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日曜の朝、悲しい知らせが入った。 ジャーナリストのばばこういち氏が9日の深夜に息をひきとられたとのこと。 今夜は勝手ながら、ボクの師であり友であり、密かに親父のような存在でもあった、ばばこういちさんを偲んで、綴らせていただきたい。 ばばこういちさんは、今年で77歳になられていたはず。 ボクのことを「友人」と言ってくれる人の中では最年長なのだが、二回りも年上なのだから、友人どころか先輩でもなく、ボクから見れば「師」と呼べるお一人だった。 ばばさんがボクのことを「友人」と言い始めたのには理由がある。 初めてお会いした時のばばさんは60歳くらい。反骨のジャーナリストとして油の乗り切った頃だった。 その頃のボクは、まだ40歳前の生意気盛り。ばばさんと共同で制作することになったある番組のことで、出会ったその日に大口論を展開することになってしまった。 その時の互いの印象が悪かったせいなのか、その後もばばさん司会のトーク番組に出演するたびに、ばばさんを必ず一度はムッとさせるのが常になった。 おそらく当時のボクにとって、戦争を知っている世代のばばさんは、リベラルとファッショが同居した頑固親父と映っていた。それはつまり予科練に行きつつ日教組運動をしていたボクの父親と同じ人種ということだ。 だから、ボクとしては親父相手に好きなことを言い合ってる気分で、親父の頑固さをへし折るのが息子の仕事だと思っていた。それに子どもの言うことにいちいちムッとする大人もちゃんちゃら可笑しいぜというような気分だったのだ。 でも、自分が若いままだと信じているばばさんは、息子と激論を交わしている気分にはなれなかったのだろう。 ある年の年賀状に、「あなたにはムッとすることが多いけど、いい友だちです」と書かれていた。 それを読んで実のところ最初は大笑いしたのだが、何度も読み返して、ついには理解した。 そうか、ばばさんはボクの親父になってるつもりはなかったんや。 しょうがないから、その日からボクは、ばばさんを親父でなく師と位置づけることにした。 でもだからと言って、ばばさんをムッとさせることは減らなかった。 だから、ばばさんはその年賀状以降、ボクのことを友人として扱うことになったのだ。 ばばさんには、いろんなことを教えてもらった。 マスメディアの仕組みやTV番組構成の方法というギョーカイ的なことから、生番組で時間に合わせてしゃべることやら聴衆の心を引きつける芸事までばばさんに教わった。 もちろん、議論する相手をムッとさせながら聴衆にウケる技は、ばばさん相手にますます磨きがかかった。 自分の本を毎年1冊は出版しろと、ボクに宿題を課したのもばばさんだ。それからほぼ言われたペースで本を書いた。おかげで著書は20冊を超えた。 ばばこういち著『改革断行/三重県知事北川正恭の挑戦』の出版記念パーティーの時には、ばばさんと北川知事(当時)の対談トークのコーディネーター役をやらされた。 立派な聴衆の面々の前でさすがに緊張したけれどそれがとても快感で、それ以降のボクは人前での緊張を求めるようになった。あの日はばばさんをムッとさせることもなかった。 こうして書いてみると、ばばこういちさんは、今のボクのスキルのかなりの部分を育ててくれた恩人なのだなあ。 故人を偲ぶというのはこういう大切な記憶をたぐるということだったのかと思う。 しかし恩人という意味では、ばばさんによって救われたもっと大きな場面があった。 あれは8年前、オーナー一族内でのお家騒動に弾き出された形で、鳥羽水族館の副館長を辞めたばかりのこと。 新築して数年の家のウン千万円ものローンを残して、明日からの仕事もないボクに、ばばさんは「気落ちしてないで、すぐにうちに来なさい」と言ってくれた。 しめた!これはきっと、ばばさんがいい仕事を紹介してくれるのだろうと思い、ボクは三重から鎌倉まで出かけたのだった。期待でいっぱいだった。 ばばさんは開口一番、「ところであなたはこれからの半生、何をやりとげたいのだ?」と尋ねてきた。 「えっ?」 どういうこと?何の話? ボクはとまどいながらも答えた「水族館の仕事はもちろんだけど、環境に関することができればと…」 すると、ばばさんはのたまった 「まちづくりはどうするの?あなたはまちづくりもしなさい!」と。 さらに畳みかけるように、 「仕事が無くなったりするとね、誰もが落ち込んで自分を収まるところに収めようとするんだ。でもそうなったら元さん、あなたの価値は失われてしまうよ。あなたはさっき宣言した、水族館、環境、まちづくり以外のことは、ぜったいにやってはダメだから」 ビシリと宣言されるではないか。 いったいなんてことだ。仕事を紹介してもらえると思って来てみれば仕事はなく、それどころか仕事探しに条件を付けられてしまった。 しかも自分では言ってないまちづくりまで入ってるし……。 奥様の美耶子さんまでもが、「そうよ〜、この人なんかいろんなところで上司とぶつかって辞めてるけど、仕事はなくなってもこの人の価値は残るのよ。元さん、これはあなたにとっていい機会よ。今から本物の中村元になるのよ」とかワケの分からないことを言い出す。 結局、お二人にさんざんそう説得されたボクが、その場で約束させられた結論は、 「水族館、環境、まちづくり以外のことは、ぜったいにやらない。これからはやりたい仕事しかしないぞ!」だった。ありゃ、まちづくり入れちゃったし…。 そして……、今のボクがある。 あの時の、ばばさん夫妻の、理不尽な命令とも取れるアドバイスがなかったら、今のボクはなかっただろう。 ばばさんは、ボクの人生の最大の分岐点で、道を見失おうとしていたボクを救ってくれ、今のボクにいたる道に導いてくれた大恩人なのだ。 今夜そのときのことを、ゆっくりとたぐり寄せ、噛みしめながら、恩人ばばこういちさんに感謝をしている。 昨年、ばばさんがTVの現場から一時引退されるときの食事会。ばばさんへの挨拶タイムで、ボクはばばさんからもらった年賀状の話から始めた。 「あなたにはムッとすることが多いけど、いい友だちです。って書いてあったけど、ばばさんが一番人をムッとさせる名人や…(笑)」と。 次の日、さっそくばばさんからメールが届いた。 「相変わらずの元さんらしい暖かい毒舌の挨拶にしびれました。ありがとうございます。 いつまでも続く友情を。」 このメールが、ばばさんからもらった最後のメッセージとなった。 師であり、恩人であり、密かに親父であり、そして友人であった、ばばこういちさん。 あなたとの友情は、ボクが生きている限り続いています。 ゆっくり、おやすみ下さい。 |
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2010年04月12日
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