|
マリンピア松島の社長(前館長)の、仙台での「いただきます」な思い出は、前回の記事で少し触れたが、実は社長とはマゼラン海峡にていわゆる遭難の憂き目に遭った生死を共にした仲でもある。 マゼラン海峡と言えばもちろん、このイロワケイルカ。 イロワケイルカ捕獲用の船を、プンタアレナスの港から捕獲基地に回すとき、途中でペンギンの島やシャチの群に会えるというチリの学者の口車に乗って、よせばいいのに(というのもカンチョ船酔いに弱いから)社長(前館長)と一緒に乗り込んでしまった。 そしたら、マゼラン海峡は大嵐で、全長10mは超える鉄船が木っ端のように翻弄されはじめたのよ。 木っ端のようにというのは、正しく木っ端のようにで、波と波の間を飛んでいたり、乗り切れない波に潜り込んでしまったり。 船酔いでたまらず吐こうと飛び込んだトイレからは、天井にまでぶち当たる水柱が出たり入ったり。(^^; 映画「パーフェクトストーム」でのハリケーンの中の漁船のシーン、中盤あたりまではマゼラン海峡で経験したのとほとんど変わらなかったくらい。([ビデオ借りて観て下さい。こういうことってホントにあるんだから。) 潮流と強風に押し戻されるから港には戻れないし、なぜだか知らないけれど、無線連絡もとれなくなった。 さらに、船長以外の船員2名は、座り込んで十字を切っているばかり。(それってどうなの?海の男よ!) マリンピア松島の社長は、波の荒い三陸の海で、何度も漁船に乗ったことがあるらしいのだけど、10センチほど海水の溜まった船室でボクにこう言った。 「日本の漁船は世界で最も転覆しにくい構造になってるんだけどね、これよりもっと穏やかなときでも、三陸の漁師が危険だから帰港すると言って帰ったよ。これはたぶんもうダメだね。中村さんは泳げる?私はね泳げないんだよ」 いや泳げるも何も、海は水温10度以下、陸地などどこにも見えないし、潮流は10ノット近くある。「そうすか、でも、なまじ泳げない方が楽ですよ」とボクは答えたのだった。 で、肉体的には目一杯船酔いに打ちのめされ、気持ち的にも目一杯打ちのめされたボクは、その後、速やかにブラックアウトして(つまり気を失ってw)一切の苦しみから心をシャットアウトしたのだ。 いやはやヒトの精神ってうまくできてるもんですわ。 さて、そんなことのあったイロワケイルカ捕獲作戦のときに捕獲され、日本に運ばれてきたイロワケイルカが、ここマリンピア松島にはまだいる。 今回は久しぶりに社長に会ったので、そのことを思い出し、それでどれがマゼラン海峡から来た個体なのか教えてもらうために飼育スタッフに付いてもらったのだ。 2頭いて、そのうちの一頭が、このイロワケイルカだった。 このイロワケは、肌荒れのひどい個体なのだけど、別に日本の水が合わなかったというわけではなくもともと荒れている。 どうやら遺伝らしくて、このイロワケが産んだ子も肌荒れ体質だ。 ところで、イロワケイルカが日本にやってきたのは、その時の捕獲の一度きりなので、今日本にいるイロワケの全てが、当時の個体の子たちか当時の個体だ。 そして、当時3館で飼育していたイロワケの繁殖にいち早く成功したのがこのマリンピア松島水族館なのである。 マリンピア松島のイロワケたちは、とりわけ人なつこくて、顔を近づけたり手を振ったりしていると、いくつもの個体がやってきてくれて、この親子もしょっちゅう顔をのぞき込みに来てくれた。 なんだかねー、「あ〜ら久しぶりじゃないの?元気にしてた?」と話しかけられている気分になったですよ。 思い起こせば、彼女に初めて会ったのはもう20年も前のことになる。 最小の鯨類イロワケイルカの寿命は20年程度とされているから、彼女はずいぶん長生きだ。 3つの水族館からそれぞれ2〜3名づつで組織していた当時の捕獲隊のメンバーで、今も現役の水族館スタッフは、たしかもういないと思う。 あのマゼラン海峡で拾った命、よっしゃオレももうちょっと頑張ってみるかー!と思ったのでした。 ところで、冒頭での嵐のマゼラン海峡、船長のすごい奮闘によって船は沈まずに、無人島の島影にたどり着き、さらに石油基地に避難し、3日後に仲間の待つ基地にたどり着いたのでした。 最短4時間で到着するはずだったので、そろそろ日本に悲しい知らせをしようと準備しているところだったw。 最初に避難した無人島で、同じく避難していた漁船からウニを大量に買って非常食代わりにした生ウニ、とてもおいしかったです。 |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2007年07月15日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]







