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今、ブログ友達さんのところで、エロとエッチについての迷惑メールの話を読みました。 「お寺の奥さん」はエロいとか、そういう話が書いてありました^^ ・・・その時思ったことです。 性的欲望を高め、かつ、満たすためには、 水を水蒸気にするみたいに、まず、性欲材料を熱して水蒸気を作ってから →水蒸気をためて、 →バルブを少しゆるめて、水蒸気を噴出・・・みたいなことをやりますよね。 エロの装置は、水蒸気をつくって、ためて、細い通路から水蒸気を噴出、そのパターンの バリエーションでしょうか。 「熱を加える」「ためる」「細い通路から噴出」これが満たせれば、エロの装置はなんでもいいみたいですね。 衛生原則を満たし、適度な水分量と、適度な塩気か甘味が備わっていれば、おいしい食べ物になる・・のと似たようなものかしら。 |
日本人の性意識
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のデスガ。 こないだは、 セックスが最もファッショナブルだった時代は、もうすぐ終わるのでは、 と、書いた。 今の中学生〜小学生は、現在20歳前後のヒトたちと、センスがチガウらしいのは、 うすうす勘づいていた。 その子たちがハタチになるころを、「セックスがファッショナブルな時代」の終わりと計算し、 2015年くらいかな、と書いたけど、 チガイマスね、チガウ。 もう、次の時代はとっくに始まっているのだ。 ここでいう、「セックス」とは、ファッションの記号としてのセックスのことね。 (私がここに書いているのは、いわば「流行論」です。) ヤヴァそうな雰囲気、暴力と血、みだらな雰囲気、ヒトをねめつけ、 性のエネルギーをあふれさせ、 エネルギーを蕩尽(とうじん)しまくるスタイルのことである。 若い女の子が乱暴なクチをきいたり、ガンをとばしたりすること、 目の周りを真っ黒にするメイキャップは、「セックス時代」に属していたと思う。 (アイメイクで目を大きく見せる傾向は、まだ残るとオモウケド・・。) 実は、 現時点で細かな描写はしにくいんだけど、 私の周囲で、このあたりからいっせいに、「縮小」と「節約」が始まった。 それはあまりにも足並みをそろえており、 自分含め、どこを見ても、私の周囲は「縮小」と「節約」がここから始まる。 このころ、テレヴィを見るたびに、 「ムダづかいがバレた」「公金横領がバレた」という話が出るようになった・・と思えた。 と、思ったのだが、その後の9月の世界金融危機のはじまりに、セイブツとしての 人間は、備えていたのだろうか。 金融危機になって、それから世の中の流れが変わったという考え方もあるんだけど。 それは2008年9月のことでしたね。 どっちでもいいんだけど。 さて、「流行が変わった」証拠は、ただ今発売中の女性ファッション雑誌の老舗、アンアン最新号 である。 この雑誌、1960年代の創刊時には、当時のフラワーチルドレンやロックンロールの雰囲気を 伝えたファッションをだしており、 1980年ころは黒服などの、80年代退廃趣味、 その後、つい一昨年までは・・・。 セックス特集やヌード特集というのがヒットであった。 読者の女の子を集めて、綺麗な子は全裸にして写真を撮り、表紙にしたりしていた。 「セックスすると綺麗になる」とか言い出したのも、この雑誌ではなかったか。 恋愛論特集も得意なわけであるが、たしか、少し前(一年半前?)まではこんな感じだったよ・・。 「女の子のほうから誘って、すぐにセックスするような恋愛がトレンドの時代」みたいな。 この雑誌にずっとエッセイを書いている林真理子氏も、「すぐにセックスするのがトレンド」と いうエッセイを書けとアンアンにいわれ、「とまどい」を見せつつ、 雑誌の方針にしたがって、「すぐセックス」肯定を書いてたのは、まだ2年前。 それが、今日、本屋で見かけて久しぶりに買ってみたのであるが・・・。 表紙は、蒼井優。最近のアンアンは、蒼井優の表紙起用が多い・・・。 そしてテーマは。 である。 「今、トクする女の子のバランスとは」がテーマなわけである。 最新号のアンアンが薦めるのは、 「ゆるゆる力」と「忘却力」と「置き換え力」と「無邪気力」だそうである。 これ、全て、 要するに、 ということである。 も、 も、 もう始まっている。 これが保守系ファッション雑誌なら、万年「男性にモテる女の子とは」とやっているわけであるが、 これは自立した女の子のトガッた流行を支持してきたアンアンである。 ・・・でも、もう少しで、 ・・・と、ノドから出てきそうな雰囲気。 今後、アンアンが、「今のトレンド」をどのように発表していくのか、 チョット興味深い。 おそらく「セックス時代」と同じようなことは書けなくなってくると思う。 (何度も書きますけど、これはファッションの記号としてのセックスのことね。) ファッションの世界においても、「無尽蔵なエネルギーを蕩尽しよう」と言いにくくなっている 匂いがプンプンする。 アンアンがこのようになったということは、やっぱりファッション・トレンドは、 「少ない資源を生かしている」娘なんだろうな。 性格もよく、要領もよく、難しい事態もうまく切り抜ける。 いったんそうなったら、この流行はしばらく続くよ、 その前のセックス・イメージばやりのときと同じように。 勝手に予測すると・・・ のではないかしら。 15年くらい続いたら、そろそろ飽き飽きしてきたヒトが、 とか言い始めるのカナ?と オモイマスネ。 次の春向けファッション、婦人服売り場は、超ミニのワンピースがいやに目立つ。 超ミニでセクシーにしていたら、トゥー・マッチである。 次の春には、品行方正で、まじめな女の子たちが、超ミニのワンピースで 街を闊歩・・するようになるのでしょうか??
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まず。これは公理みたいなものなのに、ほとんど言及されないことのひとつ。 そして罪悪感の結果は、「創造性を奪う」という結果を生み出すのが常である。 そして、これはわたくしの歴史認識・ に対する認識ですが、 ・・・と思っています。 なので、(私もそのひとりですが)「支配されるのを嫌う」人々は、 本人の性欲の強い・弱いの偏差、あるいは本人の性的嗜好の社会関数としての標準性に関わらず、 「セックスに対する罪悪感」に距離を置いてみる人が多いのではないかと思います。 「セックスに対する罪悪感」というのは、おおむね、人間を支配する「しかけ」を含んでいます。 支配が必ずしも悪とは言えず、 セックス世界における弱者、つまり年少者、セックスに翻弄されやすい女性たち、 人気が少ない男性たちなどを保護することや、 それ以上に、「社会秩序」を保護しようという目的で罪悪感がつかわれることが多いわけですが、 個人のレベルで見れば、「罪悪感を受け入れることは、支配を受け入れること」であるというのは 分野のいかんを問わないわけですよね。 そして、支配を受け入れることは、おおむね、創造性の放棄につながります。 (違いますか?) 私は最近、「罪悪感全廃は、実は理想的世界の実現への近道」というアイディアが気に入っているので (↑常識とは反対ですよね?多分、かなり説明が必要なアイディアです。) 一番わかりやすくて身近、しかも議論の意義があるような気がする 「セックスの罪悪感の見直し」に・・・気が向いたときに、ほんのときたま(笑)、取り組んでいます。 現実には、セックスは 行われることもあれば、 行われることもあるでしょう。 「愛としてのセックス」か、「存在論的に殺人としてのセックス」か、この点は大いに関心があるところで、わたくしとしては、セックスの本当の問題点はこちらであり、 いや、それどころか、人間のあらゆる活動に対する評価基準は「愛なのか、存在論的殺人なのか」だけで語れるのではないかと・・・最近は思っています。 というのが、最近のわたくしの感覚なわけです。
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日本の、「性(セックス)」に対する価値観を、いつも興味深く眺めています。 私の意見をアッサリ書いてみます。 つまり、性を実際的・現実的にとらえ、過剰に神秘化も罪悪視もしないというのが 日本の伝統と思います。 諸外国と比べて、性に対する罪悪感のなさと、現実的な対処と、おおらかさは、 「群を抜いている」というのが私の意見です。 しかも、それは、「最近の風潮」の中ではなく、「日本の伝統」として脈々と受け継がれてきたもの の複合的な融合・・・・によってそうなっていると考えています。 これに関連することで、面白いと思っていることはたくさんあるので、とりあえず、連載することに しました(笑)。
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サルトルさんから、「今は性の解放の時代ですね。昔の日本は性欲を劣情と言って汚らしく扱っていました。この変化について見解を聞かせて下さい」と言っていただきましたので、少し書くことにしました。 ええと。私は、日本人の性に対する大らかさは、伝統的なものであると思っています。 「伝統」の上に「流行」が乗っかっているわけですけど、 かもしれませんし、 どっちみち、わたくし的には と思っています。 わたくしは、流行予測も趣味なんですけど、 わたくしの流行予測としては、 というのが予測です。 その後に出てくるワカモノたちは、 「なんかァ、あたしたちの上の世代はやたらとォ、セックスがファッショナブルって思ってるけどォ、 もう古いって感じィ・・。 今、ファッショナブルなのは、「精神的ツナガリ」だよねぇ」 ・・・っていうようになるのじゃないかというのが、私の流行予測です(笑)。 おそらく、話し方の流行も変わるでしょう(笑)。肉体性より精神性を強調した話し方が出てくるのでは ないかと思います。 人類において、この試みは何度もなされてきましたから。 その「精神」というのは、今流行りの「スピリチュアル」と関係あるかどうか。 よくわかりませんが、時代が、精神的方向に進むのは間違いないのではと私は、思っています。 さらに、2028年あたりになると、「セックスの解放もスピリチュアルな活動も当たり前ですから、 古いものや老人の素晴らしさを見直そう」というあたりが流行になると思います。 老人を大切にする「ネオ儒教」の流行上の復活も、あるのではないかと思います。 「新しい秩序」というものを真剣に考えるワカモノが現れ、 今からは予想もつかない「新秩序」に熱狂する人が出てくると思います。 「性的激情のバクハツ」→「肉体よりも精神が大切になってくる」→「古いものを見直す」 ・・・というのが、ニンゲンがたどる、一定のパターンではないかと思っているので。 つまり・・・「温故知新」のプロセスですね。実は、知新の後に温故が来るのが普通と思っているのです。 その後、「博愛」→「洗練と愛の拡散」と続くのではないかと。 全ては、ある種特定のプロセスをもって、流行のパターンをたどる ・・・と私は思っているのです。 サルトルさんや、サルトルさんのご両親の世代は、 「セックスよりも、家庭が大切だ」 「セックスよりも、知性が大切だ」というような世代だったのではないかと思います。 それも、プロセスの一つではなかったかと。 現在の「ファッションとしてのセックスの流行」も プロセスだと思います。 太古の昔から、何度も流行ってきた流行と思っています。 皆様は、どうお思いでしょうか。
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