さて。
先週の金曜日だと思います。
三つのテレビ番組を同時に見ていました。
①ミュージカル映画版「オペラ座の怪人」
②映画「天使と悪魔」
③災害情報
・・・リモコンをカチャカチャしながら、3つを観ていて・・。
「天使と悪魔」は予想したとおり、後味のよくない映画だと
思いました。ユアン・マクレガーがいい味出してるけど。
「セブン」とか「羊たちの沈黙」みたいな感じ・・。
文学になぞらえて殺人する、ばかみたいに気どった連続殺人鬼
・・・シリアル・キラーの話ですから・・。
そして・・・。
「オペラ座の怪人」の設定にカンドーしてしまいました。
この話、ガストン・ルルーという人が1909年に発表したものが原作です。原作は読んでいません・・。
小説「ドラキュラ伯爵」が発表されたのは1897年、
小説「アルセーヌ・ルパン」が始まったのは1905年、
小説「オペラ座の怪人」は1909年
小説の「怪傑ゾロ」は1917年
このあたりの主人公たちは、みな、怪物性とロマンチックが同居していて、
マントをはためかせていますね。
ゴシック小説(ゴシックロマン)とは、18世紀〜19世紀初頭のものだということになっていましたが、20世紀初頭にも、ゴシックロマン・ルネサンスがあったということでしょう。
ミュージカルとしては、ロイド=ウエバー版だけではなく、
ほかの作曲家によって「ミュージカル【ファントム】」という作品もあって、
日本では宝塚歌劇団の演目になったり、大沢たかお主演で舞台化されたり
しているそうです。
多分、ロイド=ウエバー版は、劇団四季と専属契約があるのかも??
(よく知りません・・。)
オペラ座の怪人。20世紀前半に映画化されたときは、
顔中みにくい怪人が主役で、正体を知ったヒロインは、あとはひたすら怖がって逃げるという、サイレント映画的な純粋ホラー映画だったそうです。
その後・・ミュージカル以外でも、何度も何度も・・5度以上映画化されているはず・・。
たくさんのアメリカ映画や、残酷描写で有名なアルジェント監督作品も
あるようですが、わたしは全て、見ていません・・。
何回も改変されるうちに、
だんだんと、怪人は、ただの怪物ではなく、魅力を帯びるようになったようです。
ハッキリ言えば、セクシーな魅力ということでしょう。
ロイド=ウエバー版の映画版「怪人」では、
ハンサムな俳優の顔の一部を怪異な容貌にして、その部分に、「ヴェネチアのカルニバーレ」的な中世風の仮面をかぶせ、
怪異な容貌であり、心がひねくれているために殺人?志向があると同時に、
歌がうまく、純粋な愛を求めるロマンチストでもある・・という、
キャラクターになったようですね。
なにかこの「オペラ座」と、「ハンサム+18世紀ゴシックロマン怪物の合体」
「純粋な愛の象徴であるクリスティーヌ」
・・・というこの組み合わせが、いかにも絶妙でたまらない、と思いました。
エロティシズムという点で、絶妙の組み合わせであることに、異論ある人は少ないのではないかと思います。
どうして絶妙の組み合わせであるのか、小林秀雄的評論の大家、あるいは
明治の文豪たちに、理由を解説してもらいたいです。
いちおう、生物学者の竹内久美子の意見も聞きたいです。
恐怖を乗り越えるという行為がひとつの鍵かもしれません。
恐怖を乗り越えるスリルがエロティックであるということに、
反論があったら、お聞かせください。
ゴシックロマンにおいては男性の強引さがセクシーなわけですが、
もちろんその点も踏襲しています。
清純な女性が、恐怖を乗り越えて、強引な男性と関わりをもつというのは
まあ・・ある意味、典型的な、セクシーな何かの表現(笑)
しかし、
ロイド=ウエバー版などの最近の「オペラ座の怪人」は、怪人側の「満たされ」具合が凄くて、
現代人すべてにとって、共感できる構造を含んでいるような気がします。
母親の愛を求めながら傷つけられ、人間界と分離してきた怪人が、
清純な処女によって、母親の愛を知るというようなモチーフですが。
まるで聖母マリアによる救いでありまして、
わかりやすい癒やしの物語であり、人間界への復帰のエクスタシーです。
エクスタシーというのは、すべての融合につきものなんですね。
融合こそがエクスタシーであり、
「母親によって愛から切り離された」状態から、「聖母によって愛と融合できた」と
したら、これ以上のエクスタシーはないのではないかと思います。
多くの現代人は、なんらかの意味で「疎外」されています。
現代人は、みんなが「怪人」なわけです、本当は。
だから、ほとんどの人は、知らず知らず「怪人」に感情移入しているのではないかと思います。愛から疎外されていても、強がって生きている怪人は、とっても健気です。
キリスト教の聖なるエロティシズムの極と、
非キリスト教の聖なるエロティシズムの極みたいなものが同時に機能する
組み合わせで、
だから、近年の「オペラ座の怪人」の設定は、大変な発明なのでしょう。
さらに、設定を活かしきった、コントラストの強いの音楽。
どっちみち、この世の美とは、コントラストのことですしね。
ロイド=ウエバーの、キャッチーなメロディ・センスが活きています。
ミュージカルで絶大な人気を博すのがわかろうというもの。
・・・ゴシックロマンの、現代における究極なのでしょう。
オペラ座の怪人。
心理学的暗喩を考えれば、これまた非常にわかりやすいわけで。
彼の一部分でしかない「みにくい容貌」とは何かなのですが。
「あのみにくい容貌とは、要するに【ひがんだ心】【劣等感】【自己嫌悪】などであり、
彼自身が、世界と彼を分離する、心の障害なのです。
とくにあの【みにくい容貌】は、母親に拒絶されたことが原因で、自己否定し続けている人間の心の部分なのですね。
セリフの中に「生まれて初めて身に付けたものは母親に与えられた冷たい仮面」と
いうものがあり、母親に是認されていなかった部分の「自己」が、
そのまま自己嫌悪、自己否定になったようです。
そのひがんだ存在と、聖母のような乙女が、パリのオペラ座で出会う、という設定も素晴らしいと思います。
パリのオペラ座は、パリの中心部にあり、夜も、
緑色の屋根とともに、黄金色に輝いている・・。(緑でしたっけ?)
パリの中心であり、華やかさの中心であり、
「愛し愛されること」と「ほまれ」「賞賛」の中心なんですね。
そんなオペラ座に潜んでいる怪人は、「愛されることと、賞賛されることを
渇望している」状態を表わしていると言えます。
これまた、人類のほとんどと同じではありませんか!
オペラ座には色々な怪しい伝説が、もともとあって、そこからルルーの創作がはじまったらしいです。
「オペラ座の怪人」の、光と闇の対比がすごいわけですね。
「桜の下には死体が眠っている」と言った詩人がいましたが。
この世の華やかさの影には、必ず暗さがある。
華やかなものがあればあるほど、闇も深い。
クリスティーヌは、オペラ座の怪人の仮面の下に、
純粋な愛を渇望する心をきちんと読みとります。
クリスティーヌが純粋な愛をもっていたからこそ、できることですよね。
クリスティーヌの怪人への「理解」が表現されるのが、ひとつの「キス」で
あり、それが怪人の改心の契機であることも、、
演劇的にわかりやすくて、大変よいです。
もう・・・この作品は、設定で、勝ってますね!
ミュージカル「オペラ座の怪人」の初演の時の怪人は、
マイケル・クロフォードでした。
ジョン・レノンのファンにとって、
映画「HOW I WON THE WAR」
(最近の日本語タイトルは、「ジョンレノンの僕の戦争」)
でおなじみの人ですね。
このナンセンス映画、戦場にクリケット場を作るという任務を授かった
小隊の話でしたが・・・。
ジョン・レノンが演じたグリップ・イード二等兵は、射殺されてしまいます。
(そして撃たれた後に、ジョンのセリフが続くのです・・)
グリップ・イード二等兵の上官である、
手足の細い軍曹役がマイケル・クロフォードでした。
「ネスカフェ・ゴールド・ブレンド」のCMによると、大沢たかおも、
オペラ座の怪人をやってますが、こちらは「ミュージカル【ファントム】」のほう。
大沢たかお、いい俳優だと思います。この役をやらせたかった人の
気持ちがわかります。
(次の日曜日の「JIN」を見なくちゃと思っています。)
ま、とにかく・・・「オペラ座の怪人」は設定がとにかく素晴らしい。
いろいろ考えてしまう。いろいろ考えてしまえる。
設定勝ちのストーリー!!と思ったのでした。