閑山子余録

閑山子こと川平敏文のブログです。近世文学・思想研究情報を中心に発信します。

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岩田彦助論 余話

『近世文芸』第98号(2013年7月)に、拙稿「岩田彦助の人と思想
―熊沢蕃山・佚斎樗山との関係―」が掲載されました。

享保期に刊行された仮名教訓本『従好談』の作者は、割印帳には
「岩田彦助」とあるものの、従来その伝がよく分からず、『田舎荘子』
などで知られる佚斎樗山の作か、ともされてきました。

今回、館林第一資料館に「岩田家文書」という資料群があることを
つきとめ、そのなかにある資料類から、『従好談』の作者はやはり
「岩田彦助」という人物であり、樗山ではないことを考証しました。

ちなみにこの彦助、いまでこそ誰も知りませんが、じつは室鳩巣も
『鳩巣小説』のなかで、その才を評価しております。当時はそこそこ、
知られていた人のようです。また、岩田家文書の資料から、彼の
出自や人となりも、かなり明瞭に分かってきました。

さて、両者は別人だと判明したのですが、じつはここからが面白い
ところで、別人ではあるけれども、両者はかなり「似ている」ところも
ある。

それは、関東の譜代大名(殿席は雁の間)の家臣であること、
ほぼ年齢が同じであること、熊沢蕃山の学問に影響を受けていること、
共通の知人がいるらしいこと(序・跋による)、などであります。

さらに、彼らの主君が老中を勤めていた時期が重なっている年もあり、
何かしらの交流も勘ぐりたくなるところ。
結局、直接の関係までは分かりませんでしたが、両者が互いを見知っ
ていた可能性は大きいと思います。

また、これとは別に、『田舎小学』という著者未詳の仮名教訓本が
あって、これも『従好談』との関連が指摘されていましたが、今回、
それが渋谷幽軒の『塵坑集』という教訓本の改題増訂本であることが
判明しました。

そして、この渋谷幽軒がまた、紀伊徳川家に仕えた家臣で、年齢も
彦助や樗山とだいたい同年配。政権中枢に近い大名家の老臣という
点で、彼らのいわば「社会的属性」は似通っていることが分かりました。

享保期の教訓本の一端を、こういう人たちが担っていた意味は?
政権中枢に近いという、彼らの「社会的属性」は、このさい重要な
要件となるのではないか。すなわち享保の改革の大号令にさいし、
より敏感に呼応したという一面もあったのではないか。

とまあ、そんなことを書きました。
(これを読んだ人は、もう拙稿は読まなくてもよいかもしれません。笑)

それにしても、この論考については、資料との出会いが奇跡的なもの
でした。こういう鳥肌がたつような経験は、そう多くはないと思います。
岩田家文書もそうですが、『塵坑集』と『田舎小学』との関係に気付いたのも
ほんとうに偶然で、我ながらびっくりしました。

何気なく「西鶴と浮世草子」第3号別冊に掲載されている、倉員正江さんの
論文を読んで、渋谷幽軒の存在を知り、そこでちょっとだけ触れられている
『塵坑集』という本は面白そうだなと思い、複写を取り寄せてみたら、それが
いま調査している『田舎小学』とほぼ同じ内容だった、というものです。

このゾクゾクっとする体験を、あと何回かはやりたいなあと思います。
そして学生たちにも、この感覚を味わってもらいたいです。
そうして中毒になってもらいたい(笑)。




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