この記事は、コメント不可にしようっと(ひとりごと)。
わたしは、ルシファーを悪いものだと思っていません。
ですが、私は絶対、ルシファー崇拝ではありません。
一方、現代人の多くは
「神」と言う言葉に、アレルギーあり。
文化によっては、ルシファー崇拝があたりまえという文化で育った人も、
いますよね。
そこのところを少し書きたいと思います。
まず、宇宙も世界も、もともとは1つのものだったと、多くの哲学では言っています。
特に・・東洋系の哲学ではそうなると思いますし、
西洋の秘教でもそうだと思うし、
近年の・・東洋系哲学に影響を受けた、西洋思想たち・・ニューエイジ思想でも
そうなると思います。
その・・原初の「たった1つ」であるとともに、すべてのものの源であるものを
これらの思想では、
「神」と呼びます。
さて。「神」が分離する世界をつくり、魂に探究させるようになったとき、
神レベルから次元を下げる役割を担ったのが、ルシファー、もしくはルシフェル
だと言われています。
もともと神の使いですし、そもそもこの世界を創ったのはルシファーですから、
悪いものであるはずがありません。
ただね。
「神よりも、ルシファーを崇拝する」というのが、一般的には、悪魔教なのですね。
一般的にはですよ。
悪魔崇拝の、どこが間違っているかというと、「モノから生命が生まれる」という思想なのね。
モノから生命は生まれないわけですよ。
逆でありまして、意識がモノをつくりだしたのです。
いつわりとは、「モノから生命が生まれるという思想」であり、
真実とは、「意識がモノを生み出した」ということです。
シュタイナーも、ルシフェルとアーリマンに、人間をつまづかせるものを
見ていたのですよね。
神とルシフェルを、どちらを優先するかで、悪魔教かどうか決まっているわけです。
あくまでも、悪魔教かどうかは、順番と優先順位の問題なのです。
神を大切にする前に、ルシファーを崇拝してしまったら、いつわりの
世界に導かれることは、歴史が証明していると言えると思います。
もう一度書きますが、
いつわりとは、生命がモノから生み出されるという発想。
真実とは、生命は意識であり、モノより先にあったということです。
ということは・・賢そうに見える養老タケシ先生の御意見は、あまり
聞かないほうがいいということになるのかもしれませんが・・・。
宇宙人たちは、かなり高次元な宇宙人でも、みな、神を信じています。
高次元なのに神を信じているところを見ると、
18世紀〜20世紀の、地球のインテリは、驚くでしょうね。
「神を信じるのはバカの証拠」と、18世紀くらいから地球のインテリ層では言われて
いたのですが、
それで現在も、「神」という言葉に、反発、アレルギー、反抗、嫌悪を
いだく人々もいるようですね。
ロックンロール文化で育ち、ロックンロールは反抗だ、
神は宗教という権威だから、神には反発するのだと、言ってる方が、
私のブログ読者にも、いらっしゃると思います。
その方、お元気かしら。
地球の古い宗教は、これからすたれていくと思いますが、
「神」の概念は、宗教的権威抜きに、残ると思います。
「神」とは本源という意味、創造性という意味でありまして、
善悪を裁くようなものではないのです。
むしろ、神は、善悪を全く裁かないと言っていいかもしれません。
人間が考える善いものも、悪いものも、ひとしく愛するのが神なので。
そう考えると、悪くなったほうが得ではないかと思う人もいると思いますが(笑)
全て存在は、自分が投げかけたものが、自分に還ってくるようになっています。
いつわりを投げかけたら、いつわりが還ってきますので。
私は、悪魔崇拝と、ルシフェル崇拝は、オススメはしません。
止めることもできませんが・・・。
神は、音として「カミ」でなくてもいいのかもしれませんがも
「カミ」という音になったことにも、意味があるのだと思います。
「神」という概念は、地球上にあった、古い宗教がなくなっても、残ると思います。
そもそも「最初の本源」「生命の本源」「意識の本源」という意味ですから、
消すことが無意味な概念です。
わたしたちが存在していることは、確かなのですから。
「神よりもルシファーを崇拝する」のはどこがおかしいかというと。
生命が来ているのは、あくまでも「神」のほうからだから。
神を愛するとは、宗教を愛するということではなく、
生命を愛するということです。
この原則がゆるがないので、私はルシファー崇拝になったことはありません。
ルシファーは、この宇宙、この世界、この世を創っただけのことで、
生命を生み出すことは、していません。
実は、宇宙や、世界や、この世が生み出される前から、生命だけはあったわけです。
生命とは、意識のことだからです。
そこらへんが、ダーウィン進化論を私が逆だと思う理由です。
「我思うゆえに、我あり」というデカルトの言葉には、意外となじむかもしれませんが。
「神」のほうから生命が来ることがわかり、ルシファーがもつ善い意味
・・・つまり、「経験して、知るための世界をつくる」ということを大切にするのは
いいかもしれないと思います。
しかし、神が見えなくなるほどに、私がルシファーを崇拝することは、今後も、
ないと思います。
こういったことで一番大切なのは、「順番」と「優先順位」だと思っています。
モノから生命が生み出されたという話、私はノレないわけです・・。
乗りたいかたは、どうぞ・・・。
そして、さようなら。
自由意志は尊重されるべきですから。