬燵』でした。しかし、この稽古は厳しいものでした。お師匠さんが二十歳ぐらいの時の筈なのに、そんな年齢とは、とても思えませんでした〉
12,3歳の頃に大阪にいたというのは、関東大震災の難を逃れ、東京の主力俳優たち(松竹入りを拒んでいた六代目尾上菊五郎を除き)が、大阪に本拠を移していた頃の話でしょう。
江戸の世話物をチームワークで演じるのが得意な菊五郎劇団ですが、その主力俳優であった先代の松緑にしても、七代目尾上梅幸にしても、義太夫狂言によって芸格を確立したという事実は否めないのです。楷書あっての行書であり、草書であるということです。
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