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鴈治郎四代
芦屋のジャズ・ライブ・レストラン『レフトアローン』で中村翫雀にばったり会ったことは前にも書きましたが、髭が濃い素顔にはちょっとビックリしたものです。
来年1〜2月、大阪松竹座で、翫雀改メ4代目中村鴈治郎の襲名披露が行われます。歌舞伎界で2ヶ月続きの襲名披露は、片岡仁左衛門の襲名(平成10年)以来です。
鴈治郎といえば何といっても、「大阪の顔」と呼ばれた初代が有名です。容姿に優れ、明治・大正・昭和の三代にまたがり大阪の歌舞伎界に君臨しました。当たり役のひとつ、『心中天の網島』の紙屋治兵衛は「頬かむりの中に日本一の顔」と川柳にも詠まれたスーパースターでした。来年はラジオ放送が始まって90年になりますが、大阪放送局(JOBK)が大正14(1925)年6月、当時は北浜・三越の屋上にあったスタジオから初代鴈治郎の『熊谷陣屋』を放送しました。和服でマイクに向かった鴈治郎が生放送をした後、「よう聞いておくれやした。ありがとさんです」と言って大評判となったそうです。
この初代鴈治郎の長男である林又一郎(二代目)は夙川に居を構えたので、梨園では「夙川のおじさん」と呼ばれました。その孫が林与一です。二代目を継いだのは初代の三男。映画界でも活躍したので、覚えている人も少なくないことでしょう。その息子が、翫雀の父である坂田藤十郎(前名・三代目中村鴈治郎)で、長く中村扇雀という名で活躍しました。小林一三(阪急電鉄・宝塚歌劇・東宝の創始者)に請われて「宝塚映画」の専属俳優となっていた時期もあります。今年の宝塚映画祭では彼の主演した『白井権八』(1956)が上映されますが、のちに妻となる、宝塚歌劇団娘役だった扇千景も出演しています。宝塚の撮影所が火事で焼けたため、西宮北口にスタジオを移して撮られていた時期の作品です。幼稚園に入るちょっと前、母親に連れられて撮影風景を見物に出かけたことを懐かしく思い出します。
その後まもなく扇雀は東京へ本拠を移したので(その頃から大坂の歌舞伎役者が東京へ移り始めるのですが)、息子の翫雀も東京育ちとなりましたが、今回の襲名を機に、翫雀とその長男・中村壱太郎は大阪へ住民票を移すとのこと。父祖の地を大切にしたいとの思いからでしょう。
歌舞伎学会が出している『歌舞伎 研究と批評』(9月10日発行)に「演劇季評〈平成25年上半期〉」を寄稿しました。タイトルは「丸本離れを危惧する」としました。
道頓堀「今井」の前に立つ岸本水府の川柳碑
「頬かむりの中に日本一の顔」 |

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