1970年頃 日本も元気が出始めた頃だった。
私も若くて仕事もやる気十分・・気合いも入っていた。
皆がそうだったから、当然競争、各種業界も拡張合戦が始まる
バブルの始まりだったかどうかは知らないが
わけのわからないものも方々で流行り始めた。
アングラ族やフーテン族が出現、ボインちゃん
サイケ調・ハレンチ・・シンナーからLSD・ゲバゲバ・・
とめてくれるなおっかさん・大和魂
GSからフオークゲリラ、
「みじかぴの きゃぷりとればすぎちょびれ すぎかきすらの
はっぱふみふみ・・わかるね
ニャロメ・ヘンシーン・ズビズバー、あっと驚く為五郎ときたもんだ
なんだか景気はいざなぎ景気、
しかし世の中混沌、カオス全開な時代だった
文化の町、益子も異様な風体、パンタロンで道ばたの雑草をなびかせていた頃だった
赤軍派が何とか山で演習ををしていた話しがまことしやかに噂も流れていた。
♪のーんびりゆこうよ、どこうまでも♪
CMソングと裏腹にデモや騒乱状態も各所で起こっていたが
そうこうしているうちに所轄の警察署では玄関先が爆破され、
本物の赤軍派が隣町の銃砲店に押し入った
落ち着きも無い時代だったが景気の方は「内需拡大」潤う人は潤っていた。
その潤ってる幸せグループの二人が今日もスニャンク「みゃーるど」で一杯、
早いうちからやっていた。
この仲のいいお二人は仕事仲間でもあるが遠い親戚筋でもある。
一人は工務店経営の又さん。もう一人は鉄骨業の留さんだ。
最近の新築ブームでふところは暖かい。
カラオケなんか何曲もぶっ放してしていた。
ここは山の中、ボリューム上げたってカラスの子供達の寝付きに影響するか、
きねずみができをどう採点してくれるのやら
まあ、あたりかまわず「放歌高吟」だれにも迷惑はかからない天然の立地
私らがよく行ってたのは「たそがれ」、本当の名前は「黄昏」
あとでヘンリーフオンダの同名の映画もあった。
店の名前は店の近くのお寺の住職で当時は小学校の教頭先生だった。
こののん兵衛教師が命名者だった。
仕事が終わって一杯やるのは「黄昏時」・・・それで黄昏
でもこの近在でこの日本語を読める百姓様、大工様などはいなかった
それで「たそがれ」になったがバラックだてのお店の風格にもマッチして「ナウイ」となって
この「ホルモン焼き」専門店は四里四方知らぬものが無い有名店になった、
ここが我々同級生の集合場所、定期的情報交換、発信の基地にもとなった、
店主もかなりたそがれていた。
スニャック「ミャールド」はそれよりいくらか高級だった。
高級といっても飲み代がいくらか高いだけだった。
当時はまず女性の客などいなかった。
すこし”町”にでかければいたよ。
だがここは店の前に自家用車の代わりに馬ををつないでおいても、
いや、ウシでも似合うような僻地の酒場だった。
たのめば「コンパニオン」も呼んでくれた、
ただし夕刻8時以降なのだ、美人は期待できない。
昼間は田んぼや畑で日本農業自給事情のために健闘なさっておられる「やまとなでしこ」様たちが
日焼けたお顔に厚化粧で接待してくれるのだ。
「ゴボウの白あい」とよんだ、かなりアフリカンぽかった。
それはそれで人気があった、ひとのヨメサンとお酒が飲めるのだ、旦那も知り合いだから遠慮もいらない。
木骨屋の又さん、鉄骨屋の留さんが先着で意気上がっているところに三人の飲ん兵衛が飛び入りした。
屁こきの甚兵衛、焼き物屋さんだ、そして酩酊キングのヒロさん、どういうわけか同級生のエズロやん
座は一挙に盛り上がった、屁こきの甚兵衛さんは酔っぱらうと、
屁とよだれと、なみだと鼻水を一度にだせる隠れた達人だし
ゲップも連発していたし・・・・
酩酊キングのヒロさんは水のないプールにダイビングするのが特技、
エズロやんは笑っているだけの笑い上戸・・・
又さん得意の十八番♪ 甚べは屁をひるう♪
ぶっぷらこーン、ホップコーン♪♪ブッブブ〜ボッポッボ〜♪
留めさんも負けずに♪ ズビズバ婆ばあヤア、おらが婆ばあヤア やめてけれ・・爺こ爺こ婆あヤア・・・♪
(以下 ワイセツにつき省略)
にわかコンパニオンの旦那様たちも飲んでた「たそがれ」から呼び出され大合流、
シッチャカメッチャカの大宴会となった。
サンマの唐揚げと称される痩せぎすの「ケメコ」ママもダウンして果てた。
マスターも呆れてとっくに寝てしまった。
騒々しくて寝不足のカラス共も起き出す頃、
酔っぱらって寝こんでお店にお泊まりの又さんと留めさん・・
雀ちゅんちゅんの声に送られてマイカーで東の空ほんのり時刻、自宅にご帰還遊ばした。
しかし我が家は完全締め出し、完全ロック 又さんの懸命のンックの音にも反応は無かった
これにはさすがの又五郎さんも困った。
しかし、トイレの窓を換気のために開けてあるのを思い出した又さん、
そのへんにあったリンゴ箱から
トイレの窓枠にぶらさがり、やっとのことで窓から便所内に半身を乗りだし室内を見渡した。
薄暗い電気に金隠しスタイルの和式トイレ一つ
距離2メートルそのしたはポッチャントイレで底は漆黒の闇
上半身這い出したらそのまま落ちる、引力にさかわらずボダっと落ちる。
これがむずかしい、ここでひと休み
又さん足から居りようと考えてみたが体を回転できる余裕はトイレの窓には余裕はなかった
あたまから入り胴腹までののところで動きがとまってしまった
メタボすぎて頭と肩がようやく通過できても胴、時に腹の部分でつっかえてしまったのだ
今度は前進もバックも効かなくなって立ち往生してしまったのだ
腹の部分が一番体積があったわけだ、
でも又さんバタバタ・あしをいうごかしているうちにボキボキっと音がしたと思ったら
急にゆるくなるとトイレに向かってアタマから落下し始めた、
万有引力だ
真ん中はポッチャントイレで漆黒の闇、ブラクホールは絶対にさけねばならない、
又ヤン空中半ひねり降りの離れ業を駆使・・
したものの着地に失敗、きんかくしにアタマを強打して失神した
物音におどろいた奥様トイレにいってみると旦那が伸びていた、
「締め出ししやがって」と又さん喋ろうにも声がでない。肋骨が何本も折れているのだ、」
窓で折れて落下してきんかくしに強打してまた折れたのだ
三度目に折れたのは「今頃帰って来て何よ、」
ボキッ フトンの中で強烈な膝蹴りを食らったらしい
一晩に三度怪我した又やん、一ヶ月ぐらいは動けず安静にしていた。
留めさんも見舞いにきていたがしかし
同様の肋骨のけがをしていた。
先頃東南アジア接待旅行に招待されよからぬアソビをしたのを
どこかのバカがヨメサンに告げ口したらしい、
別便でおくられた10キロ位の木製の高価な象の木の彫刻像を胸に投げつけられたのだ
頭に命中したら大事だったろうに・・・
留めさん「ムギュッ・・」一巻の終わり。
これらの騒ぎはかかあ軍の大勝利に終わったようだ、
世論は又さん留めさんに見方しなかったようだ
ふだんからちょっと過ぎていたのだろう。
数ヶ月後又やんと留めさんは夫婦四人で温泉にいったそうだ
快気祝いを兼ねて・・
その後は四人でカラオケスナックを
豪遊して廻っていたそうだ。
たそがれ、みゃーるど、メジロくらすだから
費用はあまりかからなかったらしいが
内需拡大には貢献した。
産児制限も無かった
無制限だし放題
それでもやっぱり適当なところでケリをつけたかったのだろう
子供8人、10人当たり前といっても
家計費が容易じゃない
貧乏者の子沢山・表彰状の一枚ぐらいもらっても・・
これでうち留めだろうって「留吉」とか「留夫」
これが末っ子だろうで「末吉」「末作」
それでもできると今度は「又吉」とか・・
親も「命名」にも飽きていい加減になったらしい・・
知ってる人に「又十郎」さんがいた
猿山さんちに婿に行ったので「猿又」と呼ばれたと
弟の十三夫さんが言ってた。
結局14人兄弟だった。
みなさんこんにちは
G・W いかがお過ごしですか
ZIZI 所用のためPCを離れざるを得ませんでした。
G・Wならではのことで・・すみません。
27日でブログ開設3ヶ月を経過
未だ初心者マーク者ですがよろしくです。
G・Wは若干休養いたします。
この期間、突然の来客やら、外出等々落ち着きません。
ちょっと更新が滞ると思われますが
これまた宜しくです、。
頂いたコメントのお礼ものちほどに・・
ZIZI 拝 (4/29)
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