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語句解説の疑問点
海幸彦・山幸彦の物語
P130-131
コマ犬の起源
山幸彦は、この(見つかった)鈎をスミヨシの神の孫シガノ神を使者として兄海幸彦に返させます。シガノ神はワニ船に乗って出かけ、大津シノ宮(今の大津市四宮の式外天孫神社)で、ヤマクヒノ神(大津市式内日吉神社の祭神)を招き、二人して海幸彦の鵜川の宮(今の滋賀県高島郡鵜川の式外白鬚神社)に上がりました。そしてヤマクヒノ神が、
「これは昔、わが君が貴方様からお借りして海中に失くした釣り針でございます。私がお預かりしてお持ち致しました」
 とうやいやしく問題の鈎を海幸彦に奉りました。
 すると、海幸彦はそれを手にとって調べていましたが、ややあって、
 「これは確かに私のは鈎だ」
といいながら、サッサと立ち去ろうとしました。そこでヤマクヒノ神は袖をグイと押さえ、「マチジ」といいました。
 マチジとは、貧しい針でお粗末な釣針という意味かとおもわれます。すなわち、こんなにまで意固地になって、返せ返せとせがむほどの上等な釣針ではなく、お粗末な品物ではないかという心が、ついついでてしまったのでした。

→ 「マチジとは、貧しい針でお粗末な釣針という意味」?
  「マチジ」と言う言葉を発したときには「返せ返せとせがむほどの上等な釣針ではなく、お粗末な品物」という思いはあったとおもいますが、「マチジ」の意味が「貧しい針でお粗末な釣針」でいいのかな?素人の考えでいえば「待たんか!このよろう!」ぐらいの意味ではないだろうか。
マチジ → マチなさい
ジ → マチの強調語
あくまでも素人の考えなので別の解釈がありましたら教えを乞いたいと思います。

P132
 今日、日本中どこの神社にあるコマ犬は、この時兄の海幸彦が駒になって従おうと言ったことから始まったものと思われます。それも駒というところからすれば、はじめは馬であったのが、いつの間にか犬にされてしまったことも分ります。またこのコマ犬が一般的に大陸から渡来した高麗犬が起源だといわれるのも、後世のこじつけであることも、はっきりするというものです。

→ 「兄の海幸彦が駒になって従おうと言ったことから始まったものと思われます。それも駒というところからすれば、はじめは馬であったのが、いつの間にか犬にされてしまった」?_
→ 「はじめは馬であったのが、いつの間にか犬にされてしまった」のだろうか?
私見
コマ → 確かに本来、駒すなわち馬の意味ではありますが、この当時すでに「馬」という意味合いの他に「手駒」とかいうように、主人の為に働く使者・使用人・兵卒のような意味合いをもった言葉として存在していたがのではないだろうか。
将棋などで使う「コマ」の意味合いがあったのではないだろうか?

→ 「コマ犬が一般的に大陸から渡来した高麗犬が起源だといわれるのも、後世のこじつけ」はこの通りだと思います。
私見 
  コマ → 主人の為に手駒となって働く。
  犬  → 犬は主人に忠実に従順に従う象徴的な動物
  コマ犬→ 主人に従順に従い、手駒となって働く犬

困った顔

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一体私をどうしょうというのさ!

美人じゃないとか、偽者だとか

いいかげんにしてよね!

ネフェルティティの胸像、実は「ニセモノ」だった スイス人美術史家
2009年05月06日 10:28 発信地:パリ/フランス

関連情報ネフェルティティの胸像
クリッピングする拡大写真を見る写真をブログに利用するドイル・ベルリン(Berlin)の国立博物館に展示されているネフェルティティの胸像(2005年8月12日撮影)。(c)AFP/OLIVER LANG

【5月6日 AFP】ドイル・ベルリン(Berlin)の旧博物館(Altes Museum)にある3400年前のものとされるネフェルティティ(Nefertiti)王妃の胸像が、実は古代エジプト人たちが使用していた顔料の発色を調べる目的で1912年頃に制作された「複製品」だった――スイスの著名な美術史家、アンリ・スティルラン(Henri Stierlin)氏が、最近出版した自著のなかでこのような説を展開している。

 エジプト、中東、古代イスラム世界に関する多数の著書があるスティルラン氏によると、くだんの胸像は、ナイル(Nile)川河畔での発掘に携わっていたドイツの考古学者ルートウィヒ・ボルハルト(Ludwig Borchardt)が、王妃が所有していたネックレスを実際に身につけさせ、さらに発掘現場で見つかった古代の顔料の着色試験も兼ねて、Gerardt Marksという名の彫刻家に作らせたものだという。
 だが1912年12月6日、この胸像を目にしたドイツの皇太子に「本物」であると称賛されたボルハルトには、真実を告げる勇気がなかったのだとスティルラン氏は主張する。

 ネフェルティティの胸像を25年間研究してきた同氏は、これが複製品であるとするいくつかの根拠を挙げている。 

 まず、左眼が彫られていないこと。これは、像を本人と見なしていた古代エジプト人にとっては不敬にあたる。

 次に、肩が19世紀以降のアール・ヌーボー(Art Nouveau)風を思わせるように、垂直方向にカッティングされていること。古代エジプトの彫像は、肩が水平方向にカッティングされているという。

 さらに、発掘現場に居合わせたフランス人の考古学者らは、胸像について一切言及しておらず、発見に関する記録も残していないこと。また、極めて重要な発見にもかかわらず、ボルハルトは詳しい報告をしていないばかりか、この胸像をスポンサーの自宅に10年間も放置していたという。

 胸像に関する科学的な報告書が発表されたのは、「発見」から11年後の1923年のことだった。

 なお、この胸像が何年に制作されたかは、石の本体にしっくいが塗られているという構造のため、科学的な推定は不可能だという。 

 エジプト政府は、この胸像が1923年に初めて展示されて以来、ドイツ政府に対し、「独特なかぶりものをしている」この像の返還を求めている。ネフェルティティ王妃の胸像は、現在修復工事中で今年10月に再開予定の新博物館(Neues Museum)に移されることになっている。(c)AFP

ネフェルティティは?

困った顔

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美女でなくとも、かなりの才女であったことは窺えるのではないだろうか。

だいたい、歴史に名を残す女性は、才女、賢女、好かれた女性は、後に美女に祭り上げられるのではないだろうか。

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