四月八日の農業大学入学を目前に、今日で農家さんでの研修を終了させる。
最後の二日は南部糸満でパイプハウス作りを手伝う。
60センチピッチで、先端に大きなRのついた三メートルほどの鉄パイプを土に突き刺してゆく。
左右に立てた鉄パイプが空中で金具で連結され、それがパイプハウスの丸みを帯びた屋根になってゆくのだ。
パイプの数は百本を超える。驚くほどの仕事量。
朝から始めて夕方6時。まだ半分も終わらない。
息を切らし、少しの時間、手を休めた。
夕日の中で赤く燃えるサトウキビ畑をゆらしながら、遥か遠方から風が渡って来る。
遠くのAMラジオでは古謝美佐子が民謡を唄っている。
その時、危うく涙が出そうになった。
感傷ではなく、単純に心が大きく動いたのだ。
受け入れられたのかなぁ、と思える瞬間だった
なお、写真は先日初挑戦した野菜の店頭販売の様子。午前中で売り切れました。
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今日は午後から南部へ。私の友人、パンチさん紹介の農家さんちで芋掘りなんです。
ということで勝連の農場での仕事はお休み。たっぷり朝寝をしようと思ったのですが、習慣とは恐ろしい。6時前にはばっちり目が覚めてしまいました。まぁ、前日夜10時には寝てるのでしょうがないかもです。
そこで近くのエンダーでモーニング。朝からジャンキーな食べ物をがっつきます。
実際、農業やってると腹が減るのです。しかも毎日きちんきちんと決まった時間にお腹がすきます。これが当たり前の生活なんでしょうね。
で、帰って来て二度寝。これが気持ちよかった。
お腹いっぱいだし、高気圧の機嫌のいい南風がカーテンをゆらすし。
で、気を失うように眠りました。
休日、を実感です。
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また、夢の話しです。
妙にリアルだったので、かいておきます。
ある写真集を人にもらった。
「きっとあなたが好きなはず」と。
確かにそうだった。
写真は人物のポートレイト集。
撮影地は世界各国。
アフガニスタン、クルド、ジャマイカ、モザンビーク、バングラディシュ、スペイン。
撮影された人物たちは、誰もが人を射るような視線でカメラを見つめている。
苦悩にみち、何かに怒り、他人を厳しく見つめている。
モノクロ。
光と影。
強いコントラスト。
いい写真だ、と思った。
怖さも感じた。
写真家は自分のスタイルにこだわり抜き、揺らぎや曖昧さを徹底的に排除している。
写真を完全にコントロールしすぎている、そんな感じを受けたのだ。
「自分の撮りたい写真だけを撮る」
芸術創作活動の基本だろう。
「聞きたい音楽を作る、見たい映画を作る、踊りたいダンスを踊る」
何かを作る人は誰もがその思いを基本とする。
しかし、その思いが強すぎると、「いいか、悪いか」
の判断が厳しく、強くなり、自分を追い込みすぎる。
創作はもはや楽しみではなく、苦しみになってしまう。
なんでそんなことを考えたのか?
私はその写真家が、自らの命を絶ってしまったことをすでに知っていたからだ。
死後、写真家の残した膨大なポジの中からは
「へー、こんな写真も撮っていたんだ」という作品が数多く見つかった。
優しい笑顔、何気ない仕草。美しい夕日。
感傷的、ともいえる写真群に、残された人々は驚いた、という。
自分で自分を縛ることの恐ろしさ。
スタイルや理想をこわすことの難しさ。
手元の写真集に閉じ込められた写真家の溢れんばかりの才能に、強い嫉妬を感じるだけに、様々なことを考えた。
強い思いにとらわれたところで目が覚めた。
何を意味するのか?
不思議な夢でした。
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朝五時半、大きな横揺れ。一発で目が覚めました。東京でも経験したことのない大きな地震。びっくりしたなぁ、もう。 |
今日(2010年2月20日)の沖縄は久々の晴れ。 |