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正統・竹内文書

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正統・竹内文書には、八咫烏のことも書いてあるという。
 
以下に書くことは、竹内家に伝わることである。
 
神武東征の時に金鵄(きんのとび)が駆けつけて
神武を助けたと記紀にあるが、
 
金鵄は八咫烏であり、
八咫烏とは、すなわちアヂスキタカヒコネであるという。
 
さらに、神武とナガスネヒコが戦っているときに「ニギハヤヒ」が現れたことになっているが、
この場合のニギハヤヒは「世襲名」であるという。
最初のニギハヤヒとは、別人であるという。
 
竹内家当主によると、「古事記」と「日本書紀」がアウトなのは、
まず年代がアウト。600年ずれているという。
 
神武東征は西暦50年ころなのに、紀元前660年を
神武建国の年にしてしまっている。(あれ?だとすると、710年のズレですよね・・。)
 
さらに「古事記」「日本書紀」は、とりあえず世襲名という発想をしないと、解釈できないという。
 
例えば今の天皇陛下も、神武天皇も、同一人物というような見方である。
 
オオクニヌシも、ニギハヤヒも、ヒコホホデミも、
コトシロヌシも、記紀においては、すべて世襲名。
 
ホホデミとコトシロヌシは、8代続いているという。
 
コトシロヌシは、八重コトシロヌシとも書かれている。
これは8代続いたことを表すという。
 
神武天皇は、
カンヤマトイワレヒコホホデミノミコト
神日本磐余彦火火出見尊
 
ヒコホホデミという名前がついていた。
 
 
つまり、日向のヒコホホデミの王朝も、出雲の事代主の王朝も、
8代くらい続いていたけど、古事記と日本書紀では
8代を1代に、はしょっている。
 
以上、竹内家当主の説明より。
 
***
 
ところで私は彦火火出見という名前が気になっています。
 
「ヒコホホデミは、火が出るところを見ている人という意味だろうか」と
思うわけです。
 
なんの火だろう?
 
例えば、火山の溶岩ということはありえないのか、とか。
 
本当に、何の火なのでしょう。
 
知ってる方、教えてください。
 
 
 
 
 
 
 
正統・竹内家当主が言うことが面白いので、
連続して記事にしようと思いますが、
 
わたしがそのまま信じてる・・というわけでもないのです。
 
ただ・・現在、古事記/日本書紀が本当のことを隠してると思っている
人が多いわけですし
竹内家のような勢力のある有名な家で、
一子相伝の口伝の伝承がされているとするならば、
そこに興味深い情報があるのは当然だと思うのです。
 
ちなみに・・竹内家当主は、あくまでも伝承者として選ばれただけで
 
本人もどうしても信じられない内容もあるようです(笑)。
 
この記事は、「アマテラスとはどんな存在だったか」ということと
「日本書紀を書いた人物」についての伝承について書きます。
 
*****以下、竹内家当主によると。竹内家の伝承では。
 
まずアマテラスは、ニギハヤヒのこと。
 
アマテラスは、正式には「旧事本紀」(くじほんぎ)にも出ている名前
 
アマテラス・クニテラス・ヒコアメノホアカリ・クシタマ・ニギハヤヒノミコト
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊
 
という名前で、それはつまりニギハヤヒのことであり、男性であったという。
 
ちなみにこの名前、アマテラスは大和族の神、クニテラスは出雲族側の神、アメノホアカリは、ユダヤの神であるという。
 
***
 
オオクニヌシの軍勢がナガスネヒコの軍勢に圧倒されて、絶対絶命の時に「大年神」(オオトシノカミ)が来た。
大年神とは、ニギハヤヒのことである。
 
そして、ニギハヤヒは、スサノオの四男である。
 
その時点でナガスネヒコは弩(ど)という石弓をつかっていた。
 
オオクニヌシの出雲族は、弩によって、ぼろ負けしそうになっていたが、
ニギハヤヒが来て、形勢逆転。
もっとも・・オオクニヌシとニギハヤヒの仲は良くなかったという。
 
その時、闘いがあったのは、現在、大阪にある磐船神社。
 
ニギハヤヒの天孫降臨の伝承が残る神社であるが、
要するにオオクニヌシとナガスネヒコの戦いの時、駆け付けたのが
ニギハヤヒだったということである。
 
ニギハヤヒは、スサノオの四男であったので
 
オオクニヌシの部下は、スサノオの王子が来たというので
「大年さまじゃ〜〜」となったという。
 
ニギハヤヒの力は圧倒的で、ナガスネヒコは、その後すぐに
降伏したという。
 
ちなみに、その時のオオクニヌシは、ナムジ、またはオオナムジであった。
 
ちなみに・・よくいわれる天磐船(アマノイワフネ)は、ニギハヤヒの軍艦のことであるという。
 
 
琵琶湖まで敗走したオオクニヌシが、最悪絶体絶命のとき、
ホアカリが来たという言い方もされるが、
これも、この時のニギハヤヒのことである。
なぜホアカリか。
最高に煌々とした明かりをつけて・・・クリスマスツリーのような
派手な明かりをつけて、来たからである。
天火明(アメノホアカリ)という。
 
天孫降臨と表現され、天火明と表現される、ニギハヤヒの登場は、
映画「未知との遭遇」に出てくる巨大な宇宙船のように
かっこよく来たということが推測でき、
ニギハヤヒは、宇宙人であったことも推測できるという。
 
 
この話は、記紀において、「出雲の国づくり」のエピソードとして出てくる。
『御諸山(みもろやま。三輪山のこと。)』の神が海上を照らしながらやってきたという話のところである。
 
「ニギハヤヒ = 大年 = アメノホアカリ」ということがポイント。
 
 
「日本書紀」でもナガスネヒコが天孫降臨したニギハヤヒに従った・・という話が書いてある。 
 
 
****
 
ニギハヤヒはスサノオの四男ということであるが、
 
スサノオの二男は、気の国(紀国)の大屋彦、すなわち
五十猛命(イソタケルノミコト、あるいはイタケルノミコト)であり、
 
植物の知識をもっており、全国を回り、全国に植物を植えた。
 
 
 
スサノオは出雲族に属するのであるが、
 
治金に優れた出雲族の一人として、スサノオの二男、五十猛は、鉱物も探したが、本人は植物のほうが好きだったという。
 
****以下、秋山真人の解説
 
出雲族は、高度な冶金の技術をもっていた。
 
冶金の技術の中では、ある特定の鉱脈か土質でなければ
定着しない樹木がある。
 
つまり、草木を見ると、鉱脈がわかる。
 
だから、冶金に優れたいた人たちは、必ず優れた植物の知識があった。
 
そこから薬草の知識も出てくる。
 
****以下、再び竹内家当主の言葉
 
さらに、情報。
 
第二十三世・武内宿禰、すなわち平群子首(へぐりのこびと)が、実は日本書紀をつくっている。
 
「古事記」と「日本書紀」は編纂当時の天皇がそれぞれ推古と持統で、
女性だったため、アマテラスを女性と書くことにしたという。
 
***
 
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊
 
のうち、「櫛玉」は櫛名田姫の櫛、
そして「櫛」とは「越」のことだったという。
 
櫛名田姫は、越の国の姫である。
(今でいう石川県と、富山県のあたり。)
 
 
関連事項として、ヤマタノオロチの本名は
高志(越)八又龍命(コシヤマタノオロチノミコト)。
 
 
櫛玉の「玉」は海神族の王家、もしくは神器を示す。
 
「櫛玉の玉とは、海神族(ワタツミゾク)というか
大綿津見(オオワタツミ)すなわちポセイドンの王家もしくは神器を示す」
 
そのポセイドンから山幸彦(ヤマサチヒコ)は玉をもらうし、
ポセイドンは娘の豊玉姫をめとることになった。
 
****
 
ちなみに、記紀においては、男性のアマテラスが女性として描かれたが、
 
古代日本および世界の古代において、女神信仰が基本になっていたところが多く、女神信仰は意図的に置き換えられ、男神とされたところが多いという。
 
****
 
 
以上、正統竹内家・当主の方の本から、引用ですが、
以下は、感想です。
 
 
アマテラス・クニテラス・ヒコアメノホアカリ・クシタマ・ニギハヤヒ・ノミコト
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊
 
という名前の
天照・国照・彦天火明という部分が、派手な軍艦、もしくは巨大宇宙船を思わせるとしたら、ニギハヤヒだけではなく、父親だというスサノオも、宇宙人ということになってしまいます^^
 
どうでしょうか、みなさま。そんな話は信じない人が多いでしょうね。
 
「天孫降臨」という言葉がある以上、まじめな研究者としては、
空から降りてきた可能性が否定できないということなのでしょう。
 
この記事を読んでいる方の半分くらいは・・宇宙人の存在を
信じていないのかな?と思いますが・・・。
 
アマテラスがニギハヤヒであり、クシタマニギハヤヒと呼ばれたと
すれば、アマテラスは石川県・・様々な人が語る伊勢-白山ラインに
ある「羽」のつく地名と関係があるかもしれないと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
正統・竹内家当主と、秋山真人と、布施泰和さんの話はおもしろいです。
 
以下に、三人が対談した家紋の話を挙げておきますが、
この話のポイントは、
古代日本人の成り立ちについての、画期的な意見ということです。
 
つまり、古代の日本は、大和族、出雲族、秦氏が、和合・融合してできあがった
という意見であることです。
 
奈良にある三輪山・大和三山は、3部族の和合・融合の象徴とのことで、
 
そうなると、大和朝廷の大王の子孫とされる天皇家もまた、三部族の血が脈々と流れているという可能性が高くなります。
 
 
***以下、三つ葉紋と、古代日本の民族について、
正統・竹内家に伝わる言い伝えと、
竹内家当主、および秋山真人さんの共通の見解をしるします。
 
***
 
竹内家当主は、名刺に三つ葉紋を使っている。
(正統・竹内家では「四つ割菊に葉付き菊」を使っているが、
なぜ、三つ葉紋も使うのかは、この記事の最後に記します。)
 
重要なポイントは、
三つ葉紋は、「大和と出雲と秦を表す」。
 
つまり、竹内家の三つ葉紋は、大和族、出雲族、ユダヤの血統を表す。(佐伯好郎の学説と同じく、竹内家の言い伝えでも、秦はユダヤとのこと。)
 
次のポイントは
「大和三山や三輪山は、古代日本を形成した三民族、
すなわち大和族、出雲族、ユダヤの和合の象徴」。
 
竹内家当主が中心となる古神道において、
そこ、すなわち山の辺の道を歩くことが、
「大和神行」(やまとしんぎょう)であるという。
 
 
以下、関連事項として・・。「三つ葉」と関連したことが、対談で語られています。
 
徳川家康は、出自を隠すために、
下鴨神社から神紋をもらった。
それが三つ葉葵。
家康の本名は、世良田二郎三郎元信。
(せらだじろうさぶろうもとのぶ)
 
大本教教組の出口王仁三郎は、
霊界に行った話をよくしていたが、
最初に霊界で向こうの神様から「三つ葉殿」と呼ばれる。
 
王仁三郎によると「竹内巨麿の著した茨城の竹内文書は、
私が神様から聞いたのとは違っている」という。
 
霊能者の八島義郎(1914〜2010)が最初に霊的経験をしたとき、
菊の三つ葉紋を見たという。
 
(以上、正統竹内文書の日本史より引用)
 
***最後に、三つ葉紋を使う理由を、竹内家当主の言葉から、
抜き書きしておきます。
 
正統竹内家(歴代・武内宿禰)の家紋である
「四つ割菊に葉付き」も私はもっています。
 
しかし私は南朝小倉宮家でもありますから、
名刺には小倉宮の「三追菊に十六弁菊花紋」を使用しています。
なぜならそれが後南朝の摂政宮という証だからです。
 
 紋章学で重要なことは、表紋と裏紋、そして替紋、女紋があることです。たとえば私が天皇陛下に会うときは「四つ割菊に葉付き菊」はつけません。わたしは普段その紋章の狩衣を着ますが、そのときは着ません。「五七桐」にします。
従三位以上の公卿は、祭事の時大礼服(装束、桐の紋章)を着ますので。
 普通の竹内家の紋は公家が「笹竜胆(ささりんどう)」で、武家は
「剣片喰(けんかたばみ)」です。ですから、現在でも、公家・子爵家の
竹内家の紋章は「笹竜胆」です。
 
 私は公家・武家・神主の歴史を持った家ですから、「笹竜胆」「剣片喰」は替紋です。
プラス正統竹内家(武内宿禰家)の「四つ割菊に葉付き菊」と、南朝小倉宮家「三追菊に十六弁菊花紋」を持っています。
 
つまり、私は5種類の紋章を使い分けているのです。複雑でしょう(笑)。
でも、江戸時代ではふつうですよ。相手の藩主と同じ紋であったら、別の替紋をつけますから。
 
 また、竹内家は十手を持つとき必ず紫の房をつけます。
これは後水尾天皇と霊元天皇も勅令で「竹内流」にのみ、認めました。ですから、江戸町奉行が持つ十手は普通赤い房ですが、竹内流は勅許があるので与力同心でも紫の房をつけます。
 
以上、「正統竹内文書の日本史」より引用しました。
 
 
 
 
 
 

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