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雀右衛門の思い出

雀右衛門の思い出
 
七代目歌右衛門を襲名目前にして病に倒れた中村福助のことが気がかりでなりませんが、松竹としては、弟の橋之助に八代目中村芝翫を、また中村芝雀に五代目中村雀右衛門を襲名させることが決まったようです。
 3年前に亡くなった四代目雀右衛門は、まさに波乱の人生を送った人でした。17年前に私が聞き手になり収録したインタビュー記事を公開します。
 
 
       大阪との御縁
                      
                               (四代目)中村雀右衛門
           
                                聞き手  河内 厚郎
 
 昭和十五年から兵隊にとられてベトナムへまいりました。南洋の地ではマラリアにもデング熱にかかりました。二十一年に復員してまいりましたが、役者として一番大切な修行をするときに戦地へ行っていたわけです。コッポラ監督の「地獄の黙示録」という映画を見たときは夜も眠れませんでしたね。戦争をロマンとして描いているものですから。
 日本へ帰ってきますと、父の六代目大谷友右衛門は昭和十八年の鳥取の震災ですでに亡くなっており、東京の劇場を歌舞伎座が空襲で焼けて、東劇と三越の二つしかございません。俳優の方はというと、菊吉(六代目尾上菊五郎と初代中村吉右衛門)や幸四郎(七代目)といった名優が健在ですし、のちの十一代目団十郎以下、花形がぞろぞろ。大阪にも河内屋(二代目実川延若)、高砂屋(三代目中村梅玉)、豊田屋(阪東寿三郎)といった方々や綺羅星のようにいらっしゃいましたから、あたくしなんか機会がありません。
 すると高麗屋、のちに岳父となる幸四郎が、それまで立役しかやったことのない私にいきなり「女形になれ」と言うんです。まあ六十年やればものになるだろう、と。その時はもう二十六になっているというのに。途方にくれましたが、結局、女形として役者人生を再出発いたしました。
 そんな女形が映画の「佐々木小次郎」(原作:村上元三、監督:稲垣浩)に主演で出ることになったんです。最初はお断わりしたんですけど、君は素材だと思ってくれていい、こちらの言うとおりにしてくれればいい、と言われまして。ところがその映画が大評判になっちゃいましてね。お給料も歌舞伎(一万八千円)の百倍ですよ。
 ただ、芝居というのは予定通り進行しますけれども、映画はそうじゃありません。どんどん都合でスケジュールが変わるから、舞台の出番が近づくと気が気でなく、偉い先輩方を待たすというような失礼なことにもなって歌舞伎の世界に居辛くなりました。
 でも、どうしても好きな歌舞伎に戻りたい。映画の方は好調だし、溝口健二、市川崑、成瀬巳喜男といった名監督たちにずいぶんひきとめられたんですが。それで、松竹の故・大谷(竹次郎)会長が肩がわりしてあげるからとおっしゃってくださり、再建された歌舞伎座へ一回だけ出て、来月からは大阪へ行けと言われました。そしたら、亡父とも仲のよかった市川壽海(三代目)という一代の名優の相手役を思いがけず、つとめることになったんです。幸運なことでした。
 壽海のおじさんはもともと東京の方ですから当然に江戸歌舞伎をおやりになる。その相手役として「籠釣瓶」の八ッ橋とか大役をやらせてもらい、おじさんの得意な(岡本)綺堂物や真山(青果)物でもずいぶん勉強になりました。ちょうど千日前の歌舞伎座から難波の新歌舞伎座に変わる頃でしたか。中座にもよく出ましたよ。
 大谷会長の存命中、「四谷怪談」が大評判になったことがありました。百万遍でお化けの出るところがございますね。舞台と客席の二ヶ所でお化けを出したら、お客様がキャーと騒いで。それはよく入りました。義太夫物でも「先代萩」の政岡や「合邦」の玉手といった大役をやらせてもらい、松嶋屋(十三代目片岡仁左衛門)さんや、当時は簑助といってらした坂東三津五郎(八代目)さんとよく御一緒しました。
 そしてそのまま雀右衛門を襲名するまで大阪におりました。あたくしは世代的には亡くなった(実川)延若(三代目)さんと同じくらいで、たびたびコンビをくみました。大阪物は延若さんに教えてもらい、東京物はこちらが教えるという具合にね。
 文楽の(豊竹)山城少掾にもお世話になりましたねえ。「葛の葉」の狐言葉を教えてもらったり。(竹本)綱太夫・(鶴沢)弥七の御二人とも父が親しかったものですから仲良くさせていただきました。(吉田)文五郎さんや(桐竹)紋十郎さんといった人形遣いの名人たちとも親戚づきあいのようにしていただき、幕間に「毛谷村」のお園を教えていただいたこともあります。独演の教授というわけですから、ぜいたくなことでした。
 大阪出身の劇評家で演出もされた故・武智鉄二先生とのおつきあいは、実は、あたくしがいちばん古いんですよ。もう戦前のことです。若い方なのに遠慮ない劇評を書かれるので、父が怒っちゃいましてね。ところが実際にお会いしてみたら、温厚な方で、芸のことを本当によく分かってらっしゃるというので、すっかり父が感心しまして、一緒に勉強会をやることになりました。のちに文学座のアトリエになった飛行館で「大功記」の光秀をやりました。その頃は立役でしたから。父と武智先生との共同演出でした。
 武智先生との御縁がもととなり鴻池幸武さんがバックアップしてくれることにもなりました。大阪の女形の名跡である京屋(雀右衛門)を継ぐことになったのも、そんな御縁があったからです。先代の雀右衛門さんが亡くなった昭和二年といえば、ちょうどこちらは初舞台の歳ですから、先代の舞台は拝見しておりません。
 昭和三十年代の後半から大阪の歌舞伎がいっぺんに寂しくなりました。延若さん初め役者さんたちも次々と東京へ移られ、関西のファンの方には寂しいことでございましたね。今度の松竹座は、昔のように大阪のお客様が盛り立ててくださるような劇場になってほしいものです。昨年は杮落としにでましたが、この四月は「口上」と「寺子屋」に出させていただきます。
 
    季刊「SOFT」(1988年SPRING・27号、大阪都市協会発行)

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