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フランス哲学、好き・嫌い

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哲学者による哲学批判、面白いのは
この人ではないかと思います。
 
 
ジャック・ブーヴレス。
 
1940年生まれ。ジョン・レノンと同じ歳のフランスの哲学者です。
 
 
フーコーは「権力と知の関係に興味をもった」のでしょうが、
 
 
 
ジャック・ブーヴレスは、
 
哲学の世界の中の、権力争いに興味があり、かつ、批判的な人です。
 
 
 
 
 
ウィトゲンシュタイン。日本の巷(ちまた)のインテリには圧倒的に支持されたのに
フランスではなぜか論じられることが少ない
ウィトゲンシュタインの研究者として高い評価を受けている人だそうですが、
 
私はこの人の仕事では、「フランスの哲学者によるフランス哲学批判」という点に興味が
あって、ウィトゲンシュタイン研究書のほうは読みません(笑)。
 
 
そして、この本も読みかけです。
哲学書を最初から最後まで順番に読み下すということは、よほど簡単な本以外は、しません(笑)。
 
 
この本は読んでいて気分が悪くならない哲学書ではありますので、
まだしばらく付き合いたいと思います。
 
 
最近、「白黒思考」について人から尋ねられましたが、
 
 
ブーヴレスは「哲学者達が、権力を創りだし、さらに、権力争いする」さまを、例えば以下のように描きだします。
 
(当然私が読んでるのは日本語版です(当たり前です)。73ページより。)
 
 
*******
 
フーコー、ラカン、デリダ、アルチュセールらによって問題が提起されたその時から−−
 
そしてもちろんのこと彼らによって解決されたわけなのだが−−
 
ある知的問題がほとんど自動的に存在してしまうという時代があった。
 
今日、その準拠となるものはいささか変化したとはいえ、そうしたスタイルは基本的には同じまま残っている。
 
 
哲学者とは、関心を惹かない問題とか、不案内な問題とかに解をもたらすことに専心はしないまでも、
 
自らが実際に提起した問題の解決には相当程度に関わりがあるはずであると一般には考えられていよう。
 
 
ところが、哲学的問題とは概して、「擬似問題」であるといわれることに哲学者たちは我慢できないのに、
 
彼らはたいていの場合、
 
他の哲学者が提起した問題を葬り去るのに同じ類の言辞を用いることに、何のためらいも感じない。
 
 
今様の問題に関心をもたぬ哲学者は、
 
「自ら」に課した問いに対して提示した答の長所・短所が実際に論じられる機会よりも、
 
自身の扱っている問題が今様のものでないとか、
 
あるいはすでに解決済みのものであると知らされる機会の方がはるかに多い。
 
 
ヴァレリーが語るように、画家たちがランクを競い合っている時に、
 
一般に哲学者は−−−−−彼らそれぞれの問題の生死を介して−−
 
ただ単に生存競争をしているだけなのである。
 
 
 
*******
 
 
そこに描かれているのは、単に「自分は誰かを気ままに批判したいが、自分は批判されたくない」人々の姿(笑)、
 
自己の価値観の相対化に成功していない人々の姿です。
 
 
 
もう一方で、「今様かどうか」で哲学的問題の重要性が測られているという、
 
哲学者自身による観察も面白いと思います。
 
私の感想文と一致するからです(笑)。
 

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ポストモダン思想は、2010年の現在では、いろんな意味で、批判しやすい。

1998年に出た、ソーカルとブリクモンという科学者が書いたポストモダン批判の書、

「知の欺瞞」は20世紀最後の代表作の一つでしょう。


これ以前、「ソーカル事件」という、現代思想を痛烈に批判した事件があったわけであるが、

それについては、後ほど書く予定。


ドゥルーズ=ガタリ、ラカン、クリスティヴァ、イリガライ、ラトゥール、ボードリヤール、

ヴィリリオなどのテクストを引きながら、そこに援用されている科学論理が

いかに、恣意的で浅はかで、不正確で、いい加減であるかを

バッタバッタと斬っていく書である。


「フランスのポストモダン思想の書って、もっともらしく難解なことを言いながら、

実は「誤魔化してケムに巻いたり」「欺瞞的なこと」をやってるんじゃないの?」という

多分「ありがちな」感覚に大いに応え、難解な書にイラついた神経にカタルシスを与えつつ、

溜飲を下げさせる内容になっている。


もっとも、ソーカル=ブリクモンも認めていることであるが、ポストモダンの思想家たちの

思想や仕事の全てを否定しているわけではない。・・・・当然でしょうね。



*** ここから、この問題に対する私の考えを書きます。


(1)私がポストモダンに批判的になったのは、もともとソーカル=ブリクモンとは全く

   関係ない経路でした。

   ドゥルーズ=ガタリの大作、「千のプラトー」「差異と反復」など読みつつ、

   ドゥルーズの解説も読みながら、↓こんな感じに思っていたのである。



   「要するに、リゾームとかいって、差異とかいって、ひたすら【分離】して考える

    わけでしょう?包括し、総合することから逃げてないか?逃げ続けて、【自分の中心】から

    も逃げて、何かいいことあるの?」


    ちなみに、【自分の中心】とは、大ざっぱにいえば、
    東洋思想的な概念で、人間精神において、理性のさらに奥にあるものについてであります。

    デカルト→20世紀の一般的知識人にとっては、理性はひたすら最上の存在なので、
    そもそも、問題にするべきではないと思われているでしょう。

    しかし、多分、ミシェル・フーコーが言ってたように、

    「理性が最高の権威として君臨している。理性の関して疑念がさしはさまれることは
     
     なかった。皮肉なことかもしれないが、理性(リーズン)をこのようなものとして

     考える理性的根拠(リーズン)は何もないのである。

     この意味するところは、理性が最高の権威として君臨するのは偶然的なものに

     過ぎないということである。必然的なことでもなければ、論理的なことでもない。

     不可避的なことでもないのである。」

    
   
    ↑私はこの意見に賛成します・・・。サルトルとは気が合う部分がありましたが、

     フーコーとも気が合うところが多々あります・・。

   
さらに、ドゥルーズに関して、こう思っていたのである。↓   


   「【ノマド】とか【スキゾ・キッド】とか、まさに興味の移りやすい私そのものなんだけど

    

    生まれつきの【ノマド】や【スキゾ・キッド】は、そんなの、偉いとも立派だとも

    思ってないよ。少なくとも【幸福への道】だとは感じないし、総合しようとしないで、

    かつ、【必要なプロセスを経て、【自分の中心】を得ようと】しないことなんか、いいと

    思えません。」


    「いろんなソースからパターンを抽出しつつ、逃げ続けてるのがドゥルーズなのかな?

     それは【核心】から逃げることで、そんなの、権力者に都合いいだけじゃないの。

     権威ある人気の知識人がそんなことして、どーする??」


    浅田彰さんのことは、私はあまり知りませんが、スキゾ・キッドの生き方に心酔し、

    スキゾ・キッドを賛美して、称揚した方だと聞いています。

    だとしたら、浅田彰さんとは、【美学】が違うのでした、多分。


    そして、こういう風にも思っていた。

    「こんな大げさに書いてるけど、論理とか哲学的真実とかなんとかいう前に、

    【一種の文学】あるいは【一種の詩】でしょう?」




(2) 実は、部分的には、ソーカル=ブリクモンさんの意見にも疑問があるのである。

    おそらくは、全体的には、科学畑から見た、かなり立派な意見なのだと思いますが。

    
    たとえば、「知の欺瞞」日本版の200ページ、10行目。

    「人間のかかわる出来事について、現在の行為が過去に影響を及ぼすとは到底思えない」と

    お書きになっていますが、



    「現在の好意が過去に影響を及ぼすとは思えない」というのは、単に常識的意見であって、

    科学的根拠はないような気がする(笑)。

    今の科学、特に物理学は、そのあたりはなんとも言えないはずだよね?

    異次元の実相どころか、異次元の存在すら、実験で証明されてない・・・のでしょ?


    そのあたり、数学のほうが自由だよね。


    そもそも、異次元とか、量子について、今の科学の実験は、かなり限界があるみたいね。

    「巨大な装置をつくって、粒子をぶつける」ことばっかやってるみたいだもん。

    それで、計算と理論をほんの少しずつ、近づけることができると、偉大な業績ということに

    なるみたい。(私のイトコは、量子物理学で、計算と理論をほんの少し近づけたことによって、

    偉大な業績が認められて、ノーベル賞ほどには有名ではない、国際的な賞を取った(笑)。)


(3)これは、ソーカルさん、ブリクモンさんと同じであろうと思いますが、

   そうは言っても、ポストモダン思想家の【冒険】には敬意を払っているのです。

  

   ポストモダンは、「大きな物語の解体」思想だとくくられています。

   それは、ニーチェとか、ハイデガーとか、サルトルもやっていたことですよね。

   時代の要請として、誰かが、「もっと解体しよう、なんとかしてもっと解体しよう」という

   欲望をもち、意思をもち、そして【焦って】【頑張った】のは、歴史的必然だと思います。


   
   私だって、巷のたくさんの人だって、なんらかの意味で「大きな物語の解体」に自分の意志で

   参加していました。



   冒険の先陣を切った人たちが、【リスク】を負って、傷ついたり、やりすぎたり、

   場合によっては恥をかいたりしたとしても、他人事と笑ってはいられません・・。



   でも、今はこういうことも思っています。

   「大きな物語が解体すると、一番都合がいいのは、資本家なのでは??」

   「資本家に踊らされ、資本家に搾取される人間を創るためだったのかも??」と。 


   
(4)関連事項として「大きな物語の解体」について。

   「大きなものがたり」という言葉は、ポストモダンの解説書には頻繁に出てくるのです。

   しかし・・・「大きなものがたり解体」とは何か、ハッキリ書いてない書物がとても多い!!!

   のです。


   普通に考えると西洋なのだから、

   【キリスト教の影響の解体】ですよね???


   でもそこまでハッキリ書けないのでしょうね?

先日の記事でも書きましたが・・・。


孤児として育った母のもと、母子癒着型の、「マザコン」として育ったワタクシは、

15才の時「このままでは、これ以上生きていけない」と思い始めて、


中学生のとき、少々ワイルドなキャラで活動していたことをテコにして


15才から、「観念と常識をぶっ壊す」ことをヤミクモに始め、


その次にはサルトルとボーヴォワールの理論で武装しつつ、「客体」であることを手放し、


「主体」であることによって自我を確立できたんですね。



このやり方だと、結局、家庭内では自我が確立できなかったのですけど(笑)。
それはそれでいいと思います(笑)。




その後の時期は、15世紀以降の欧米思想全体に批判的になったり
西洋的分離よりも東洋的合一がエライような気がしたり
自我を解体する方向に向かうわけですが・・・。

そもそも、自我を確立していなければ、「自我を解体しよう」なんて考えないです(笑)。

そういう意味で、サルトルは本当に役に立ってくれたのでした。



私だけではない・・私より前の世代の人たち、

映画監督の大島渚は確か「サルトルの世界を証明するために映画をつくる」的なことを言ってたと思うし

(・・・・・・・↑チョット違うかも・・。)

小説家の大江健三郎もかなりサルトルに傾倒していたようですし、


戦後まもなくの世界で、サルトルの影響は大きかったですね。


サルトル自身は左翼寄りだったのですが、


「自由民主主義」に貢献した思想家と言えるのでしょうね。



いつも思うのは、「なぜ、ポストモダンにサルトルを入れないのか」ということなんですけど。

世代的な分類なんでしょうか。


知ってる方、教えてください。



ちなみに、サルトルとボーヴォワールのチカラを借りて自我を確立したあと、

ワタクシは、フランス現代思想を冷たい?醒めた目で見るようになります・・。


その話は近々書きたいです・・。

読んでくれる方が何人いるのか、わかりませんが・・・。
前回、15才〜17才くらいの時、サルトルとボーヴォワールに惹かれ、

「客体ではなく、主体たるべし」という原則で、自我の強化に努めたお話をしました。


サルトル&ボーヴォワールに行ったのは、16才か、17才くらいのころかな。

いきなりサルトルに行ったわけでもなかったですね。


15才から最初の一年くらいは、哲学書とかはあまり読まずに、

やみくもに「それまでの観念」とか「それまでの常識」をぶっ壊していました。

サルトルやハイデガーを読み始める前に、「存在と無」みたいなことをやたらと考えていた

時期があります。

観念的になりすぎて、現実の世界で暮せなくなったくらいです。

なんとか、高校には通っていましたが、かなり変わり者に見えていたでしょう。

それで・・・「このままでは死んでしまう」というところに、半年くらいで行った覚えがあります。

常識や観念を壊すということは、狂人になることを選択することでもあったわけですから。








サルトルは、もっと後まで読んでいましたよ。19才とか、21才くらいのころは、読んでいた

覚えがあります。


サルトル&ボーヴォワールが好きだったおかげで、フランスのパリに泊るとき、

「サンジェルマン・デ・プレ」のホテルを選んでしまいます。

カフェ・ドゥ・マゴと、カフェ・フロールの近所ということですね。

そういうところに、今も影響が残っています・・。



さて。



15才のとき「支配されたくない」と思ったのは本当ですが、

もう一方で思ったことは、「世の中が言ってること、マスコミが言ってることは、なにかが

おかしい」ということでした。

「なにかがおかしい」と思ったものの、高校時代は、結局、何がおかしいのか、結論が出ませんでした(笑)。


ニーチェの善悪の彼岸じゃないですけど・・善も悪も相対化して、

「欲望を満たせばいいのだ」みたいな人生観で、デュオニソス的でございました(笑)。


実は、授業をサボって、友達とつるんで、遊んでばかりいました。



高校を卒業後、「15世紀以降の欧米の思想と学問は、資本家に都合がいいものが

主流になっている」というアイディアに目覚めました。


「現実の世界では、思想も学問も、真理の追求のために存在しているのではない。

特に、マスコミで持ち上げられるような思想や学問は、欧米の資本家に都合のいいものだけが

持ち上げられている」・・・と思いました。



実は、サルトルとボーヴォワール方式でやっていて、不自由になったことがいくつかあったんですね。

サルトル&ボーヴォワール式でやると、常に人間を「支配者側」と「支配される側」に

分けなくてはならなくなるんです。


で、サルトル流の「常識から見ると詭弁??とも言えるやり方」・・しかし・・・善悪・正義不正義は

相対的なものであるという考えは今でもありますので、その意味からは、OKなのですが・・・

そんなサルトル流のやり方で、どんな場合にも、自分を「支配者側」にしておく方法はわかりました。


でも・・それだけでは、だんだん、むなしくなったんですね。


人と、仲良くしたいじゃないですか。

「善い人だ」なんて思われたいじゃないですか。

善悪はないと思ったけど、本当かしら?と疑問が湧きます。

それから、マザーテレサを格好いいと思い始めました。

「マザーテレサは格好いい」と思う気持ちの中に、善悪の感覚は確かにあるのではないかと思いました。



・・・で、サルトル&ボーヴォワールの後は、もう、

「15世紀以降の欧米の哲学」は疑いの目で見ることになりました。

「ゼンブ疑ってみて、その中から気に入ったものは拾い出す」という方式になりました。


で、マザーテレサの連想から、シモーヌ・ヴェイユに惹かれた時期もあったけど・・。


ここから、瞑想とか、座禅の神秘に興味が湧くんですね。

キリスト教の神秘の部分も面白くなりました。

ニューエイジ思想については、最初に、「悪魔教系」に批判的に目が行ってしまい、

長い間避けていました・・。

おととしの夏からは、「セス」や「バシャール」など、ニューエイジ系・・というよりも

チャネリング系には好意的になりましたけれども・・かつては、ずっと避けていました・・。



サルトル&ボーヴォワールの「自己」と「他者」、「支配者」「被支配者」を必ず分ける

二元論というか、分離主義というか・・・そのあたりに嫌気がさすとともに、

「現代思想って、資本家の御用聞きみたいなものなのでは?」という疑問をその後、持ち続ける

ことになります。







こんなこと考え始めた高校時代・・・デュオニソス的イメージでもあり、

かなりイカれて見えていたと思いますが・・・一方、実は、けっこう男性恐怖症でした(笑)。

男性とつきあったら、絶対に愛されねばならないと思いつめていたからでしょう。

しかし、わりと色っぽく、奔放に見えたせいか、高校の担任男性教師には、いつも、

「オマエは、彼氏いるだろう」と言われてましたね^^


この男性教師が数年前に告白したところによると、彼がある放課後、クラブの部室で

セックスしている男子&女子生徒を見つけた時、最初に思い浮かんだのは

私がセックスしてるんじゃないかということだったらしいです・・・・・爆笑なんですけど。

ええ、ええ、確かに私はいつも大勢の男子たちと一緒に部室にいましたよ。

それを担任は、「しているに違いない」と思ってたらしいです・・笑。

人間の妄想って面白いです。

哲学ばかりして、授業をサボっていたために、かなり誤解されたもようでした。


高校時代の私を知る人にとっては、私は単にノリやすくて、クレージーで、イカれた人間と見えていた
と思いますが(笑)、

「現代社会に対する疑問」とか、けっこうマジメなことも考えていたわけでありました・・・。
15才のころ。とにかく、支配されているのがイヤでした。



私はいわゆる典型的長女の育てられかたをされていました。

「完璧でありなさい」

「人に誉められる立場であるべきだ」

・・みたいな育てられ方ですね。


家ではずっと演技をしていて・・。


一方、外の世界では、それなりに冒険的でもありました。


いくつかの異なったキャラクターを使い分けていました。

・・・多重人格というほどでもないですが。

異なったキャラクターを使い分けるのは誰でも、ある程度、やっていることでしょう?



15才の時、大学受験前に、「教えられた常識」は一度徹底的にぶっこわそう、と思いました。

当時、疑っていたのは、家庭で教えられたことばかりではありませんでした。

マスコミが言ってることや、いろんな権威が言ってることもおかしいと思いました。

「なにかが、決定的におかしい」と確信しつつ、それが何かわからない状態・・。



「支配されたくない」気持ちと、

「反権威」指向・・。

知的でありたい気持ちもあり・・。


フランスの哲学者の、サルトルとボーヴォワールに惹かれました。


サルトルはいろんな権威を脱・構築していました。


ボーヴォワールは、代表作の「第二の性」によって、女性が支配されてきた仕組みを提示しました。


15才から17才にかけて・・・これから恋愛するであろう年齢の女子として、「女」であることで、

男性から支配されたり、社会から支配されたりすることは絶対に避けたかったのです。

いかに、「女」であることによって支配されない道を歩むことができるか。

ボーヴォワールはほとんど、恋愛指南書として読んでいたかもしれません(笑)。


それも、「彼氏に愛される方法」なんてゆう可愛いものではなく(笑)。

「彼氏から支配されない方法」を学んだことになります(あ゛〜)。


でも・・恋愛指南書としては、ベストチョイスの一つだったと、今でも思いますけど^^



家庭で感情を解放しにくかったAC的高校生が、男性に依存状態になったり、

あるいは、いわゆる「ワルイ男」にだまされたり、利用されたりするようになって、

荒れた感情をもつようになる可能性は、多いにあったわけです。

危険なことに、その当時は(その当時はね・・)、わりと色っぽくみられるタイプでしたし。

家庭の経済も当時は貧困のほうに向かっていて、いわゆる「転落」する可能性すら、

けっこうあったわけなんです。



サルトルとボーヴォワールに叩き込まれたことは、

自分を徹底的に「主体」として存在させることと、自分が「客体」として存在させられることを

拒否すること。

それはまさに、私が家庭内で言いたくてもうまく言えないことでもあったのでした。


「女性」として何があってもプライドを維持すること(これは、選択権を行使するというような意味)と

どこにいても「主体」であるようにということを教えてくれた


サルトルとボーヴォワールは、私には、「自我」を確立させてくれた恩人ですね。



その後、「愛」に目覚めたり(笑)

「善悪」について考えるようになったり(笑)

「自分が見ている他人というのは、自分の反映なのだ」ということなども考えるようになってきて、

「分離」から「和合」方向に指向性が変わるわけなんですが・・・。



愛をもって他人と和合しようなんていう指向は、自我の確立が終わってないと

起らないでしょう。



自我の確立を伴走してサポートしてくれたという意味で、サルトルとボーヴォワールは、

私にとっては、兄と姉みたいなもの????かもしれません・・・。





ところで。

「家では演技を強いられた」ように感じていたこと、

家庭内で自分自身を出せと促されなかったことは、以前は苦痛に感じていて、

このブログが始まったころは、(孤児だった)母と、(ライバル意識が強かった)妹に対して、

怒りを感じていましたが。

・・・もうその怒り、ほぼ感じてないのですよね。

このあたり、ブログの効用でしょう。



「家庭内で自分を出せなかった件」に関しては、人のせいにしなくなりました。

自分に、羞恥心だの、罪悪感だのあったから、自分で自分を追い込んでいたと思います。

たとえ2才〜4才の時期の選択だったとしても、確かに自分の選択だったと、今では思います。

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