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我々関東38会のメンバーは昭和19年から20年の終戦間際に生を受け戦中、戦後の貧しい日本の中で一生懸命遊び、勉強し、働き、助け合い、この年まで元気に生きてきました。
我々の人生は戦後そのものです。戦後の歴史そのものです。もはや戦後を知らない豊かな後輩に我々の生きざまを残すことは大きな遺産となることです。
65歳を記念しこの生きざまを残すことにしました。表題は「私の戦後史」です。1人800字以上で原稿を作成ください。原稿用紙2枚以上です。期日は今年の6月末です。まとめはT編集長です。
きっと素晴らしい作品になるものと信じています。
関東38会幹事
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いい企画ですねえ〜〜
転載させていただきます。
2010/4/4(日) 午後 0:14 [ わいわいがやがや ]
締め切りが近づいてきました。最後の追い込みに、役に立つかどうか?
甚七が気付かずにいたことをTBさせて頂きます。
2010/6/28(月) 午前 8:56
小学校では
「明治憲法は欽定憲法、昭和憲法は民定憲法」
と教わった。
あたかも、民定憲法の方が優れているかのような口ぶりで・・・。
ところが、1995年に昭和憲法の帝国議会での審議過程が明らかにされた。議員先生御一同様は、「公職追放」を恐れて、戦々恐々としていた。
昭和憲法も「マッカーサー欽定憲法」だったのである。
どだい、国家主権を失った被占領国が、自主憲法を制定できる訳がない。SF条約で主権を回復した後は、昭和憲法を被占領基本法として破棄すべきだった。
ところが世は「敗戦利得者の得意絶頂期」だった。保守も、アメリカの手下の方が「気楽でよい」と堕落していった。
「英霊に対面させない教育」の力も大きかった。
日本国憲法こそ、「占領期の自動延長装置」である。戦後生まれの人間は、これに骨の髄までやられた。自虐的にならないわけがない。
戦後の虚妄にも気づかず、「日米対等」と言い、臆面もなく「日米同盟」と言う。彼らは、日米安保が昭和憲法を「補完」していることから目をそらして、いつまでも暮らせると思っているのだろうか?
2010/6/30(水) 午前 2:43