大道寺龍の鬼手仏心

僧侶の立場から現在の宗教界に問いかける。

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前回、身分差別をしている既成仏教界のことを書いたが、現在のもがき苦しんでいる人たちがあふれている社会情勢の中においても、一向に手を差し伸べようとしないクソ坊主に腹の底から怒りがこみ上げている。その怒りを私はエネルギーに替え、日夜「行」に励んでいる毎日である。しかし、いかに「行」をしても、国民の人たちひとりひとりから私と同じように、くそ坊主どもに対しての怒りが現れなくてはこの先もっともっと極悪非道の仏教界になっていってしまうのである。

今回は日本中でいちばん信仰者の多い「不動明王」を本尊に祀っている寺院の住職およびカラバカ僧侶たちのことを書くことにする。「不動明王」の御利益というか、仏教でいうお役目は地獄に堕ちた衆生を業火に焼かれながら、命がけで救うのである。誰でも一度は「お不動様」を祀っている寺院に行ったことはあると思うが、このような必死の祈りをする坊主は日本国内において、ごくわずかしかいないのではないだろうか。

本来、「不動明王」の姿・形を見てもわかるように、他の仏様たちとは違うことに気づかれると思う。古代インドの国は身分差別が厳しい時代、カースト制度といって、バラモン(司祭者)、クシャトリア(王族・武士)、ビャイシャ(平民)、シャードラ(奴隷)と四階級に差別されていたのだが、正にその階級のいちばん身分の低い位置のシャードラ(奴隷)の身になり、社会のどのどん底で苦しむ者たちを救済するために、この世に出現されたことを今一度、くそ坊主どもは勉強をやり直すべきである。そのためにも、乞食坊主になり托鉢をし、庶民の苦しみを一緒に味わうことが先決であると思われる。なぜそれができないかというと、生意気に「私たちにも生活があります」とほざきやがる。だったら初めから仏門に入るな、と言いたい。今の世、すべてが狂っている。その責任の一端は既成仏教界で、のうのうと生きている坊主であると心から叫びたい。

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まことに、「私たちにも生活があります」ですね。彼らへの怒りが修行の原動力ですか?う〜ん、なるほど。合掌

2005/12/29(木) 午後 8:25 [ kyomutekisonzairon ]

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いや、あなたこそ釈尊の教えに立ち返りなさいな。托鉢が何のためか。別に乞食になって庶民の苦しみを知るためじゃないですよ。己こそ至上と増上慢になる暇があったら、偶像崇拝も葬式仏教もやめて、沙門になることです。喝!

2019/1/16(水) 午後 9:28 [ azu*igo*en ]


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