日記

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 前のページ | 次のページ ]

薪車「破門」の行方

 薪車「破門」の行方
 
先ほど、フジテレビ『ノンストップ!』に出演しました。といっても、関西では放映されていない番組なので、私は見ていないのですが
 昨日、電話で音声を収録し、声と写真による出演となった次第です。
 内容は、歌舞伎俳優の坂東薪車が師匠の坂東竹三郎から芸養子縁組を解消され、名跡を返上した、つまり破門された一件についての解説です。私にも詳細は分かりませんが、師弟の軋轢が決定的になったのは、現代劇『サロメ』に「四代目坂東薪車こと秋元道行」の名を掲げて出演したこと。竹三郎も会社(松竹)も知らなかったということでした。
 梨園に生まれ育った御曹司でも一度くらいはルートを踏み外すことがあるもので、最終的には歌舞伎の世界に復帰できることが多いのでしょうが、薪車の場合は門閥出身でないこともあり復帰の道のりは険しいと思われています。ただ、この件につき松竹は発表などは行わず、竹三郎と薪車の問題として静観していますので、100%見込みがなくなったということではないのかもしれません。
 従来ですと、誰か他の幹部俳優が復帰の手立てを模索する手もあるのですが、今回は時間がかかりそうです。
 薪車本人も今は後悔しているに違いありません。

西宮の歌舞伎絵師

  西宮の歌舞伎絵師
 
兵庫県西宮市の市民文化賞に、昨年度は、穂束とよ國さんが選ばれていました。
 西宮市内にアトリエを持つ穂束さんは、日本を代表する歌舞伎絵師として知られています。(父上の穂束信勝氏もやはり歌舞伎絵の第一人者でした)
 歌舞伎絵師とは、歌舞伎公演に先立って、上演される芝居の絵を劇場前に掲げて宣伝するための絵を描く人のことです。穂束さんは東京風ではなく上方風の絵師で、大阪松竹座や京都南座、豊岡の出石永楽館、四国こんぴらの金丸座などの歌舞伎絵を描いていますが、東京の浅草公会堂などの歌舞伎絵も手がけています。私も何十年も前から、穂束さんの芝居絵が掲げられた劇場(というより、芝居小屋と呼ぶほうがふさわしい趣となります)の前を通ると、わくわくしてきたものです。
穂束さんは平成8年には日本演劇興行協会から表彰を受けています。日本画家としても精神性の高い作品を発表し、後進の指導育成にも尽力してきました。
西宮市民として今回の受賞を心より喜びたいと思います。
        
       
イメージ 1
             大阪松竹座
 

翫雀雑感

   翫雀雑感
 
いよいよ翫雀が四代目中村鴈治郎を襲名することになりました。
 翫雀という名は、「大阪の顔」と謳われた初代鴈治郎の実父の芸名で、二代目の鴈治郎も一時期、名乗っていました。
 その翫雀が7月の大阪松竹座で、『伊賀越道中双六』「沼津」の平作を演じるというのには驚きました。しかも、実の息子である十兵衛の役は、翫雀の父である坂田藤十郎が演じるというのですから。人生の年輪が滲み出すような平作の役づくりを、翫雀がどんなふうにしてくれるのか、楽しみでもあります。
 この「沼津」に続いて、『身替座禅』の奥方玉の井という女形を演じるのですから、もう何にでも挑戦してみせるという心意気なのでしょうか。
 正式に歌舞伎役者としての道を歩み始めるのが遅れたため、ここまでの道のりはいろいろと苦労があったと思いますが(とりわけ、東京育ちながら先祖以来の大阪の芸風を継承しなければならなかっただけに)、鴈治郎襲名を機に、さらに存在感の大きな役者になって欲しいものです。
 
 「沼津」といえば、平作と十兵衛が客席を歩いて場内を沸かせますが、私もずいぶんとこの芝居を観てきました。昭和36年2月大阪新歌舞伎座での初代市川猿翁(現猿翁の祖父)と市川寿海(市川雷蔵の養父)、昭和41年5月道頓堀中座での実川延若と二代目鴈治郎、昭和46年2月大阪新歌舞伎座での中村勘三郎(十七代目)と片岡仁左衛門(十三代目)、昭和54年11月道頓堀中座での仁左衛門と二代目鴈治郎・・・それぞれ、感慨深い舞台ばかりでしたが、二代目鴈治郎の十兵衛の飄々とした足取りが思いだされます。
 
    
イメージ 1
 
 上方歌舞伎みてある記 その2
 
 今月の「上方歌舞伎みてある記」は、『壺阪霊験記』でおなじみ、壺阪寺を案内します。
 
 奈良県下を舞台にした歌舞伎作品は多くありません。有名なのは『妹背山婦女庭訓』(1771年・道頓堀竹本座初演の浄瑠璃)くらいのものですが、これは三島由紀夫がことのほか愛した芝居です。その他には、どちらも明治期に作られた浄瑠璃である、『良弁杉由来』(1887年・大阪彦六座初演)と、そして、お里沢市の夫婦愛を描いた『壺阪霊験記』(1879または1883年・大阪大江橋席初演)が現在も上演されています。
 
 
 12時、近鉄「阿倍野橋駅」西改札口付近に集合。行程は、阿部野橋(近鉄)→壺阪山→(バス)壺阪寺前というコースですが、バスが1日2便しかありませんので、時間厳守です。
      
イメージ 1

鴈治郎襲名へ

   鴈治郎襲名へ
 
昨年、芦屋のライブハウス「レフト・アローン」で、中村翫雀にパッタリ会いました(常連客の1人だそうです)。その折、そろそろ鴈治郎を襲名しては、と水を向けると、本人も頷き、襲名したいのだけど最近は襲名披露が続いているので時期を見定めるのが大事、といった返事がかえってきたと記憶します。今年も中村福助の七代目歌右衛門襲名が盛大に行われるはずだったのに、病気休演となってしまいましたが、そんなとき、ようやく翫雀の四代目中村鴈治郎襲名が決定しました。しかも、関西の歌舞伎ファンとしては嬉しいことに、来年1月の大阪松竹座から襲名披露公演が始まるということです。
 鴈治郎という名跡は、上方歌舞伎にとっては実に大きなもので、というのも、明治・大正・昭和にまたがり道頓堀中座に君臨して「大阪の顔」と謳われたのが初代中村鴈治郎(1860〜1935)であり、その曾孫に当たるのが翫雀なのです。ちなみに、初代鴈治郎のライバルだった十一代目片岡仁左衛門(1858〜1934)の孫に当たるのが、現在の仁左衛門となります。
 翫雀は記者会見で「鴈治郎はあこがれで好きな名前。この10年、自分が継ぎたいという強い思いがあった。大阪に根付いて、『鴈治郎はん』と呼ばれる役者になりたい」と抱負を語ってくれました。
 大きな役者になって欲しいものです。
 
イメージ 1
          初代鴈治郎生誕の碑(大阪・新町)

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 前のページ | 次のページ ]



プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事