九つ ここまで…

一番お待ち下されているのはきっと……

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11月月次祭

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今日はなわしげ分教会の11月の月次祭でした。
上級の会長様を含め15名の参拝者で、
勇んでおつとめをつとめさせていただきました。

教祖130年祭頃は毎月揃っていたおつとめ奉仕者ですが、
今年に入って平日の祭典日は欠けることが多くなりました。
鳴物揃えるにはあと2名必要です。
ま、そこが信仰の目標では決してありませんが、
教会長の怠慢でそうなっているようでは申し訳ない気もするんですよね〜。

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先日の天理教校学園vs御所実業戦、
うちの息子以外の画像も少しだけ挙げときますね。

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今日はおぢばで開催された「全国高校ラグビー奈良大会」の準決勝、
天理教校学園vs御所実業戦を観戦してきました。

教校学園は強豪相手にFW戦で真っ向勝負!!
前半終了間際に1トライ返したものの、結果は5-90。

さすが国体優勝チームは超〜強かったです。

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第五回教区里親研修会

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10月30日、三重教区里親会では三重教務支庁において
「第五回教区里親研修会」を開催させていただきました。

講師には、天理教里親連盟委員・守屋元也先生をお招きして、
講演+「天理教里親子育てアプローチ(TFA)」の紹介をお願いしました。

講演では、講師自らが里子として天理教の教会でお育ていただき、
その中での心温まる体験を通じてその教会の教会長となり、
そして今では里親として3人の里子たちと日々奮闘している様子をお話しくださいました。

守屋先生、ありがとうございました。

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助造事件

助造事件、異端のはしりである。

教祖におたすけいただいた助造が、「ウチこそ本家」的なことを言いだし、抵抗し、最終的には詫びを入れた事件。

で、この助造、「扇のさづけ」を戴いていたんだよね。
それを悪用したので、扇のさづけを取り上げられたと。

それが直接原因なのかはわからないけれど、戴いていた人は50人ほどであるか、教祖はすべての扇のさづけの理を抜かれた(効能消滅)。


助造事件 

 同年七、八月頃、福住村へ道がつき、多くの人々が相次いで参詣して来た中に、針ケ別所村の助造という者があった。眼病を救けられ、初めの間は熱心に参詣して来たが、やがて、お屋敷へ帰るのをぷっつりとやめて了ったばかりではなく、針ケ別所村が本地で、庄屋敷村は垂迹である。と、言い出した。
 教祖は、九月二十日頃から少しも食事を召し上らず、
「水さえ飲んでいれば、痩せもせぬ。弱りもせぬ。」
と、仰せられて、一寸も御飯を召し上らない。人々が心配して、度々おすすめ申上げた処、少々の味醂と野菜をお上りになった。こうして約三十日間の断食の後、十月二十日頃、急に針ケ別所村へ出張る旨を仰せ出され、飯降伊蔵、山中忠七、西田伊三郎、岡本重治郎を供として、午後九時頃、針ケ別所村の宿屋へ到着された。
 翌朝、教祖は、飯降、山中の両名に、
「取り払うて来い。」
と、仰せられた。早速、二人は助造宅の奥座敷へ乗り込み、祀ってあった御幣を抜いて二つにへし折り、竈に抛り込んで燃やして了った。
 宿へ戻って、ただ今取り払うて参りました。と、申上げ、これで、もう帰ったらどうやろなあ。と、二人で話し合うていると、教祖は、
「帰ぬのやない。」
と、仰せられた。
 助造の方でも、直ぐには帰んでもらう訳にはゆかぬ。と、言い出し、かれこれして居る中に、奈良からは、金剛院が乗り物でやって来る。こちらも、守屋筑前守の代理として山沢良治郎が到着する。いよいよ談判が始まった。
 しかし、いかに言い曲げようとも、理非曲直は自ら明らかである。助造が教祖に救けられた事は事実である。彼の忘恩は些かも弁護の余地が無いのみならず、針ケ別所村を本地とする説の如きは、教祖を前にしては、到底主張し了せるものではない。三日目になってとうとう道理に詰って了い、助造も金剛院も、平身低頭して非を謝した。落着迄に七日程掛った。
 お帰りに際し、助造は、土産として、天保銭一貫目、くぬぎ炭一駄と、鋳物の燈籠一対有った中の一つとを、人足を拵えてお屋敷迄届けた。
『稿本天理教教祖伝』第四章 つとめ場所 P.64-66

   扇のさづけ

 これは最も古いおさづけである。道は文久、元治、慶応となって、いわゆる今の信者として残っておる信者がぼつぼつおやしきに引き寄せて頂くようになったのである。この頃からと言っても、元治、慶応のころからである。古い道の信者の頂いておられるのは、この扇のおさづけであった。であるから、四、五十名もの多くの人が頂いておられたとも聞かしてもらっている。私のおきく祖母も、この扇のおさづけを慶応二年に頂かれて、その時の使わして頂く扇も今なお家に保存さして頂いておる。後にはまた、あしきはらいのおさづけを頂かれたがーー。
 後に本席となられた飯降伊蔵先生ももちろんこの扇のおさづけを頂かれた方である。
 では、扇のさづけとはいかなるものであるかと言うと、扇のさづけを頂いた者が、扇の伺いができるのである。その扇の伺いというものは、どういうものであるかと言うに、扇の動きによって、神意を悟ることができるのである。神意を悟ることができると言っても、ただ扇の動きによってのみ、悟るだけのことであって、例えば、誰かが身上であると、その扇のさづけを頂いておる人に願いに来るのである。そうすると、そのおさづけ人は扇を持って(膝の上で)黙想するのである。するとその扇が動く、上に動いたならば救かるとか、艮(うしとら)に動いたならば、それは切る神様であるから救からん、というように、ただその扇の動きだけにて神意をはからして頂くことのできるものである。であるから、人間心を出して、それを悪用するならば、とんでもないことになるのである。それを悪用した者が即ち慶応年間において、針ヶ別所の助造がそれであって、教祖がわざわざお取り払いにお越しになったのである。であるから、この扇のさづけというものは、間もなく理を抜かれた。(頂いた者も、理を抜かれたのであるから、それを使えぬことになった。使っても理のないおさづけであるから、値打ちのないものである)。早くからお渡し下されたおさづけであったが、早くからお止めになったのである。
 扇を持って伺うこの扇は、どんな扇でもよいというわけのものではない。扇のさづけを頂いた者は、扇の伺をする時にその扇も、白骨の扇、あるいは黒ぬりの扇と言って、それをおやしきからお下げ下されたのである。私の家に残っておると言うのは、今では紙も真黒になっておるが、白骨の扇である、と思う。
 飯降伊蔵先生なる本席様も、やはり扇のおさづけを頂かれた一人であったが、この方に限っては、言上の伺と言って、言葉で出ることを特に許されておられた方であった。それで、教祖様のおられる時でも、身上や事情というようなことを願いに出られると、大工の仕事場(注・飯降伊蔵は大工棟梁だった)に廻れというように、飯降伊蔵先生(もちろん本席様になられる前のこと)の方に伺わされたものである。そして扇を持っておられることには違いはないのであるが、いろいろと言葉でお諭し下されたのである。
 扇のさづけとは、扇の伺にて神意を悟らして頂くことのできるものということになる。これが扇のさづけである。
 この扇のさづけについて、ただ一ヵ所だけがおさしづに残っておるので、それをここに引用さして頂くならば、今言ったことがよく分かって頂くことができる。
   明治二十三年六月二十一日
   山中忠七扇の伺の事に付伺
  さあ/\扇の伺い/\というは、心得までのため、これは古きの道や。僅か年限は知れてある。教会を治めて居るなら、世界からどうであろうと心掛けて居よう。俺も見ようか。今の一時難しい処、古き処で止め置きたる処も暫くという。用いる者が悪いのや。これ一寸々々と言う者が悪いのや。めん/\からは出やしょうまい。それだけの心の理が分からねばどうもならん。扇伺いは言葉では言わん。それから遂にはこふまんの理が出る。そこで皆止めた事情は古き事情。……
 このおさしづのお言葉のように、『これは古きの道や』と仰せ下されておるように、道最初初めの信者のつきかけた時分のころのことである。がしかし、年限からいうと、古い時分のことであると言っても知れたものである。「古き処で止め置きたる処」とあるように、扇のおさづけは古い時分に止めてあるのに、願いに来たからといって、まあよいわ、まあちょっと言うて使う者が悪いのである。いくらこれを使っても、神様が理を抜いて止めておられるのであるから、いくらそれを使わしてもらっても、おさづけの御守護として神意の出ようはずはないのである。おさづけというものは「めん/\からは出やしょうまい」と仰せ下されておる通りである。また「扇伺いは言葉では言わん』とあるごとく、扇の動きだけで神意を悟らせてもらうものであって、決して言葉では出るものではない、それが言葉の上であれやこれやといろいろのことを言うものであるから、ついは高慢心というものが出て、神の道はぢばただ一つであるにもかかわらず、ついには謀叛心となって現われるのである。
 扇のさづけはかく仰せ下されるように、早くから止めておられたのである。道最初ごく初め当時のおさづけであったのである。
桝井孝四郎 『おさしづ語り草 上』 P.126-131

転載元転載元: うきしまブログ

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