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とどのつまり私たちは、自分自身の思考の結果である。
マインドが全てである。
私たちは、自分が考えた通りのものである。
All that we are is the result of what we have thought.
The mind is everything.
What we think we become.
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哲学
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○ 言論 と 批判 と 反論
◇ 言論 とは、ある主張 (意見) とその根拠 (理由) が セット で掲示されたもの
◇ 批判 とは、言論の 根拠の妥当性 をチェックすること ◇ 反論 とは、相手の 根拠の不備 を指摘すること ○ 意見 ← 理由 、 説得 ← 理由
◇ 理由 が言えて、はじめて自分の 「意見」
理由がなかったら、単なる 「感想」 あるいは 「思いつき」 ◇ 説得 (納得) 材料は、理由 だけ 他の方法は、すべて反則技 (泣き・脅し・・・) ◇ 意見 (主張) は、主観 であってかまわない でも、理由 (根拠) には、客観性 が無きゃいけない ○ 反論 と 異論 と 言いがかり
「Aである」 という論に対して、
◇ その根拠 を批判して 「Aでない」 (Aであるとは限らない) と言うなら 反論
◇ 別の根拠 を持ち出して 「Aでない」 と言うのは 異論 ◇ 批判もせず、根拠も示さず に 「Aでない」 と言うのは 言いがかり 批判や反論であれば 議論 になるが、異論であれば 平行線 。 言いがかりは 消耗 です。 ○ 議論の目的
◇ 自分 (他人) の考えを くっきり させる
視点 (立場) が異なれば、見え方 (景色) が異なる ◇ 自分と相手の考え方の 違い をくっきりさせる どこが同じで、どこが違うのか? ◇ いろんな見方・とらえ方・考え方を 取り込む 「どっちが正しいか?」 を争う必要はない ○ まとめ
◇ 意見 (主張) には必ず 理由 (根拠) を添える
それが無ければ、単なる感想・思いつき ◇ 批判のターゲット は、相手が挙げた根拠 (理由) 相手の主張 (意見) に直接向けてはならない ◇ 議論の目的は、ぼんやり → くっきり 自分 (相手) の考え方、お互いの考え方の違い この辺から始めよう。 「デジタルな論理式」 に引き続いて、「考え方の作法」 に着手する。
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古典的な時間論のマトメ本として、
入不二基議さんの、「時間は実在するか」は良いと思います♪
哲学者マクタガートが1908年に出した
「時間の非実在性」を軸に、
ゼノン、アリストテレス、アウグスティヌス、
ナーガールジュナ(龍樹)、山田孝雄(よしお)
ラッセル、ブロード、などの時間論が整理してあって、
読書のネタとして効率がいいです。
ただ・・この本に書かれていることは、あくまでも
1908年のマクダカートの「時間の非実在性」の解説が主である
ということですね。
相対論や、量子論以降の、時間論は、あくまでも、
次の段階に進まなくてはなりません。
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ヘーゲルについては多分、緑色の本「人と思想」とか、そのたぐいのものしか
読んでいないと思います。
そこで、それ以上興味が湧かなかったのでしょう。
まずね。ヘーゲル弁証法についての説明に魅力を感じなかったのです。
「正・反・合」というのは、確かによくある思考パターンかもしれませんが、
なんだかあまりにも当たり前に聞こえてしまったのと、
自分も「正・反・合」で発想するタイプだったので、自己嫌悪みたいなものもあり。
多分、ヘーゲル解説書を読んだときには、既に、私は、自分自身の弁証法的
やりかたに疲れ切っていて、嫌悪があったのだと思います。
それと・・ヘーゲルは、「古いものより新しいものがいいという考え」だと聞いたので、
そんなことはないのではないかと。
マルクスに対してもイメージ悪かったし、弁証法という言葉について、印象が悪かったのかもしれません。
カントは、意識の外側にある世界は認識不可能であり、そこに人間の認識能力の限界があると言った。
しかしヘーゲルは、あらゆる対象は意識の場面において経験されるので、その外側を考える必要がないと言ったそうで・・。 それは、・・ある意味、スピリチュアリズムの考え方に通じているように
聞こえます。
スピリチュアリズムや「量子論的形而上学」では、見えるもの以外は
存在していないか・・存在の比率が低いと言ってもいいわけです。
ヘーゲルの「すべては理解できるはずだ」という気持ちの根拠がどこにあるのかなと。
ヘーゲルについて「現在われわれがもっているような理性や知性を積み重ねていったら、真理に達する」と言った人なのかなというイメージがあったんですね。
「現代人の理性と知性をいくら積み重ねても、真理には達しないでしょう」と私は
思っていたので、
それでヘーゲルに対して興味が湧かなかったのかもしれません。
でも・・弁証法とヘーゲルに興味がわかなかった一番の理由は、
自分が弁証法的に判断することが多かったからかもしれません。
自分のそういうところが、あまり好きではなかったので。
かりに、「人間の目的は、差別をやめて平和な世界をつくることだ」とします。
弁証法で差別をやめることもあるでしょうが、
弁証法で、差別を強めることもできます。
スピリチュアリズム的にいうと、弁証法は、
分離(善悪の観念などを生み出すこと)と
統合(善悪差別をやめること)と
どちらにも働くことができます。
「弁証法をつかうかどうか」ではなく
「何を目的として弁証法をつかうか」と考えると、弁証法は面白いかもしれません。
つまり・・・先に「合」の結論のほうがあるわけ(笑)。
「合」をどういうベクトルにしたいかで、弁証法の意味は変わるのではないかと思います。
誰かが、カントは血液型A型で、ヘーゲルは血液型B型じゃないかと言ってましたが、そんなことあるんでしょうか・・・。
カントが網羅的・構築的で、
ヘーゲルが運動に着目しているから・・という説明だったと思います(笑)。
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ヘーゲル・ラブ☆の方お二人が、最近私のブログにいらっしゃるということは、なにか意味があることのような気がします。
ヘーゲルのパブリック・イメージというと、「弁証法の人」ということになると思います。
弁証法については、Wikipediaよりも「はてなキーワード」の解説が読みやすいので、載せておきます。
***以下、はてなキーワードの
【弁証法について】
・「ある状態について、[その状態は本来あるべき姿ではない](第一の否定)この「姿ではない」をそうではない(第二の否定)とすれば、本来のあるべき姿に戻ると説明される。ここには「否定の否定」の論証がある。
なお、中世では自由七科の一つとされた。
シュライエルマッハーは対話的思考によって思考と存在とを動的に一致させ、主体の世界認識と神認識を深化させる根本学問として弁証法を構想した。
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