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母や妹のことについて、もう一つの観点から書いてみましょうか。
「わたしの罪悪感」が実はわたしの人生の困難のすべてを引き起こしている・・という結論になりそうです。 現在の母と妹と出会った、「前世」の記憶があるのです。
17世紀のスコットランド。わたしは権力者の娘です。 今の母が乳母で、今の妹は、その時も乳母の娘です。 そんな具合だから、母と妹の気質が似ているのは当たり前なんです。 向こうは、何世にもわたって親子ですから。 母と妹は、私が父と似ているのだと言い張りましたが・・私としては、あまり似ていると思いたくないです^^ 私は権力者の娘だった17世紀スコットランドで、「自分の母よりは乳母のほうがマシだわ」と思ったのです。 そして乳母を大好きなつもりだったのですが・・・
今生で理解したことは、乳母のことは何もわかっていなかったということです。
乳母とその子供のことは、17世紀には、バカにしていたと思います。身分が違うから。 その時したことを母と妹から、今回の人生で、かなり「仕返し」されたように見えていましたが、 本当はむしろ自分の罪悪感が原因でしょうね。
今生で、わたしはいつも「あなただけ得してずるい」という目で見られていると感じましたが、 母と妹に関して言えば、それは17世紀のその人生の立場になっているのだと思います。 ****************
現在の妹である乳母の子供は、わたしに対して「本当は、私のほうが才能があるし、成功もできる。」と思っていたのでしょう。 わたしは乳母を大好きなつもりでしたが、乳母親子のことは、身分が低いとバカにしていたと思います。 それとともに、自分が彼らよりかなり裕福であることに罪悪感を感じました。 現在の妹/17世紀の私の乳母の娘は、現在の私/17世紀の領主の娘の 「身分と、身分の高さ(裕福さ)によって拓かれた才能」に嫉妬し、 わたしは「乳母は、結局は乳母の実の子供に近いこと」に嫉妬していたのではないかと思います。 ************* ***で囲まれた部分、わたしの前世記憶と符号するのであり、 要するに・・今回の家庭生活は、「17世紀のスコットランド」の陰画の形になっているのだと思います。 今回の人生で、べつに、母や妹よりも身分が高いわけではないのに
「あなたの立場がずるい」ということはいつも表現されましたね。 その言い方は、まるで本当に私だけ身分が違うような言い方です。 妹の「本当は、わたしのほうが才能がある」アピールは物凄かったです。鬼気迫るものがありました。 「わたしのほうが才能がある。わたしのほうが成功できる。」というのは、彼女が前世から感じていた熱い思いだと思います。 現在のわたしの問題は・・記事に書いたように「アサーション」と「リーダーシップ」の問題でもありますが、 それ以上に大切なのは
罪悪感だと思います。 17世紀のその時、わたしは現在の妹/そのときは乳母の子供・・に、罪悪感があったんです。 乳母だから、実の子供よりも私を優先しなくてはならないから、罪悪感があったわけ。
私は今生で、「妹が両親に愛されるように」メチャクチャ気を配りましたが、
・・・自分では性格がいいからだと思っていたけど・・・笑
本当は、前世での負い目が原因だったような気がします。
罪悪感がそうとうありました。
だからこそ、今回の人生では、自分が虐待されることを『許し』たのではないでしょうか。小学生で、あれだけ家族を愛していた私がなんで精神的に虐待されたのかと思ったけど、 前世からの自分の罪悪感が創りだしていたと思います。
母も妹も、私の罪悪感にふさわしく演じてくれただけだと思います。 つまり・・「なぜ虐待があったかというと、わたしに、前世からの『罪悪感』があったから」です。
「前世で、母を嫌って、乳母のほうがマシと思った」罪悪感もあります。 誰かに罰が当たったとしたら、それは当人の罪悪感が原因であることが多いでしょうね。 わたしの今回の人生の大枠は、17世紀のスコットランドの人生に対する陰画みたいなものです。
あるいは、あちらが陰画なのか。 「17世紀のスコットランドの私」が感じた罪悪感が、今の人生で実現されるわけ。 「古代ローマに生きた自分」の罪悪感の反映みたいな出来事もありました。 「古代ギリシアに生きた自分」の罪悪感もあります。 ・・・私が理解している限りにおいて、地球に行きた何回もの人生の罪悪感を、まとめて解消すべき時にきていると思います。 |
催眠療法と、前世についての疑問
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先週、日曜日の夜から、「プロのセラピストのバイブレーション」はどんなものかと、
ずっと考えていた。
6日目の、今日の時点での、結論。
「癒やされている・・・癒やされている・・・」と、「癒やし」の運動状態を
感じているバイブレーションが基本なのではないだろうか?
わたしがやってみたいセラピーは、比較的簡単だといわれる
「前世療法」です。
型があるから、比較的簡単なんだって。
そうは言っても、もしもやりたいとしたら、その間は
「セラピストのバイブレーション」でいなくてはなりません。
だから、それがどんなバイブレーションなのかと、考えていたのだけど・・。
「癒やし」という運動を感じている状態ではないかと・・・推測、します。
はたして、わたしがそのバイブレーションの状態に、どの程度いられるかと
いうと???未知数でございます。
「その考え方は、違う」という方、どうぞ、意見をお寄せください。
(るうこさん、待ってるよ!)
(るうこさん、それと・・・自己紹介も待ってます♪)
しかし・・・どうか・・・・・・お手柔らかに。
現時点では、勉強を始めたばかりなの。
やりたいことのポイントが決まっているとしても、
その周辺のことも知っていなければならないと思います。
今週の読書テーマは、「グリーフ・ケア」です。
大切な人を亡くした方の心のケアについての本を、淡々と読みます。
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現在、暗示療法の標準的な考え方で、キモと言われているところについて、書きます。
「暗示文に、ネガティヴワードを入れてはならない」
「暗示文は、ポジティヴ・ワードで構成すべし」
と、言われています。
Syupapaさんが紹介してくださった「自観法」・・・の全貌を知るわけではありませんが、
Syupapaさんの御説明によれば、自観法とは、
「「私はあの人を嫌っている」・・と思っている」というように、
自分がもっていた観念を一段高いレベルから見るということでいいのでしょうか?
そのあと、ポジティヴワードを入れないのですか?
「自観法」のような「現実」の認識から始めることは、セラピーにとって、大変重要なことです。
暗示療法や、暗示療法による自己実現法が、しばしば、
「現実味がない、フワフワした療法」と評されている理由は、
いわゆる「現実」から出発していないからです。
心の中に、苦しみや、病気や、貧しさを生み出す観念を抱えたままで、
「私は健康だ。私は豊かだ。私は成功している。」というような
アファメーションを繰り返すことは、
納得できないスポンジ・ケーキの上に、デコレーションをほどこして、
クリスマス・ケーキとして差し出すようなものです。
むしろ「スポンジケーキ(=自分の観念体系)に納得していないんだ」と
いう気持ちが強まるのであり、
チャラチャラしたデコレーションに、嫌悪が湧くのでありましょう。
その点・・・Syupapaさんがおっしゃった「自観法」は、
自分の観念体系を改善しようとする試みの基本になると思います!!!
散らかって汚れている部屋の片づけ/掃除と同じで、どこがどう散らかっているか、
どこが汚れているか、まず認識することが、部屋を綺麗にする基本です。
Syupapaさんがおっしゃった「自観法」は、自分の心を部屋と観た場合、
「汚れ」や「散らかり」を認識する段階として、優れたものだと思います。
「自分は、あの人を嫌っている・・、と、思っている。」
しかし、部屋の散らかりや汚れを認識した後、
「散らかった部分」を「整頓された部分」に、
「汚れた部分」を「きれいな部分」に
置き換えないと、本当の意味での、暗示療法にならないと思います。
暗示療法は、とにかく、最終的には、自分の意識を、
「理想的なもの」に置き換えていく作業です。
あなたが部屋に入った時に存在した「散らかり」や「汚れ」を認識するのは
片づけたり、汚れを取り除いたり、するためであって、
「散らかり」や「汚れ」について深く検討したり、意味を考えたりする必要は、
まったく、ありません。
むしろ、「散らかり」や「汚れ」に、とらわれてしまうと、部屋は、片付きません。
片づけて、掃除したあと、
好きな置物を飾ったり、花を飾ったりして、
安息に浸るという楽しみ
に、たどりつくことができないばかりではありません。
「散らかり」や「汚れ」にこだわってしまえば、「散らかり」と「汚れ」は、ますます
増幅します。
まして、「この散らかりは、【部屋は散らかる】という命題」
「この汚れは、【部屋は汚れる】という命題」・・・と考えてしまうと、
それは、セラピーと逆ですね。
Syupapaさんがおっしゃるものが「自観法」だとすれば、
それは暗示療法の、準備段階と考えていいのではないでしょうか?
【準備】と【仕上げ】で暗示療法が完成するとするならば、
準備だけでは、真の暗示療法とは、言えません。
むしろ、【仕上げ】だけできていれば、暗示療法になるのです。
Syupapaさんが望むものは何か、その確認から始めませんか?
御病気から解放されて
【圧倒的で、完璧な健康】
の状態になられることが、Syupapaさんのお望みなのではありませんか?
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わたしは今、「セラピーができるようになりたい」と思っています。
セラピーをするためには、
患者さんに対し、いわゆる「ラポール(信頼関係)」をとらなくてはなりません。
ラポールをとるためには、とにかく、クライアントさんに、
ネガティヴなものを感じさせないことが大切です。
特にいけないのは、攻撃性と、暴力性。
さらに、死や病気や傷のイメージ。
わたしは今までは、ビジネスの世界と、ちょっぴり知的な論戦の世界と
ロックンロールの世界と、文学の世界にいたから、
大人ばかりですし、
けっこうアグレッシヴでもよかったのです。
アグレッシヴどうしで、丁々発止と、やりあう世界にいたわけですし、
ちょっとくらいタフなほうがよかったし、
タフなネゴシエーターなら、それもよかったのです。
でもね。もしも・・・セラピーの中でも、わたしが興味をもっている、
催眠療法をやってみたいとしたら。
患者さんに最高の安心と、安らぎと、幸福感を味わってもらわないと
いけないわけだから、
今までとは、違うのです。
私の中に、「安心と、安らぎと、幸福感」の人格を創らなければ、と思います。
急務。
過去においても、必要なキャラクターは創ってきたわけなので、
できると思います。
攻撃的な人が、寄ってくるようでは、まだまだ。
もう・・攻撃的な人が、私の横を素通りするくらい、平和になろうと思います。
アグレッシヴには、「積極的」という意味もありますし、
積極的で、バイタリティがあり、正義感の強い皆さまとも、
これまでどおり、楽しくおつきあいさせていただきたいと思います。
でも・・・とにかく私の中に「平和・安らぎ・安心・癒やし・やさしさ・豊かさ」
・・・みたいなキャラクターをつくらなくちゃと、思っています(笑)。
(^^)/
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期間限定ですが、ある場所を、
練習用の、セラピールームにしてみようと思っています。
「癒やし」に関心がありますし・・。
「催眠療法」の練習をしたいので。
「催眠療法」は、楽器の演奏などと同じく、練習が必要なんです。
練習スタジオが必要になったわけです。
けっこう、「場」が重要です。
静かで、落ち着いている場所。
「気」の流れが穏やかなほうがいいです。
やさしく、包まれるような場所で、
頭まで支えてくれるような、安楽椅子も必要になります。
しばらくは、「癒やし」に、心を向けてみたいと思っています♪
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