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このブログ、もともとは、洋楽の話が多いブログでした。
特に60年代のロックに愛着しているので、
ビートルズや、ローリング・ストーンズの話などが、多かったです。
6年位前は、洋楽のCDはけっこう沢山買っていたので、
2006年〜2007年あたりは、聴いたレコードについて書いていました。
だんだん、心理学系の話が多くなり
その後、「哲学ぽい」話を書くことが多くなりました。
哲学ぽい話を書くのは楽しかったです。
皆さまが、どのように
考えているか聞くのは楽しかったです。
失礼な言い方かもしれませんが
「世の中の人が、哲学についてどう考えているのか」いろんな例を見せて
いただき、大変、大変、参考になりました。
(↑このどこが失礼なのかというと、ブログ訪問者の方、一人ひとりが個性的で
かけがえのない大切な存在なのに、上記の文章で、私はブログ訪問者を
「世の中の人」と一般化している。そこが失礼だと思いました。)
一番最初は、ポストモダンの話。
その後、
一部・・・特に仏教の話など、いろいろ教えていただけて、ありがたかった
です。
私は若いころにヨガに興味があったため、
ウパニシャッドとヒンズー教で、インド哲学については満足していました。
・・・だから、ややこしい、
いろいろ矛盾しているように見える、仏教の話は面倒だったのです。
いろいろ教えていただけて、助かりました。
だけど・・これ以上、哲学ぽい話をブログ記事にしても、おもしろくないかもと思います。
わたし自身の志向は、だいたい決まっていますし。
「大學で権威として教えるような哲学者」の話、おもしろく感じるのは
ソコソコなのです。
ギリシア哲学と、現代の量子論的形而上学は、私にはおもしろいです。
量子論的形而上学と類似した部分の、仏教もおもしろいです。
だけど・・それ以外のところは、「おもしろさも、ソコソコ」という感じです。
むしろ・・・これから時代が変わって、とんでもない方向に行くかもしれない??21世紀の、これからの哲学に興味があります。。
しかし、「とんでもない方向」については、けっこうchoosyなんですよね、私。
スピリチュアルと呼ばれるもののうち、いろんなものが気に入らないの。
私は、「スピリチュアル志向」と言えます。
つまり、三次元を超える領域と、量子論的世界観を好む人間です。
20世紀に生まれた量子論、物理学では認められましたが、
大学の哲学分野からはじかれてしまいました。
「大学からはじかれた知識」は玉石混淆で「スピリチュアル」と呼ばれます。
そういう意味では、スピリチュアル好きなんですけど・・・。
そのうち、「スピリチュアル、好き嫌い多し」という記事を書くかもしれません。
実は、「あまり好きくない」スピリチュアルは、たまる一方(笑)。
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My哲学
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omoriさんに対して「被害者意識と攻撃性、被害者意識と
神、善人、凡人、悪人の関係」の話をしようとしたら、
だんだん、私の中に、数学の統計か、関数に近いものがイメージとして、浮かんできました(笑)。
omoriさんは、高校の数学のプロフェッサーでいらっしゃるので。
だんだん、「被害者意識と攻撃性」「神意識と被害者意識」「被害者意識が悪人をつくる」話が
自分の中で、統計的分布図(笑)に見えてきてしまったのです。
ちなみに、ドイツでは、高校の先生をプロフェッサーと呼びます。
これは・・マルレーネ・ディートリッヒの出世作、「嘆きの天使」(原題・ブルーエンジェル)を
観ればわかることです。
ディートリッヒは、ハリウッドに行ってからは英語ですが、この映画ではドイツ語を話しています。
「嘆きの天使」はドイツのギムナジウムの数学の先生と、
マルレーネ・ディートリッヒ演じる歌手/踊り子との恋の話です。
****本題にはいります。
善人と悪人の差を、ある種の関数と考え、モデル化してみたいと思います。
結論を先にいうと、「被害者意識」に対してある係数をかけた
関数が、「善人」であり「悪人」です。
***
今のところ、ザックリした話です。
近いいうちに、論理的な間違いを減らすべく(笑)、つめていきたいと思います。
まだ、論理の抜け穴があると思われます。
みなさま、まず、至高愛として「神」的精神の位置を、指標(特性値)として仮定してください。
イメージとしては、宇宙で一番愛に満ちた精神で、すべてのものを愛しています。
対極として、「悪人」の指標(特性値)を仮定してみてください。
さらに『神』と『悪人』の間の『神』側に『善人』、
『善人』と『悪人』の間に『凡人』の指標(特性値)を仮定します。 さて。再び、いきなり結論ですが。
『神』『善人』『凡人』『悪人』の指標をどこにとるかは、
結局、「データをとる人」にとって大切な人(自分を含む)が守られているかどうかを判断するもの
=『被害者意識』が決定するのですね。
「被害者意識」がこの表・・「神」から「悪人」までを分ける表の、全ての基準です。
分布表の横軸は、『被害者意識』で、縦軸が【善人度(神様度)】
ひょっとして、この表は3Dですが、
この表が、最終的に、ユークリッド幾何学の範囲におさまるかどうかは、わかりません(笑)。
*****
「大切な人が守られているか」の判断に使われるのが「自分の被害者意識」でありますが、
「自分の被害者意識=自分が立っているポイント」なので、
「自分の被害者意識」は「仮想ゼロ」として観察されます。
*****
「仮想ゼロ」とは本当のゼロではないということです。
この表において、「被害者意識=ゼロ」の位置からすべての分布を観るとき、
実は、「すべて神」に見えるわけなんです。
世の中の全ての人は「被害者意識=ゼロ」の状態で観察するとき、「すべて神」です。
これが、人生に秘められた最大の関数です。
「被害者意識」の値が大きければ大きいほど、他人は悪人に見えます。
自分の攻撃性は増します。
別の言い方をすると、人間は、この分布図において、自分の被害者意識の真上に立っているのです。
つまり、常に、「自分の被害者意識=仮想ゼロ」です。
*****
ですが、それは、あくまでも仮想。
本当に被害者意識ゼロになると、すべての人は神に見えます。
もしも私やあなたからみて、誰かが悪人に見えるとしたら、それは、私やあなたの被害者意識がゼロではない証明になります。
被害者意識が大きければ大きいほど、他人は悪人に見え、自分の攻撃性は増すのですね。
「大切な人」を攻撃しているように見える人を「悪人」
「大切な人」を守っているように見える人を「善人」 ・・・おそらくすべての人は、このように分類していると思います。 その判断は被害者意識によってなされます。 攻撃かどうか判断するものも「被害者意識」です。
「神」「善人」「凡人」「悪人」の区別は、常に、
「自分の被害者意識の位置=仮想ゼロポイント」から観測されたものです。 そして・・・かりに客観的に「神」「善人」「凡人」「悪人」の特性差があるとして
差をつくるものは
「被害者意識の客観的量」だけではないかと、わたしはマジメに考えていますが、
さらにこの分布図をじっくり見ていえることは
すべての被害者意識は仮のものであり、
被害者意識からの相対性によって生じる善人・凡人・悪人の差は、本当は、ない。
つまりは、すべては、神である。
ということなのですが。
仏教はきっと、賛成してくれるでしょう。
まぁ・・悪人が真に存在しているかどうかははともかく、
日常的レベル、社会生活で「迷惑なこと」や「困ること」は減らす必要がありますね。
迷惑なことがあると、「あいつは悪人だ!」と責めたくなります。
ですが・・特定の人間の存在そのものを攻撃するのは、被害者意識が「ある関数」によって
攻撃性に転化しているだけなので、
・・・無駄なのです。
つまり、「同じ被害者意識」を共有している人にとってはその人は「悪人」ですが、
「違う被害者意識」の共有集団があるとすれば、違う人が『悪人』だからです。
「悪人」とは被害者意識がある関数によって攻撃性に転化している事を示すだけで、
被害者意識はすべて仮想だとすると、悪人は、すべて仮想に過ぎず、
悪人を責めることは、行為として「ムダ」です。
****
迷惑行為をやめてもらうためには、迷惑行為のポイントをできるだけ抽象化して、
自分にも他人にも公平に適用できる「原則」(principle)という形で、
原則の適用を推進していくしかないと思います。
*****
不愉快な目に遭うと、不快な気持ちが残り
「あいつは悪人だ」と思います。
私もあなたも、たいていの人は、不愉快なことをされると、
相手の姿を「悪人」として胸に刻むことになります。
わたしなんか、客観的にも凡人なので、不愉快な目に遭ったり、攻撃されたりすると
かなりムカムカして、相手のことが嫌いになり、嫌悪の対象になり、
その人のことが、そーとー「悪人」に見えてきます。
不愉快さの程度にもよりますが、不愉快であればあるほど「悪人」に見えます。
*****
愛の場面においても、相手が悪人に見えることがあります。
親子、兄弟姉妹、夫婦、友人、恋人どうし、お互いに愛し合っているのに、
相手のことを理解しない一項目があって、その部分で
徹底的な不愉快さを与えてしまうことがあります。
身近で影響力があるだけに、相手はものすごい悪人に見えてしまいます。
ですが・・・要するに、「相手の被害者意識を理解していない」という、これだけなんですね。
「誰かを理解している」とは、「その人の被害者意識を理解している」ということであり
「誰かを理解していない」とは、「その人の被害者意識を理解していない」ということです。
*****
「あいつは悪人だー悪人だー」と思い続けることは、被害者意識の再生産。
被害者意識が消えない限り、どっちみち悪人に見えるのですね。
*****
迷惑行為対策。
すべての人、もしくは大多数の人にとって、納得できる純化された「原則」を
つくり、それを適用していくのがいいと思います。
*****
すべての人間は、自分の被害者意識の上に立っているので
「(他人のもっている)自分と似た被害者意識
=仮想ゼロの近似値」でもあります。 *****
この分布図において自分に被害者意識があることを認めた人は、神に近づきます。
なぜならば、仮想ゼロという幻想を保持して済ませているものにプラスの値をあたえる事で、
「本当のゼロに近づこう」という意思が生まれるからです。
被害者意識を客観視したときに、それは常に「至高善と比較すると劣ったもの」と認識されます。
つまり、被害者意識は、客観化されたとき、消えるのです。
被害者意識は、客観視すると、常に「劣ったもの」と認識されます。
ゆえに私たちは、自分には被害者意識があるとは思いたくない。
思いたくないので、被害者意識は「仮想ゼロ」に設定されているのが普通ですが、
それが「仮想」であったことを認め、
被害者意識が確かに存在していたことを認めれば、
被害者意識は消えるのです。
*****
私たちは・・被害者意識によって成り立っています。
被害者意識をもつために、「地球の人間」というフォームを選んで生まれてきている、
と言っていいくらいです。
*****
わたしたちは、「善人ぶりたい」という気持ちがありますし、「善人ぶる」という見栄行為をするので
被害者意識がないフリもするのですが、
たいていは、無駄ですね。
どこかで攻撃性が出てくるとすれば、それは、被害者意識が内在しているのです。
*****
被害者意識は、悪いものではないです。
肉体をもっている以上、すべての人は、肉体を傷つけられること、あるいは殺されることに
被害者意識をもちます。
感情をもっている以上、すべての人は、自分の感情を尊重してくれるように、他人に
願っているものです。
*****
悪人をつくりだしているのは、私たちの「被害者意識」であり、神に一歩近づくことは、「被害者意識を手放す」ことによって起こってくると思います。
*****
人間は、必ず、自分を「普通程度の善人」と仮定しています。
私が「攻撃をやめてほしい」と思っている「あの人」も
あなたが、「攻撃的で困る」と思っている「あの人たち」も、
本人が観察している位置からは、「がんばっている善人」くらいに見えていると思います。
そしてなぜか他人があの人たちを、攻撃しているように見えているはずです。
「自分の被害者意識の位置=ゼロポイント」に立っているので、必ず、自分と違う種類の被害者意識のことを
違えば違うほど「巨大な被害者意識=巨大な攻撃性」と見るからです。
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アインシュタインが提唱した
相対性原理の説明、初めの一歩。
「時間が実数だとすれば、空間は、虚数」
「時間が虚数だとすれば、空間は、実数」です。
さて、皆さま・・・。これはフィジックスですが、
メタフィジックスにも還元できますよね??
(^^;;
そして、さらに・・・量子論のミクロ世界になると、
そもそも「時間が存在しない」ことが認められるのです。
時間だけではなく、質量も、因果関係もないのですが。
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学問的理論
科学理論
哲学
あるいは一般的意見
私はすべての言説を、以下の二つに、分類しています。
(1)一般民衆に、
「あなたは無力だ」と信じさせる言説。
(2)一般民衆に、
「あなたには真実の力がある」と信じさせる言説。
(1)を無力論、(2)を有力論と呼んでいます。
(私の用語です・・^^)
1つ前の記事で、「科学と呼ばれるもの」は三種類あると書きました。
「誠実にエビデンスを立てているもの」
「いい加減なエビデンスなのに科学と呼ばれているもの」
「一流の科学者が科学と認めているのに、なぜか主流にならないもの」
さて。
私が見る限り。
「いい加減なエビデンスなのに科学と呼ばれているもの」
は・・ほぼ100%近く
無力論なんです!!
一方、
「一流の科学者が、科学と認めているのに、
なぜか常識にならないし、
科学者が研究してはならないことになっているもの」は
ほぼ100%
有力論なんです!!!
皆さま、このことの意味が、おわかりになりますか?
自らを支配者と自認する人びとが、
権威の装いをほどこしながら、
世の中に、「無力論」をバラまいているわけです。
先日出た、マスコミを巻き込んだ
「ヒッグス粒子の発見」という悪質なデマは、
「無力論」の最たるものでしょう。
量子論と、その実験的証明により
ミクロの宇宙には、時間も、質量も、因果関係も、ないことが証明されています。
それはつまり・・・おそらく・・・
一人ひとりの人間が、「時間と、質量と、因果関係」を
与えていることになる・・・・つまり、私たち一人ひとりが、
創造主であることが・・物理学の力によって明らかにされつつあるわけです。
「支配者を自認する人びと」にとっては、それは許せないことだったのね。
だから、なんとしても、「オマエたち、民衆には、チカラはない。
この世にヒッグス粒子という粒子があって、それが勝手に
重力を創りだすのだ。」と言いたかったのでしょう。
かつて、ニュートン力学は、支配者たちが民衆を支配するために
おおいに役立ったのです。
ニュートン力学は、「重力には逆らえない」という暗黙の原則を示し
諦念を起こさせる存在だったからです。
民衆を無力化し、依存的にするために、大いに役立ったのです。
ニュートンは支配/被支配の構造を創りだすためにニュートン力学を
考えたわけではないでしょう(多分)。
だけど・・それでも、支配者の役に立ったわけです。
ダーウィニズムの進化論も、支配者たちのために、
大いに役に立ちました。
「弱肉強食」とか「自然淘汰」などの概念を
「自然が与えたもの」あるいは「神が与えたもの」と
民衆に錯覚させるために、おおいに役に立ったのです。
現在でも、インテリと呼ばれる人びとを中心に、
「弱肉強食」や「自然淘汰」の原則を信じる人は
たくさんいるようです。
つまり・・・「お前たちは、支配されている」というイメージを与えるために
「ヒッグス粒子」というデマはどうしても必要だったのだと思います。
池上彰のテレビ番組にだまされてはいけません!!
ヒッグス粒子は・・証明されていません。
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科学というレッテルが貼れたら、権威を持てます。
情報操作を行える/行う存在が、
「科学」の名の元に、無力論を広め、
「疑似科学」の名の元に、有力論をつぶしていきます・・。
疑似科学と呼ばれるものにはいろんな種類があり、
確かに信じないほうがいいものも多いでしょうが、
でもね・・疑似科学だって、もしも「無力論」だったら、喧伝されるんですよ。
「有力論」だから、つぶされるのです。
「量子場」についてのいろんな理論は、証拠もあり、
科学的であるにも関わらず、つぶされています。
・・・それは、究極の、有力論になってしまうからです。
科学の権威だのなんだの言ったって、
支配者を自認する人びとが、マインドコントロールに
使ってるわけですよ。
そのような現実を無視した科学哲学には、
あまり意味がないような気がしています。
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私たち現代日本人は
・・表面的に「科学的であるように」と教育されているので、
何かを主張するとき、「証拠」と「理論」で固めて、
セッセと、自説を述べようとする傾向があると思います。
でも・・・ほとんどのことは、「私はこう思いたいです」とか
「私はそれを好き/嫌いです」とか、
意識的に「感情」から語ればいいのだと思います。
「正しい/間違っている」という話はややこしいけど
「好き/嫌い」なら、話が早いのです。
例えば・・少し前に書いた「幽霊は存在するか」という話ですけど。
「わたしは幽霊、感じる/見えるんですよ」という人は、
いくら科学教育受けても、感じるもんは感じるし
見えるもんは見えるわけですよ。
そこに、科学的ぽい推理を加味することはできます
「幽霊は、電磁波として存在しているのではないか。」
「わたしは電磁波の受信に優れているのではないか。」
みたいな感じですね。
「わたしはあまりにもリアルな空飛ぶ円盤、見ちゃったんですよ」という
人に、「証拠を出せ」と言っても。
写真を撮っていなかったら、証拠はないでしょう。
人間の感情は、人間の奥底にひそむ、観念が決定していきます。
ですから、感情をたどっていけば、その人それぞれの
本質と真実に、いつかは、たどりつけるはずです。
・・・観念がその人の本質だと思いますから。
勇気をもって、「自分はこう思いたい」とか
「自分はこれを好き/嫌い」と語ればいいのではないでしょうか??
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